こんばんは☆月曜は毎回楽しいパンキョーの文学があるんです♪
3月にはまってたように、私はどっちかっていうと古典文学が好きです。
村上春樹や東野圭吾も好きですがなんか重みが違うと思うんだ。
現代の小説って割とライトっていうか、何冊も出せるから作者の意図や
思い入れがまちまちだったりする。でも明治の文豪(インテリ)は時代の苦悩
とかほんとに正直すぎるほど真剣に物事を考え抜いて人生について人間の心理に
ついて考え抜いて、それを伝えるのにも文体の細部まで真剣に書き抜いて苦悩
格闘しながら産み出したという緊張感、ひたむきさを感じる。
自殺しちゃうくらい真剣に人生について考えて向き合って、明治の文豪はすごい。
特に好きなのは夏目さんだな。
暗いっていわれてるけど、様々な状況におかれた人の心理を描き出してて
チャレンジャーだなと思う。それからとかこころが好き。
谷崎の春琴抄も好き。あと評論家だと小林秀雄。詩人は中原中也。
ちなみに川端康成は嫌いです。伊豆の踊り子は中途半端感がいなめない・・・。
現代と近代の決定的な違いは文体の洗練さだと思う。
現代はどうしてもトリックというか構成より、内容ばかりアイディア頼りに
なってて文体が疎かな気がする。この文の流れおかしいとかある。
でも近代の文体は徹底されてて、文体を大事にしてると思う。
洗練された文体は自然と中身を伴うものだと思う。
形式主義を謳ってるのではなく、文学作品は文体が命だと思う。
今日の講義は「こころ」を読み解くものだった。
新しい解釈がなされてて斬新だった。三角関係。
自分の解釈を新しく作ってみようと思った。
私の解釈
▼Kの自殺の真相
Kが自殺したのは「きれいなままでいたかった」んじゃないかなって思う。
Kは自分の親友である先生が自分を出し抜いて結婚の約束をしたことを知る。
信頼してた親友。親友の喜びごとを祝福したいと思うのに
心には黒い影がちらつく。
ならば相手に矛先を向ければいい。だましうちにされたのだから。
でもできない。憎みきれない。なぜなら先生は親友だから。
Kは先生が好きだから。
大好きな親友を憎めない、幸せに影を落としてはいけない、
でも憎んでしまいそうな自分が嫌だ。
今まで高潔を保ち、自尊心で強い精神を培ってきたKの初めての負の感情。
しかもそれが大好きな者へ向けられようとしている。
高潔さできれいに保ってきたこころに侵食してくる黒い感情、
憎しみ・喪失・裏切り・悲観・羨望・そして絶望。
自分の高潔な精神を護る為、先生への友情を護るため、Kは死んだ。
Kは自分のこころを破壊する前に自分を破壊したのだ。
Kの行為は先生への配慮もなされていたと思われる。
遺書には先生のことはふれてないし、先生に影を落としたくなかったのはKだ。
しかし先生は深読みして全面的にKの影の中に生き、そしてKの元へ行ったのだ。
先生はいっそKが責めてくれればよかったのに。と言っているけど、
先生はKにとって大切な親友だから言えるはずないんだよな。
負けん気強いKの性格からいけば、卑怯だって言って責めるはずだけど
、相手がなんでもない人なら言うだろうけど、そこを先生わかってないよな。
先生は自分に好意を持って接してくれる人の行為や気持ちをいつも取り違えて
マイナスに解釈してしまう人だと思う。私しかりお嬢さんしかりKしかり。
Kって私に似てるんだよなぁ。だからなんか感情移入しちゃうな。
相手を破壊できないから自分に矛先が向くような相手を大切にしつつ、
自分の精神の向上に努める。覚悟の程度は違うかもしれんが。
でも、人の気持ちに敏感でほんとうに優しい人って貴重なんだよ。
そういう人は尊いのに、鈍感な人はそれに気づかないから
甘えてつけあがるんだよ。形式ばっかこだわってそれが気遣いだと勘違い。
違うんだよ、本当の気遣いは、その人が今悲しい思いをしていないか考えて
あげることなんだ。自分がちょっとからかったつもりでも、平気そうに対応
してるからってつけあがってエスカレートしたら大変だよ。
その人はひとりになったとき、どうしようもなくて泣いてるかもしれない。
誰にも知られることのない涙の存在に気づいてあげる。
難しそうで難しいことじゃないんだよ。そっとそばにいてあげるだけでも
違うんだから。ちょっと相手の気持ちを考えてみる、5秒でいい。
それに救われることってあると思うぜ。本当に強い人はさらりと思いやれる人。
