時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

足下を見直す:拡大・再編が進む下層労働市場の行方

2019年12月29日 | 労働の新次元


年末の東京、新宿、渋谷駅などでは構内に中国語、韓国語、英語のアナウンスが飛びかい、その間を流れる日本語を拾って、一瞬、ここはどこかと思うことがある。朝夕の通勤時など、スマホ片手の日本人、大きなカートを引っ張る外国人でごった返している。10年近くで東京など大都市の駅や車内の光景は激変した。外国人観光客の急増に加えて、首都圏の駅周辺の家電量販店、コンビニなどでは、中国人やヴェトナム人などの店員が急増し、働いている。多くは留学生アルバイトのようだ。日本語の能力は十分でなくとも、バーコードや電子マネー決済方式が普及したため、商品確認などが容易にになったのだろう。外国人観光客のほとんどがカードで支払いをしている。

変わる代金決済「サービス」の実態
長らく算盤や暗算に慣れてきた日本人は比較的抵抗が少ないようだが、例えば税込786円の商品を買って、1000円札を渡すと、214円の釣り銭を硬貨でひとかたまりに渡されることに当惑、違和感を感じたという外国人の話を聞いたことがある。このごろは電子レジの普及で、買い手にも直ちに釣り銭額が表示されるようになり、金額の大きな貨幣から100円2枚、10円1枚、1円4枚の順で渡してくれる店も増えた。小さな変化だが、外国人や高齢者には親切な対応だ。カードでの決済ならば、こうした心配はもとより払拭される。

数年前のことだが、空港のカフェテリアで中国人とみられる客が、掌に硬貨を載せ、これから取れと店員に迫っていた光景が目に浮かぶ。さらにこの客は、店員が中国語が分からず当惑しているのにお構いなく、大声で喚いていた。店員はそれでは足りないと言いたいようだった。こうした光景を一度ならず見た。10年くらい前の中国の実態では、さほど珍しいことではなかった。

かつて中国の国営商場などで、商品や釣り銭を売り場の台上にばら撒くように放り出され驚いたことがあった。中国語の「服務」という概念には、日本では当たり前の顧客へのサービスという実質が希薄だった時代があった。日本の店は親切だという中国人観光客の感想には、単なるお世辞にとどまらない、かつての自国の残像もあるのだろうか。

用例
我们应该全心全意地为人民服务 (=我々は 誠心誠意人民に 奉仕すべきである)。

変化が早い世の中で、注意していないと気づかないことだが、サービス産業の景色も大きく変わった。

誰もやりたがらない仕事をする人々
他方、労働力不足がもたらした深刻な人手不足は、一般の人々の想像をはるかに上回っている。若い人たちが忌避し、ロボットの開発も採算が合わないような仕事、ほとんどが低賃金の肉体労働は、外国人や高齢労働者に押しつけられている。新たな下層市場が急速に形成されていることを実感することがある。

最近目にした光景である。近くの工事現場では、日雇いの労働者が集まらず事実上、仕事ができないようになるという。五輪ブームで建設需要が増えた裏側である。ある日の解体工事現場を見た。解体されているのは、数十年は経過したと思われる古い木造家屋、以前は小さな居酒屋や商店であったのろうか。油と埃で真っ黒な木材になっている。解体現場では、明らかに外国人と見られる労働者、数人が働いている。夕方など、作業着と手足、顔の区別ができないほど埃でまみれている。防塵マスクもメガネも装着していない。作業員の容貌の区別など到底できないほどに汚れ、一見して息を呑んだ。管理者らしい日本人が来て、時々指示をしている。夕方になると、数人の同国人と見られる外国人が、連れ立ってどこかへ帰って行った。

建設業は、外国人労働者なしには立ち行かない事態にまで到っている。こうした産業はいまやかなりの数に上る。


近くの私鉄の駅に行く。そこでも痛ましいような光景に出会った。駅の階段の手すりや足元の階段の汚れをかなりの年配の女性が掃除をしている。多分、60歳代後半から70歳代だろうか。驚いたことに、床に設置されている目の不自由な人(視覚障害者)のための黄色の「警告ブロック」や「誘導ブロック」を床に座り込んで、雑巾で拭いているのだ。多分、棒の付いたモップ雑巾ではきれいにならないからだろうが、強いショックを受けた。そこまで要求されねばならないのだろうか。日本の街路はきれいと外国人は称賛するが、それを支えている人たちの中にはこうした人たちがいることを忘れてはならないと思う。

