今日も地球は周ってる

管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

「終の信託」読みました

2012-11-04 17:51:26 | BOOK
本当は映画で見たかったのですが、見に行く余裕が無さそうなので、文庫本を買って読みました。

最後の最後で「え?」って置いていかれた気分になりました。
原作者が検事と被疑者とのやり取りに重きを置いて書いているからなのでしょう。
映画はまた違った角度で見られるのでしょうが、レンタルが出てからにすることにします。

この作品て、単に検事と被疑者のやり取りだけでなく、その作品内に別のテーマを幾つも内包しています。
私が気になったのは、自分の"最期"を誰に託すかということです。
勿論、タイトル通り、「終の信託」な訳ですけどね。

ここからちょっと医療的、死生観に関してシビアな話になりますので、苦手な方は右回りで退避なさって下さい。
反転はしません。
改行の後、記します。

































改行終わり




本編では、患者と医師の間に医療関係を超えた信頼を築いて、医師はその信頼に応えようとします。
しかし、それは患者の家族には伝わらなかった。
いや、家族は患者の意思を確認することすらしなかった。
崩壊しかけた家族と相対して、医師は患者の意思を尊重して最期のチューブを抜き、それでも心臓が止まらない患者に鎮静剤などを致死量投与して、そして患者の心臓は止まり、亡くなります。
納得していたはずの家族は、医師の務める病院の関係者に唆され、医師を告発します。
そして、医師は逮捕されてしまう。

本当に患者にとって真摯であったのは誰なのか。

私だったら、この患者と同じように、汚れないまま最期を迎えたいと思います。
何本もの管に繋がれて、意識があるのかどうか、他者に判らないまま生きていたいとは思いません。
せめて何らかの意思表示ができるのならば別ですが。

本編の患者は喘息死です。
つい最近知ったのですが、肺がん患者は最期の苦しみをモルヒネで緩和させ、意識が無く苦しまずに逝くことが可能だそうです(それでも呼吸器疾患な訳ですから、半端なく苦しいそうですが)
喘息患者は、モルヒネを使ってもらえないのです。
気道が固まり、硬直しているのに、それでも無理矢理呼吸機器に繋がれて、意識があり、苦しいまま死を迎えるのです。最期のひと呼吸まで。
ならば、私も本編の患者のように最期を迎えたいと思いました。
信頼する人に傍に居てもらい、手を取ってもらって最期に臨みたいと。

どこかのライターが、「この映画は死と向き合える人だけ見て下さい」と書いていましたが、納得です。
単なる、医師と患者の恋愛物ではありませんから。
己の死生観を見据えることができる人でないと、見ていて辛いだけだと思います。

かなり重い話で失礼いたしました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