時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

紅葉の上野公園を歩く

2019年11月20日 | 午後のティールーム

 

 

今秋指折りの快晴の日、上野公園(正しくは都立上野恩賜公園)は、紅葉真っ盛り。道路など環境整備も進み、美しい公園となった。ブログ筆者には、子供の頃から親しんだ場所ではある。しばらくぶりに散策を楽しむ。


 

上野公園と云うとまず頭に浮かぶのは、上野動物園(東京都恩賜上野動物園)、同級生のお父さんが飼育課長?をされていた時は、学級全員の社会見学?で、開園時間外に特別に見せていただいたこともあった。子供心になんだか得をした気分だった。 その後、週末など、かなりの回数通った記憶がある。ジャイアント・パンダのいない時代だった。なにかの縁でいただいた上野動物園『上野動物園百年史』(東京都生活文化局広報部都民資料室、1982年)も処分されることなく大切に書棚の片隅に残っている。1936年(昭和11年)、黒豹が逃げた話を聞いたこともある。園内の暗渠に潜んでいて無事捕獲されたらしいが、当時の記録を読むと、かなりの大事件だったらしい。

 

この近辺、上野東照宮の塔が見えたり、並木道も美しい。由緒ありげなこの建物、ご存知の方はおられるだろうか。「旧東京音楽学校奏楽堂」(重要文化財)の看板がかかっている。表示版の説明を読むと、東京藝術大学音楽学部の前身、東京音楽学校の本館校舎として、明治23年(1890)に建築され、日本における音楽教育の中心的な役割を果たしてきた。昭和58年(1983)に台東区が東京藝術大学から譲り受け、昭和62年(1987)に現在の地へ校舎を移築・復元し、「旧東京音楽学校奏楽堂」として一般への公開も開始された。さらに、昭和63年(1988)には、日本最古の本格的な洋式音楽ホールを擁する校舎として、重要文化財の指定を受けている。

2階の音楽ホールは、かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台とのこと。 

平成25年4月より建物保全のため休館していたが、耐震補強や保存修理等の「保存活用工事」や空気式パイプオルガンの修理を終えて、平成30年(2018年)11月2日にリニューアルオープンした。2年くらい前にもこの辺りを通っていたが、気がつかなかったわけが分かった。あいにくこの日は入館できなかったが、近く一度入ってみよう。

東京国立博物館の周辺も広々として、噴水も美しい。折しも御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」が開催され、入館まで1時間近い待ち時間だった。
少し横道に入ると、木漏れ日が美しい歩道が続く。

上野公園はしばしば「上野のお山」ともいわれた。一見、平坦に見えるが、意外に起伏があり、こうした岡がある。頂上からは不忍池や弁天堂が眺望できる。

 

丘の上の美しい建物が、東叡山寛永寺の清水観音堂(重要文化財)であることは知っていたが、これまでその由来を詳しく知ることはなかった。清水観音堂は、寛永8年(1631)に東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正により建立された。今回、前を歩いて気がついたのは、画面にも見える輪型(月の輪)だった。由緒ありげで、説明などを読んで見て改めて見直した。月の松といわれ、植木の松を造園技術を駆使した植木職人によって、月の輪のように曲げて育てたものだった。明治初期の台風で被害を受けて永らく失われていたが、浮世絵にも描かれていた江戸の風景を復活させるため、平成24年(2012)12月に復元されたとのこと。

清水観音堂は、江戸時代から名所となり、境内の月の松は、江戸時代の浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」において「上野清水堂不忍ノ池」そして「上野山内月のまつ」として描かれている由。清水堂の舞台から見下ろした月の松には近江の竹生島の宝厳寺に見立てて建立された不忍池辯天堂と賑わいを望む事ができる。

知り尽くしていると思った上野公園だが、なかなか見所が多く、一日楽しむこともできる。日本一の動物園、美術館、博物館が林立し、疲れればカフェやレストランにも事欠かない。東京でもお勧めの場所のひとつだ。

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