地方創生、活性化の促進を政府は強調するが、現実は仕事の機会は大都市にますます集中する傾向が進行している。賃金も都市部は高いので当然の動きといえる。現行の都道府県別最低賃金制は、この傾向を助長している。労働市場の範囲を段階的に道州制くらいまで広域拡大し、さらに広域市場間の賃金格差の平準化に努めないと、大都市圏への労働力集中は避けがたい。アメリカ・カリフォルニア州ぐらいの広さに日本列島はすっかり収まる。その範囲を都道府県単位で細分化し、多大な行政コストをかけて、それぞれ賃率を定めることの無意味さに気づくべきだ。全国一律の賃金率だけ定め、後は必要ならば各広域地域の実情に合わせてプレミアムを加算するという方式に移行すべきだろう。制度は一度作ってしまうと変更し難いのは事実だが、時代遅れとなった制度は改廃しなければならない。最低賃金制度のように歴史が長く、制度自体が新たな変化に対応することを拒む足かせになっている例は数多い。

進む労働市場の階層化
他方、労働市場の階層化が急速に進行している。東京オリンピック関連工事などの関連で、被災地や地方の工事は人手不足がさらに深刻になった。2019年4月から日本はこれまで表向きは受け入れていなかった外国人労働者(単純労働)を、労働力不足が厳しい特定分野に限って受け入れるという政策に転じた。今回の外国人受け入れ政策転換は、またもや人手が確保できなくなった産業の圧力に押されて、不熟練労働者を受け入れるという成り行き任せの政策となった。

技能実習と新しく導入された特定技能(1号、2号)の差異は、外国人には大変わかりにくい。日本人でも、法令の文言と実態の関係を正しく理解することはかなり難しいのではないか。さらに、細部は省令に委ねられ、手続きもきわめて煩瑣のようだ。新しい制度であるにもかかわらず、具体的レベルで詳細を詰めることなく見切り発車をしてしまったので、現場には混乱が起きる。こうした準備不足で透明度を欠いた制度は、形骸化したり、犯罪など不正の温床となる。現に、特定技能制度は導入が拙速であり、受け入れの仕組みも整備されていない。送り出し側、受け入れ側双方に決定的な対応の遅れがあり、すでに多くの問題が発生している。

日本人がやりたがらない仕事を埋めるために外国人労働者を受け入れることは、多くの場合、日本人労働者の下に新たな低賃金労働者の階層を作り出すことになる。市場ビラミッドの最底辺を外国人労働者や高齢者が担う構図になっている。新たな下層労働市場の形成は、1980年代後半から進行し始めたプロセスだが、このたびの不熟練労働者の受け入れで一段と拡大した。

他方、期待する高度な専門知識や技能を持つ外国人は来てくれず、集まるのは不熟練労働者ばかりという流れは政策の貧困に起因している。必要なのは、現在の政策が内包する不合理な諸点の是正と関係者への透明度の貫徹だ。出入国管理政策とって最重要な要件のひとつは、外国人労働者を含めて国内外の関係者にとって、制度の体系、運用についての透明性、正当性が浸透し、確保されることが不可欠だ。その点が確保されない限り、制度の悪用、乱用は避けがたい。「多文化共生政策の推進」など、一見耳ざわりの良いスローガンも聞かれるが、決して安易な道ではない。

世界中にきわめて深刻な問題を提起している「移民・難民」の流れに対応する新たな出入国管理の政策体系とそれが果たすべき役割が、現状では全く感じられない。オリンピック後には、彼らのあり方を含めて、大きな混乱、反動が生まれることはほぼ確かだろう。足元を見直し、将来につながる政策を構想し直すことを期待したい。


稲上毅・桑原靖夫・国民金融公庫総合研究所『外国人労働者を戦力化する中小企業』(中小企業リサーチセンター、1992年)

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