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管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

デザイナーじゃない人間がデザインを語ってみる

2015-09-25 13:59:15 | 日記
発端は、少し前に騒動になった2020東京オリンピックのエンブレム問題。

パクリは後追いで解って来たことだけど、最初に見た時から違和感を感じていたんだよね。
ものすっごい「コレじゃない」感。
「日本」と言うキーワードならしっくりくるのよね、あの色使いは。
「日本」の文化に関する展示会や博覧会ならあのデザインでも良かったかもしれない。
黒は漆や墨、日本人の髪の色の黒。
金と銀は蒔絵に使われる金箔や銀箔のイメージ。
日本で採掘される鉱物でもあるし、黄金の国ジパングも、金と銀が採れたからこそ。
そこに赤い日の丸を合わせる。
バッチリ日本のイメージ。

だけど、物凄く静的なイメージばかりなのよね。
内向的だし。

「オリンピック」と言うのは、日本が舞台だけどもその舞台に立つのは世界各国の人々な訳で、
肌の色も髪の色も目の色も様々。
何より、オリンピックの「聖火」自体が、常に揺らめいていて静的イメージが全く無い。
瞬間瞬間に変わる炎のフォルム。
それは躍動する選手たちのスピリッツにも繋がる。
アグレッシブで、ユニークで、フリーダム。

だから、華やかで固定概念に縛られない物が似つかわしいと思う。


件のエンブレムはそういう意味では「静的」な「タイポグラフィ」の一種なんだよね。
しかも、カッチリしたフォルムで硬い硬い。
同じ要素で同じ色彩でも、フォルムが違っていればあそこまで非難は浴びなかっただろうなあって思う。
黒が最大面積を占めて(バックの白は今回は要素の色に含めない事に)、且つ真ん中に縦長方形。
このブログでは初めて書くけれど、あのエンブレムを見た時に「仏壇みたいだ」って思ったんですよね。
あ、実家は浄土真宗なので仏壇が金ぴかなんです(笑)
喪章とどちらがマシかと言うのは無しでw
しかし、仏壇にしろ喪章にしろ、華やかなイメージとは明らかに違っている。

この辺りは「コンセプト」に拘り過ぎた(事にしておきたいらしい)委員会がハマった落とし穴だと思う。
それに、招致エンブレムとのイメージに差がありすぎた。
カラフルで丸く柔らかいイメージの招致エンブレムと、
モノトーンぽい、角ばった落ち着き過ぎ感のあるエンブレム。

この2つのエンブレムの間に、全く関連性が無かったのも良くない。
だって、パッと見た時に「同じイベント」のエンブレムだと思えるかしらん?
私には同じには見えない。
そういう所を疎かにしてしまったのも、一般受けしなかった理由の一つだと思う。


私自身はデザイナーじゃない。
資格とかの問題じゃないから、何が出来ればデザイナーと言う、明確な定義がある訳でもないけれどね。
でも、ある企業のデザイン部に席を置かせて貰って、デザインに関わる仕事をして、デザイナーさんの仕事を毎日間近で見て、触れていた。
これは私にとって物凄く大きな影響を与えてくれたと思う。
CI専門のデザイナー、プロダクト担当、映像系…多様なデザイナーさんが一つ所で仕事をしていたのを見ていたから。
幸いな事に新しいデザイン開発のブレストにも参加させて戴けた。
デザイナーじゃないのに、発言も許して戴けた。
発言させて戴けるなら、と、自分に物凄くインプットしたのを覚えている。
1つの物を見るのに、視覚的にも概念的にも多角的に見て考える癖をつけるようにした。
瞬発的なインスピレーションと、思索を巡らせて得たアイディアとを自分の中でどのように消化するかとか。

私が居たデザイン部は大半がプロダクトデザイン担当だった。
限られた要素で、厳しいレギュレーションの中で独自性を出して行く。
一般の人にはあまり突飛に見えてもいけない。
法的な拘束もある。
だから、気にしなければ「どれも同じ」に見える物ばかり。
むしろ同じ物に見えなくてはいけない。
その中でのデザインと言うのは、かなり厳しいと思う。
レイアウト、サイズ、効果。
細かく厳しいレギュレーションの中で、デザイナーさん達は個別化、独自性を打ち出すべく頑張っていらした。
多くの人には同じに見えても、分かる人には分かるという個性の為に。


