文芸雑誌『考える人』2005年春号を見ていていると、新進の文化人類学者、渡辺靖氏(『アフター・アメリカ』の著者、2004年サントリー学芸賞)による「カウンター・アメリカ(1)ブルダホフ・コミュニティ」という新連載が目についた。ブルダホフ・コミュニティは、ニューヨーク州南部にあるアーミッシュに似た宗教集団である。
連載の第一回は、この地を渡辺氏が自ら訪れ、その体験、印象を記したものである。ブルダホフは近代世界の利便性の多くを受け入れることを拒否し、原始キリスト教や聖書本来の教えに忠実な自分たちの協同生活を営んでいる。
1960年代の終わり、ニューヨーク州北西部のイサカで学生生活を過ごしていた私は、少し長めの休日などで時間的な余裕ができると、ニュージャージー州に住むホストファミリーでもあった友人の家で過ごし、休み明けにキャンパスに戻ることが多かった。その道すがら、ペンシルヴァニア州を経由するため、1979年に歴史に残る大事故を起こしたスリーマイルズ・アイランド原子力発電所の傍を通っていたことや、友人に連れられてアーミッシュ・コミュニティであるランカスターを訪れたことなどを思い出した。スリーマイルズ・アイランドの巨大な冷却塔は、今でも目に浮かぶ。
よみがえる記憶
アーミッシュについては、さらに記憶を新たにすることがあった。最近になってアメリカで長らく暮らしていた日本人の友人市橋氏夫妻が帰国し、お土産にと下さったプレート皿である。この手作りの重厚なプレートは、ペンシルヴァニア州グローブ・シティのアーミッシュ・コミュニティが収入活動の一環として開設した工房(ウェンデル・オーガスト、1923年設立)で作成された。図柄は、昔見たことのあるような素朴な馬車と家屋が描かれている。この工房はオハイオ州ベルリンにもあり、ヨーロッパから移住した時代から受け継いだハンマーと鉄床を使って打ち抜いた金属板をひとつひとつ手で加工し、プレートを作成している。裏側には金型の制作者と加工職人のイニシャルとホールマークが入っている。
連載の第一回は、この地を渡辺氏が自ら訪れ、その体験、印象を記したものである。ブルダホフは近代世界の利便性の多くを受け入れることを拒否し、原始キリスト教や聖書本来の教えに忠実な自分たちの協同生活を営んでいる。
1960年代の終わり、ニューヨーク州北西部のイサカで学生生活を過ごしていた私は、少し長めの休日などで時間的な余裕ができると、ニュージャージー州に住むホストファミリーでもあった友人の家で過ごし、休み明けにキャンパスに戻ることが多かった。その道すがら、ペンシルヴァニア州を経由するため、1979年に歴史に残る大事故を起こしたスリーマイルズ・アイランド原子力発電所の傍を通っていたことや、友人に連れられてアーミッシュ・コミュニティであるランカスターを訪れたことなどを思い出した。スリーマイルズ・アイランドの巨大な冷却塔は、今でも目に浮かぶ。
よみがえる記憶
アーミッシュについては、さらに記憶を新たにすることがあった。最近になってアメリカで長らく暮らしていた日本人の友人市橋氏夫妻が帰国し、お土産にと下さったプレート皿である。この手作りの重厚なプレートは、ペンシルヴァニア州グローブ・シティのアーミッシュ・コミュニティが収入活動の一環として開設した工房(ウェンデル・オーガスト、1923年設立)で作成された。図柄は、昔見たことのあるような素朴な馬車と家屋が描かれている。この工房はオハイオ州ベルリンにもあり、ヨーロッパから移住した時代から受け継いだハンマーと鉄床を使って打ち抜いた金属板をひとつひとつ手で加工し、プレートを作成している。裏側には金型の制作者と加工職人のイニシャルとホールマークが入っている。
アーミッシュの由来
アーミッシュはキリスト教再洗礼派(アナバプティスト)に属し、16世紀のマルティン・ルターらによる宗教改革の過程で、ヨーロッパに生まれた。彼らは幼児洗礼を認めず、成人して自らの意志で洗礼を受けることから「再洗礼派」Anabaptistとよばれるようになった。そのため、初期の信者たちは、異教徒として時代の宗教の主流である旧教そして新教の双方から迫害される存在であった。かれらはスイスや南ドイツに逃れ、ひっそりと暮らしていたらしい。
実は、アーミッシュの歴史を振り返ってみると、このサイトでも取り上げている画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの活動舞台であるロレーヌにも一部関連していることが分かり、興味が増し、手元の資料などをひっくり返してみた。
アーミッシュは起源をたどると、16世紀のメノナイトMennoniteといわれるコミュニティにまで遡る。30年戦争(1618~48年、ドイツを舞台にヨーロッパ各国を巻き込んだ宗教戦争)の後、彼らは迫害を逃れ、戦火で荒廃したパラティネイト(ドイツ南部、プファルツ)、アルザス・ロレーヌなどに移り住んだ。しかしそこでも自由は得られず重税を課され、迫害の的となった。
その後、17世紀末にアルザスなどに入植していたスイス・メノナイトの指導者で、教会のあり方や教義などに疑問を抱いたヤコブ・アマンに率いられたアマン派(アーミッシュ)は、メノナイトから分離した。この二つのグループはその後何度か集散を繰り返したらしいが、洗礼、非抵抗、初期聖書重視という点においては同じ思想を共有している。しかし、現実の生活様式、礼拝の仕方、聖書解釈などでは異なっている。
