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ラスシン#8における、広斗の救いと再生、桜の存在 ※本日2回目の記事

2013-05-31 13:43:12 | 春馬さん
えーと、今度はちょっと真面目にラスシン8話の解説を書いてみます。
キリスト教の聖母子などのエピソードも取り入れますので、苦手な方は回れ右でお願いします。
(でも、私はキリスト教徒じゃありません。思想の一つの形態として、興味があって取り入れてるだけです)


広斗とホテルデートをすることになった桜。
その時に身に着けていたのは、柔らかなピンクのワンピース。

そして向かったホテルの部屋には…ベッド一面に紅いバラ。

中世のキリスト教の宗教画、それも聖母マリアに関して忘れて行けない色は、
赤、若しくは赤に近い桃色というかピンクのような色。
決してビビッドなピンクでは無いもの。

ピンクのワンピースに身を包んで広斗と向かったホテルの部屋には真紅のバラ
広斗が桜に抱いている母性や神秘性を表していると、読み解きました。

ウェルカムシャンパンを一気飲みする桜に
「シャンパンは一気飲みしないの」
と、さりげなくちょっと大人っぽく諭す広斗
これはいつもの広斗ですよね。

しかし、ワインが入った広斗…すでにベロンベロン(笑)
桜が何かと色仕掛け(ベタ過ぎてギャグの域ww)をするも、全く気にせず。
そして、突然の昔話。
桜に初めて話す自分の過去。
それは己の罪を懺悔するかのようで。
涙を流しながら、つぶやくように話す広斗。


そして、そっと広斗の頭を抱き寄せる桜

まるで多くの聖母子像のような構図です。(違いは広斗が幼子では無いだけ)

桜の膝枕で眠ってしまう広斗

身体を丸くして眠る姿は胎児のようでもあり、
桜がその広斗をやさしく見つめる姿はピエタのようでもあり。

ピエタは、十字架に架けられて死したイエスを、その膝に掻き抱き悲嘆にくれるマリア を現したもの。
でも、バチカンの聖ピエトロ大聖堂にあるピエタ像は、悲嘆にくれている筈のマリアが微笑みを宿しているようにも見えるのです。
そして、イエス・キリストは苦悶の表情もなく、穏やかに眠っているようにも見えるのです。
桜の膝枕で眠る広斗、この2人の姿がこのバチカンのピエタ像と錯覚を起こさせました。

今までの広斗は、ここで一旦死んだのです。
そして、桜が広斗をその膝で眠らせる。
2人が飲んでいた赤ワイン。赤ワインはキリスト教では「キリストの血」といった意味合いもあります。
この夜のシーンの、なんと細かいシナリオと演出。
ラスシンがただのラブコメで無いと、理解しました。

朝、目が覚めた広斗は、ただの駄々っ子です(笑)
これは、朝=再生と言う比喩、そして、広斗が今まで被っていた仮面を捨て去り、本来の広斗に戻ったという暗喩でもあると思います。
目が覚めてからの広斗は、まるで母親に甘える子供のようでもあります。
「したいー!」と、足をじたばたさせる広斗。
「仕事に行く」という桜にいやいやをする広斗。
どこから見ても、甘えっ子の駄々っ子です。

己の過去の罪を悔い改めた広斗は、彼本来の姿に戻ったのでしょう。
その代り、桜は恋愛対象から、母性の象徴になってしまった気がしますが(苦笑)
甘えん坊で駄々っ子で、自分が決めたら本気でぶつかる。
それが、本来の広斗の姿。
大神家に引き取られてから、見せることが無かった広斗本来の性質。

あの一夜を境に、広斗は新しく生まれ変わったのです。

桃に土下座して別れの赦しを乞う広斗も、枕を投げつけられても反抗しない広斗も、それは彼が本来持ち合わせていた一途な性格。
ずっと隠してきた彼を解き放ったのは、紛れもなく桜だったのです。

本当の自分の気持ちに気が付いた広斗。
彼は一途に桜を求め続けるでしょう。
その気持ちが報われると良いのですが…。


などと、書いていますが、これらは全て私の妄想(爆)
制作陣の意図は全く判りません(笑)

こんないい加減なお話にお付き合いくださった皆様、どうもありがとうございます。

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