「物事をよく知るためには、細部を知らなければならない。そして細部はほとんど無限であるから、われわれの知識はつねに皮相で不完全なのだ。」(M106)
堀田善衛『ラ・ロシュフーコー公爵傳説』集英社、2005年
デュマの『三銃士』*を再読した時にも感じたが、17世紀も今日でも人間の愚かさには変わりがないようだ。時代が変わっても世の中にいさかい、争乱は絶えることがない。堀田善衛の長編三部作『ミシェル城館の人』は以前読んだことがあったが、この『ラ・ロシュフーコー公爵傳説』は初めて手にした。
元来、金言集とか名言集というものはあまり好みではない。というのは、金言や名言は多くの場合短文であり、読む人が置かれた状況次第で受け取る意味も変わってくるからだ。しかし、この作品は、別の点で興味を惹かれた。堀田善衛というきわめて強い個性、ユニークな思想を持った作家が、独特の文体をもって、この17世紀のモラリスト、ラ・ロシュフーコーなる人物を描き出している点である。「箴言集」が生まれる背景の物語といってもよい。ただし、あくまで創作である。ちなみに、堀田善衛はラ・ロシュフーコーの著作マキシムは、わが国ではしばしば「箴言集」と訳されているが、箴言という言葉はなじみがないので、原語のMaximesをそのまま採用するとしている。
たまたま、以前取り上げたリシリューの生涯について、少し立ち入って関連した文献を読んでいる間に、この作品に出会った。前半はリシリューの時代であり、後半にはマザランが登場する。マザランについては、肖像画などから受ける印象では、人当たりの良い穏健な人物であるかに見えるが、リシリューが推薦しただけに、かなり似たところも持ち合わせていたようだ。当時、巷に流行した小唄に次のような「生まれ変わったリシリュー」というのがあったという(本書、p.238)。
彼(リシリュー)は死んだのではない。
年齢を変えただけなのだ。
この枢機卿(マザラン)は誰も彼もを怒らせる。
堀田善衛がラ・ロシュフーコーというモラリストの生涯と思想の根源に迫った作品は、読み出すと止められない独特の面白さがある。この創作が現実とどのくらいの距離があったかについては、語ることができない。しかし、17世紀フランスという時空を理解するについて、多くのヒントが散りばめられていることは確かである。
著者は作中で、ラ・ロシュフーコーに17世紀を「女の世紀」と呼ばせている。デュマの『三銃士』でもそうであったが、王妃を始めとしてさまざまな女性が、縦横無人に活躍しているのは大変印象的であった。離れて見ると、実に面白い時代であったことに改めて気づく。
冒頭に記したマキシムについて、一言。このブログ、お気づきの通り、「断片」ばかりである。それが集まると、なにかが見えてくるだろうか。
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