そういうデザインを見ていたせいか、もっと自由度が高いはずのオリンピックのエンブレムが物凄くちんまりとした物だったことにショックを隠せなかったのも事実。
ファーストインプレッションが「仏壇」でしたし…(苦笑)
「えー、これはオリンピックのエンブレムと違うよねー」って声に出して言いそうになりましたw
エンブレムって一目見て「それが属する物」が解ると言う物のはず。
で、緩い意味で、イコール「シンボル」なはず。
(厳格にはエンブレムとシンボルでは全く意味が違いますが)
だけど、発表されたエンブレムには「オリンピック」的要素が何も見受けられなかった。
メインとなるデザインは、上でも書いたように「タイポグラフィ」的な物。
そして、その下にある文字によって2020 TOKYO OLYMPIC である事がやっとわかる。
「五輪」も「五輪の色」も全く使われていないために、エンブレムだけではオリンピックだと認識できない。
これって、デザインとして致命的なエラーなんですよね。
「日本らしさ」と「東京のT」しか汲み取れないんですもの。

だから国民が大ブーイングしたのに、審査委員会は無視しまくった。
パクリ疑惑が出てきても「コンセプトが違うから」と言うのみ。
確かに、コンセプトやアプローチが違えばパッと見似ていても別物なのは理解できますよ。
だからと言って、オリンピックのエンブレムが明らかに他の物と形状が似ていて、コンセプトを説明しないと受け入れて貰えないなんてあり得ない。
オリンピックのエンブレムはある意味「ファーストインプレッション」勝負なんですから。
初めて見た瞬間に誰もが「あ、オリンピックだ!」と思える物じゃないと駄目なんですよ。
それが、オリンピックエンブレム・デザインの最低・最小限のレギュレーションじゃないのかな?

どんな賞を幾つ取ったのかしらないけれど、一般人に伝わらないデザインはデザインじゃない。と言える。
デザインは、エンブレムその物だけでなく、空間や空気、そういった見えない部分まで演出していかなくてはいけないと思う。
そこから醸し出された空気で、皆が気持ちを共有できる事が大切だと思う。
とりわけ、世界的な大イベントとしては。

専門家だけが理解できれば良いなんて、驕りにも程がある。
一般市民をばかにするな。
結局、デザインは撤回されたでしょ?
パクリ疑惑が出てきたのは、パクリ自体が問題じゃなくて、あのデザインを撤回させたかったから。
その事を審査委員会は忘れないで欲しい。

そして、ネット民の人達も、パクリパクリと騒ぐのは止めて欲しい。
コンセプトやアプローチの結果、意図せずして似た物になる事もあるから。
ただ、今回は彼の作品や、彼の教え子達の作品に関しては色々と疑問を感じる物がありますが…。

そう言えばその大学卒業の新入社員がやたらと「ミーム」と言っていたのを思い出すなあ。
彼によって初めて私にもたらされた概念だったけど<ミーム
「ミーム」と言う物を考えていくと、上っ面だけで「ミーム」を考えてしまうと、デザインとしては大変な事になると、今回思いました。
教え子達は、「ミーム」を間違ったまま覚えてしまったのかもしれない。

「ミーム」を私にもたらしてくれた彼は、入社5年も経たないうちに、グッドデザイン賞を受賞したある物のコンセプト提案をしたんだよね。
そのデザイン開発の一端に私も関わる事が出来て嬉しかった。
それは何かって?
現行△ク○スのカーナビ画面です(^^)v
会社を辞めて5年以上経つから、もうカムアウトしても良いよね?
(確認しようとサイトを見てみたら、メーターも見覚えが…w)

名前は出なくても、自分が携わった物が世にでて、それが評価されると嬉しいのです。

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