D51684


△わが町の保存機関車、D51684


どんな経緯を経てここにやってきたのか知りたくていろいろなサイトを検索していましたが、思わぬところで資料を発見しました、東村山市中央図書館です。
その資料の名前は『蒸気機関車D51684』(東村山市教育委員会発行)で、B4版2枚を折ってB5版8ページの冊子になっています。


内容は蒸気機関車一般の解説から684号機の生い立ちなどが記載されていて、特にD51684のあゆみに落成から廃車になるまでの足取りが書かれている点が注目されます。この部分をそのまま引用します(本文に第1次世界大戦とありますが第2次の誤りと思われます)。

D51684は、第1次世界大戦のさなかの昭和17年3月、愛知県豊川市にある日本車両製造株式会社で誕生しました。その後、戦争が激しくなるにつれて、軍需物資を運んだり、戦地へおもむくたくさんの人々を送るなど、忙しく走り回りましたが、残念ながら、運行の記録が残されていず、具体的なことはわかりません。戦争の終わった昭和21年1月に大阪府吹田機関区へ配属され、その後、同じ年の10月、三重県亀山機関区、昭和30年、兵庫県姫路第一機関区、昭和32年、宮城県長町機関区、昭和42年、秋田機関区、そして、昭和47年より廃車の昭和51年3月1日まで、北海道に渡り、滝川機関区に配属され、広い原野を厳しい気候をもとのもせず最後の活躍に努めました。その総走行距離は地球を41周まわる程の165万キロメートルにもおよびました。

とあります。

最後のページに、

この機関車は市民の願いと国鉄関係者の深いご理解によって、国鉄より貸与されました。私たち市民の友として、これから大切に・・・

とありますが、ちょっと現状を見ると恥ずかしい限りです。何とかしたいものです。

ところで、資料中「デゴイチ」とありますが、本当は「デコイチ」が本来の呼び名だったことは、意外と知らない方が多いようです。形式名がD51だから、と思われがちですが、給水温め器が「おデコ」に一文字についている姿からデコイチという愛称がついたそうです。でも、いまやデゴイチが圧倒的にメジャーなので、それはそれでもう一つの愛称なのでしょう。D52だってデコイチになってしまいますし・・・。
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