そんな人と一緒にいたいって思える。

3月にはまってたように、私はどっちかっていうと古典文学が好きです。
村上春樹や東野圭吾も好きですがなんか重みが違うと思うんだ。
現代の小説って割とライトっていうか、何冊も出せるから作者の意図や
思い入れがまちまちだったりする。でも明治の文豪(インテリ)は時代の苦悩
とかほんとに正直すぎるほど真剣に物事を考え抜いて人生について人間の心理に
ついて考え抜いて、それを伝えるのにも文体の細部まで真剣に書き抜いて苦悩
格闘しながら産み出したという緊張感、ひたむきさを感じる。
自殺しちゃうくらい真剣に人生について考えて向き合って、明治の文豪はすごい。
特に好きなのは夏目さんだな。
暗いっていわれてるけど、様々な状況におかれた人の心理を描き出してて
チャレンジャーだなと思う。それからとかこころが好き。
谷崎の春琴抄も好き。あと評論家だと小林秀雄。詩人は中原中也。
ちなみに川端康成は嫌いです。伊豆の踊り子は中途半端感がいなめない・・・。
現代と近代の決定的な違いは文体の洗練さだと思う。
現代はどうしてもトリックというか構成より、内容ばかりアイディア頼りに
なってて文体が疎かな気がする。この文の流れおかしいとかある。
でも近代の文体は徹底されてて、文体を大事にしてると思う。
洗練された文体は自然と中身を伴うものだと思う。
形式主義を謳ってるのではなく、文学作品は文体が命だと思う。
今日の講義は「こころ」を読み解くものだった。
新しい解釈がなされてて斬新だった。三角関係。
自分の解釈を新しく作ってみようと思った。
私の解釈
▼Kの自殺の真相
Kが自殺したのは「きれいなままでいたかった」んじゃないかなって思う。
Kは自分の親友である先生が自分を出し抜いて結婚の約束をしたことを知る。
信頼してた親友。親友の喜びごとを祝福したいと思うのに
心には黒い影がちらつく。
ならば相手に矛先を向ければいい。だましうちにされたのだから。
でもできない。憎みきれない。なぜなら先生は親友だから。
Kは先生が好きだから。
大好きな親友を憎めない、幸せに影を落としてはいけない、
でも憎んでしまいそうな自分が嫌だ。
今まで高潔を保ち、自尊心で強い精神を培ってきたKの初めての負の感情。
しかもそれが大好きな者へ向けられようとしている。
高潔さできれいに保ってきたこころに侵食してくる黒い感情、
憎しみ・喪失・裏切り・悲観・羨望・そして絶望。
自分の高潔な精神を護る為、先生への友情を護るため、Kは死んだ。
Kは自分のこころを破壊する前に自分を破壊したのだ。
Kの行為は先生への配慮もなされていたと思われる。
遺書には先生のことはふれてないし、先生に影を落としたくなかったのはKだ。
しかし先生は深読みして全面的にKの影の中に生き、そしてKの元へ行ったのだ。
先生はいっそKが責めてくれればよかったのに。と言っているけど、
先生はKにとって大切な親友だから言えるはずないんだよな。
負けん気強いKの性格からいけば、卑怯だって言って責めるはずだけど
、相手がなんでもない人なら言うだろうけど、そこを先生わかってないよな。
先生は自分に好意を持って接してくれる人の行為や気持ちをいつも取り違えて
マイナスに解釈してしまう人だと思う。私しかりお嬢さんしかりKしかり。
Kって私に似てるんだよなぁ。だからなんか感情移入しちゃうな。
相手を破壊できないから自分に矛先が向くような相手を大切にしつつ、
自分の精神の向上に努める。覚悟の程度は違うかもしれんが。
でも、人の気持ちに敏感でほんとうに優しい人って貴重なんだよ。
そういう人は尊いのに、鈍感な人はそれに気づかないから
甘えてつけあがるんだよ。形式ばっかこだわってそれが気遣いだと勘違い。
違うんだよ、本当の気遣いは、その人が今悲しい思いをしていないか考えて
あげることなんだ。自分がちょっとからかったつもりでも、平気そうに対応
してるからってつけあがってエスカレートしたら大変だよ。
その人はひとりになったとき、どうしようもなくて泣いてるかもしれない。
誰にも知られることのない涙の存在に気づいてあげる。
難しそうで難しいことじゃないんだよ。そっとそばにいてあげるだけでも
違うんだから。ちょっと相手の気持ちを考えてみる、5秒でいい。
それに救われることってあると思うぜ。本当に強い人はさらりと思いやれる人。
そんな人と一緒にいたいって思える。

