大倉草紙

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【島根】 石見銀山

2009年05月05日 20時00分00秒 | 旅 - 島根県
12月28日(日)
当日の行程:(車…JR宮島連絡船・宮島口~宮島) → 【豊国神社(千畳閣)】【厳島神社】【大願寺】【宮尾城跡(要害山)】 → (宮島松大汽船・宮島~宮島口…車…自転車) → 【石見銀山(石見銀山資料館〈大森代官所跡〉・熊谷家住宅・大森町並み交流センター〈旧大森区裁判所〉・旧河島家住宅・豊栄神社・龍源寺間歩・清水谷製錬所跡・大久保石見守墓・羅漢寺)】 →(車)→ (松江泊)

平成19年(2007)、世界遺産に登録された石見銀山を訪れる。
石見銀山へ向かう道中、目に入る家々の瓦は赤みの強いオレンジ色で統一されていてきれいだった。
あとで調べてみると、このあたりでは石州瓦が作られているそうだ。
さて、石見銀山だが、自転車を借りて回ることにした。

【石見銀山資料館〈大森代官所跡〉】

まずは、石見銀山資料館で石見銀山の歴史について学んでから出発。
ビデオも上映されていて分かりやすい。


代官の抜け穴
石見銀山資料館が建っている場所には、江戸時代、代官所が建っていた。
資料館の裏庭には、代官の抜け穴がある。
百姓一揆が起こったときに逃げるための抜け穴だとか。


【熊谷家住宅】(重要文化財)

熊谷(くまがい)家は、17世紀に石見銀山の経営に携わっていたそうだ。
銀山経営のほかは、酒造なども営んでいたという。
寛政12年(1800)、焼失した後、享和元年(1801)に再建された。
現在の建物は、平成13年度~17年度にかけて保存修理工事を行い、幕末から明治初年の姿に復原したもの。
熊谷家の生活で使われていた道具が展示されている。
名家だけあって、どれも立派な品々だ。
炬燵でゆっくりお茶をいただきながら、熊谷家の雰囲気を楽しめるのもよかった。


【大森町並み交流センター〈旧大森区裁判所〉】

明治23年(1890)から昭和20年代初めまで、ここは大森区裁判所として使われていた。
現在は、町並み交流センターになっている。
明治時代の法廷や石見銀山の歴史に関する資料の展示のほかに、なぜだか漆喰鏝絵の展示もあった。


【旧河島家住宅】


石見銀山代官所地役人の遺宅。
建物は寛政12年(1800)以降の建築。
大森町役場や駐在所、農協支所などに使われた後、半解体修理をし、平成4年(1992)に竣工した。


【豊栄神社】


祭神は、毛利元就。
毛利元就は生前、自分の姿の木像を山吹城内に安置させたが、戦火を危惧した輝元はそれを城下下河原に建立した長安寺へ移す。
関が原の戦いの後、徳川氏が石見銀山を直接支配するようになると長安寺は荒廃したため、毛利氏は木像を萩へと引き上げた。
木像を引き上げる際に、元就の画像を置いていったそうだが、地元の人々はそのことに納得せず、京都の仏師に新しい木像を造らせて安置したという。
慶応2年(1866)、この地に本陣を置いた長州軍は長安寺に木像が安置されていることを知り、境内を整備し、豊栄神社としたそうだ。
それにしても、荒れた境内だ。
市指定史跡なら、もう少し市のほうでも整備に力を入れてもよさそうなものだが。


【龍源寺間歩】

龍源寺間歩の入口
一般公開されている龍源寺間歩へ。
龍源寺間歩は、正徳5年(1715)に開発された。
江戸時代の開掘の長さは600メートルに及び、これは石見銀山では大久保間歩に次ぐ大坑道なのだそうだ。
公開されているのはその一部。


坑道内


公開されている坑道の壁から、所々、このような狭い坑道が続いている。
蟻の巣のようになっているのか。
この狭い坑道の奥は、高さ約2メートル、幅約90センチで大人がやっと通れるほどの広さしかないようだ。
犠牲者も多く出たことだろう。

龍源寺間歩のほかにも、このあたりを歩いているとあちらこちらに間歩を見かける。
わたしは洞窟のようなものが好きなので、間歩にも心ひかれる。
夢中で写真を撮っていたら、夫に呆れられた。


【清水谷製錬所跡】

明治時代になると、藤田組(現:同和鉱業株式会社)が採掘を始める。
採掘した原料の鉱石は、製錬所の最上段までトロッコで運んでいたそうだ。


【大久保石見守墓】

大久保石見守(長安)の墓は、大安寺跡にある。
大安寺は、慶長10年(1605)に大久保長安が建立した寺だが、現在、建物は何も残っていない。
大久保長安は、関ケ原の戦いの翌年、石見国の初代奉行となり、間歩の開発によって銀の生産高を増加させるなどの功績を残している。


【羅漢寺】

羅漢寺は、銀山で亡くなった人々の霊を供養するために建てられた。
石窟五百羅漢は、月海浄印によって発願され、多くの人の寄進で造られた。
石で造られた羅漢の表情は、ひとつとして同じものはない。


反橋
石窟の前を流れる川には、反橋がかかっている。


羅漢寺の御朱印