時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

家庭に戻った仕事の意義を考える

2021年01月04日 | 労働の新次元
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18世紀の 家庭での紡糸作業と21世紀のホームワーク
Source:’Factories and families’ The Economist December 19th-January 1st 2021


新型コロナ・ウイルスが世界的に猛威をふるいだすとまもなく、多くの国でオフイスや工場の事務などの仕事がオンライン、テレワーク、リモートワークという形で家庭へと移行し始めた。変化は学校教育などの分野でも急速に展開した。これには、SlackやZoomなどのIT技術が大きな支えとなっている。

この変化はデジタル化路線の先取りのように評価される反面、コロナ・ウイルス感染が収束すれば以前のオフィス中心の路線にかなり戻ってゆく動きとも見られている。

18~19世紀でも家庭での労働は重要だった
英誌The Economistが興味深い指摘をしている。それを材料に少し考えてみる。1600年ごろから19世紀半ばにかけて産業革命の先端を切った英国では、怪獣BEHRMOTHに例えられる大工場への労働力の移動が進んだが、同時に家庭では靴下編み物やウールの紡ぎ、乳牛の搾乳などさまざまな仕事が行われていた。衣装から靴、さらにはマッチ箱まで、工場ではなく家庭の居間や物置の片隅で作られていた。

’Factories and families’ The Economist December 19th-January 1st 2021


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NB
18世紀イギリス繊維産業における家庭労働の断片

 
18世紀イギリス ヨークシャーで紡糸作業などをする家内労働者

The Jersey wheel として知られる家庭内紡糸機械

1776年、アダム・スミスが『国富論』で有名なピンの製造について記した時、彼の頭のなかには10人程度の小さな作業場がイメージされていたのではないかと思われる。当時勃興しつつあった巨大で悪魔的なイメージの工場ではなかった。

英国でも1800年代半ば頃までは使用に耐える統計はなかった。その意味では、この時期の実態は文学、美術その他からの印象も重要だ。『クリスマス キャロル』のスクルージは counting-house 会計室で働いていた。18世紀の家の多くは2階に大きな窓があり、ホームスパンなどの織布などの仕事は明るい光を取り入れて行われていた。

1900年頃、フランス政府は家庭生産で産業の主導権を取ろうとしていた。労働力の3分の1は家庭で働いていた。同じ頃デンマークではおよそ10分の1は家庭での生産に従事していた。アメリカでは1800年代初期には全労働力の40%以上が家庭で働いていた。
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家庭に基盤を置く産業の労働力 (at-home industrial workforce) の台頭には二つの理由がある。1600年頃からのグローバルな貿易の成長と個人所得の増加だ。ウール製品や時計への需要が増大した。しかし、台頭した技術は大規模工場よりは小規模な作業場に適していた。産業革命に力を与えたジェニー紡機が実用化されたのは1760年代以降だった。

19世紀後半、イギリス Coat’s of Paisley に雇われ働く児童労働者

この時に浮上したのは “putting-out system”(問屋制家内工業:商人から原材料の前貸しを受けた小生産者が自宅で加工を行う工業形態のこと)と言われた出来高ベースの仕事だった。労働者は原材料を受け取り、しばしば道具や機械類もデポから受け取った。それら家に持ち帰り、作業をし、製品の引き換えに、賃料を受け取った。労働者はいわば独立の契約者 independent contractorsであり、出来高払いで時間給ではなかった。

歴史家によると、このシステムでは労働者は容赦なくこき使われたという。機械と原材料を持つ者は権力を握っていた。劣悪な報酬、労働条件でも、嫌なら仕事などするなという状況だった。

事態を改善しようと労働組合が発展し始めたのは1850年代からだった。その効果も多少あって、工場制労働者は家庭労働者よりも10-20%高い賃金を受け取っていた。

工場システムへの支持と反抗
18世紀末からの工場システムの発展を評価する歴史家もいる。生産性と言う点では工場の方が高かった。しかし、工場制への反対もあった。19世紀、機械打ち壊しを目指すラッダイトへの参加もそのひとつだった。彼らは自分たちの仕事を奪うものとして機械を破壊した。

家庭の労働者は賃金は低かったが他の手段で埋め合わすこともできた。しばしば給付された原材料をうまく使って余剰を作り出した。家庭で働く労働者は自分の時間についても工場労働者よりも柔軟にコントロールができる。要求された質と量の仕事さえしていれば、後は仕事の仕方や時間には規制は受けない。労働と余暇のミックスを適切に設定できる。

19世紀の工場労働者
当時の工場労働者は一日12−14時間は働いていた。ハーヴァードの著名な歴史家デヴィッド・ランデス David Landesのような後世の経済史家がやや戯画化して言えば、18世紀の労働者は19世紀より短時間労働だった。日曜日の夜にしこたま酒を飲んで、月曜日は休みにし、火曜日はいやいや仕事をして、水曜日に体を温め、木曜日、金曜日は懸命に働き、土曜日は休みという働き方もあった。睡眠時間も長かった。

自律性を維持できることは母親にとっては特に重要だ。女性は子供のケアと家庭の所得の双方に寄与できる。

1920年、マックス・ウエーバーは労働者の仕事の場が彼らの家庭から切り離されることは「深い影響力を持つ」結果につながると述べた。工場は、家庭に基盤を置き仕事をする従来のシステムよりも効率的である。それと同時に工場労働では、労働者が自らの生活、人生をコントロールする力を失い、楽しみも失う場所が増えることを意味する。この考えにならうならば、今日のパンデミックが誘発した家庭への仕事の移行も同様に深い影響力を発揮するだろう。

参考:「時間」の長さの歴史
イギリス、週平均労働時間(実績)


Reference
モノクロ写真は下記文献から 
Anthony Burton, The Rise & Fall of King Cotton, Andre Deutsch, BBC, 1984
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