新天地を求めて
アルザスは1712年にフランス領となり、ルイ14世によって追放されたアーミッシュたちは近隣に逃れたが、同じ平和主義のクェーカー教徒であるウィリアム・ペンの誘いに応じ、宗教の自由を求め、現在のアメリカ、ペンシルヴァニア州への移住を決めた。ウィリアム・ペンは開拓の基盤としてアーミッシュの優秀な農業技術に期待したようだ。
アーミッシュもメノナイトもペンシルヴァニアに、ウイリアム・ペンの宗教的寛容さの「聖なる実験」の一部として、ヨーロッパから移住した。ランカスター地域に移住したのは、1720年代頃ではないかと推定されている。
彼らの末裔であるアーミッシュは、北米ではアメリカ22州、カナダ・オンタリオ州にコミュニティを持っている。とりわけ、オハイオ州、ペンシルヴァニア州に多い。北米全体で14万人くらいになるといわれる。最も古い歴史を持つグループはペンシルヴァニア州ランカスター・カウンティに居住している。16000人くらいのコミュニティである。
彼らは家族やコミュニティを重視し、現代文明を拒み、平和主義を貫く人々の集団である。歴史的に国家と教会の分離を唱え、政治的な専制や戦争を拒否し、絶対平和主義を貫いてきた。
平和主義を奉じる人たち
時間が経過したので、記憶が薄れていたが、渡辺氏の「ブルダホフ・コミュニティ」やプレートの絵を眺めているうちに、かつて訪れたランカスターの情景が戻ってきた。当時は、ヴェトナム戦争の最中であり、送られてきた徴兵カードをライターで燃やしたり、カナダへ逃げる学生のことが大きな話題となっていた。平和主義者のアーミッシュが、兵役免除となることも議論になっていた。友人に連れられ、ランカスターまで行ったのも、一部はそのことに関連していた。しかし、最大の関心は、現代文明からできるかぎり自らを隔離して生きる人たちとは、いかなるものかという素朴な点にあった。
素朴な生活
ランカスターで会った男たちは一様に伸ばしたあご髭と襟なしの黒い上衣を着ており、女性は長いワンピースに同じキャップをつけていた。コミュニティの一般の家庭にはラジオもTVもなかったと思う。農業や木工で生活し、自動車は使わず、馬車で移動する質素な生活を送っていた。コミュニティ内の道路もまったく舗装されていなかった。広い畑の中に貧しい木造の家屋が点在していたのを覚えている。
渡辺氏の「ブルダホフ・コミュニティ」を読んで、コミュニティがまったくアメリカ移住時の生活水準や内容で止まっているのではないことが分かった。外界の激しい変化に対応して、コミュニティの維持のために、住宅を初めとして、最低限必要と思われる「ベイシック」な対応はなされており、住民の雇用機会の維持に必要な新しい技術や生産様式の導入が行われていることを知り、なるほどと感じる点が多々あった。
グローバル化の滔々たる流れの中で グローバリゼーションの一ウオッチャーとして、こうしたコミュニティがいかなる役割を果たし、どれだけ生命力があるのか、十分な判断はできない。しかし、すでにかなり長い時間の経過の中で存続してきたという事実は、無視できない重みを感じる。といっても、こうしたコミュニティがさらに拡大するという可能性はむしろ低い。したたかではあるが、決して強靱な存在ではないという印象を持つ。こうした生き方を選択する人は、きわめて少ないだろう。しかし、ともすればグローバル化の激流に押し流されかねない世界で、新しい方向を試みる多様な実験がなされることは十分評価したい。かれらを最後のところでつなぎとめているのは、やはり信仰の力なのだろうか(2005年4月29日記)。
もともと、シェーカーやアーミッシュのシンプルで美しい生活に興味があるのですが
最近は特に、そういったコミュニティが外部との折り合いをいかにつけて集団を維持しているか?
という疑問を持っています。
「考える人」のバックナンバー取り寄せてでも読むべきなんでしょうか。。。
お読みいただき有り難うございます。
渡辺靖氏の「ブルダホフ・コミュニティ」は、『カウンター・アメリカ』というタイトルの連載の第一回でした。現在発売中の『考える人』には、同じタイトルの第二回として「ボストン・ダドリー・ストリート」という対象が選ばれています。連載がいつまで続くか分かりませんが、いずれ書籍として刊行されるのではないかと予想しています。バックナンバーは図書館でお読みになれるのでは。
『考える人』は今回で創刊三周年だそうですが、編集方針が良く見えないので、こちらの雑誌の将来の方が心配です。
ところで、上のコメントを書いたときは桑原先生がどういった方か何もわからず、とてもフランクに書いてしまいましたが、獨協の学長だったのですね。
なんというか、恐縮です。
『考える人』についてですが、内容が落ち着いていて読みやすく、執筆陣も好みなのでだいたいチェックしていますが、
>編集方針が良く見えない
というのは同感です。
特集による質のばらつきが気になります。
好きな雑誌なので続いて欲しいのですが。
メモ代わりに、雑多なことを書き込んでいます。
どうぞ気軽に読み流してください。
方針?が良く見えないブログです。