|
すべて結果論ではあるが、おむに関して、今回の緊急保護という対応は正しかったと私は考える。
当初まず頻尿が確認され、その後は排尿行動の回数が減ったわけだが、これは問題の解決を意味するのではなく、むしろ逆に、排尿時の痛みが強くなってきたためだと推定されている。
そこで、病院での処置が行われた。とはいえ、その際の捕獲・運搬・検査・診察・処置による肉体的および精神的な負荷も、相当なものであったろう。 |
|
処置の後、仮にそのまますぐにリリースされたとすれば、厳寒の天候からしても、投薬が困難であることからしても、膀胱炎と結石が悪化し、尿毒症や腎不全といった「とりかえしのつかない」重篤な症状に陥った可能性が高いと思われる。
今後について言えば ―― 野良猫(地域猫)のままでは、“療養食給餌の恒久的な継続”と、“排尿状態の観察”と、そして、“いざという場合の受診”とを、十全に行うのは不可能である。よって、おむが健やかに長生きするためには、やはり完全室内飼いの飼い猫になるのが望ましいであろう。 |
|
ボランティアさんにお願いして、おむの飼い主探しをしてもらう手筈になっている。経験と実績に富むボランティアさんの手腕そのものには疑いの余地がないが、飼い主捜しばかりは「相手」がいることでもあり、「時の運」にも大きく左右されるので、このブログでも飼い主を募集することになるかもしれない。(ちなみに、今年七月初めの検査の時点で、白血病および猫エイズは陰性だそうである。) |
|
今回の対応はあくまでも短期の緊急保護なので、良い飼い主が見付からなければ、さしあたりの危険が去った後は、おむは元の場所にリリースされ、野良猫(地域猫)として可能な限りの食餌療法を受けながら暮らすことになろう。それに加えて、機に応じての短期保護を行えば、元気に長生きできるかもしれない。 |
|
なお、私が観察してきたところでは、おかか先生(推定10歳)は、精神的にも身体的にも、おむに守ってもらっているようだ。おむがいなくなったら、テリトリーに「敵」も侵入してくるだろう。
ご覧の通り今日も元気だが、おかか先生はたいへん臆病な猫である。ダッコが不可能なので捕獲も困難である。強制捕獲して病院などに連れて行こうものなら、ショックでダメになってしまうかもしれない。(おかか先生に去勢手術が行われない理由の一つもそれだと聞いている。)
|
|
おむとおかか先生がこの地で仲良く暮らしているのは、私には奇蹟に思える。おむとおかか先生が一緒に(かつ、この二匹だけで、つまり先住猫が居ない家で)完全室内飼いとなれば、それが理想かもしれない。 |
|
尤も、私個人は必ずしも、単純に長生きがいいとは考えない/感じない。今の日本の猫が「野生動物」でないことは百も承知であり、「自然」という概念に関してここで云々したくもないが、ともあれ、おむさんは(まず間違いなくかつて飼い猫だったにせよ)、この緑豊かな「自然」の岸辺で暮らす生活に深く馴染んでいる。 大地を踏みしめ、草を蹴って全力疾走し、木に駆け登り、おかか先生と遊ぶ。誰にも邪魔されず、自由気儘に過ごす。勿論、辛いことも、苦しいこともあろう。 しかし、それが Leben というものではないか? |
|
そういう生活をしてきたおむは、そういう生活の中で生を全うするのが、一番の「幸せ」なのかもしれない、と(恐らくは単に情緒的に)私は考えたり/感じたりもするのである。
猫の倫理ないしメタ倫理について軽々しく語ることを、私は好まないけれど。 |