京女のハマリゴト

好きなこと、美味しい店、キャラ弁、アッチャー(°▽°;) な出来事など、主婦ライターが京都から発信する雑多な出来事!

母のコト

2005-12-27 22:42:10 | 母のコト
私の母のことを書きます。

母のことを書いておきたいと思いつつ、現実を直視することができなくて、なかなか書けませんでした。

ブログをはじめた理由のひとつも母のことを書き残しておきたい、という思いがあったのに…。



私の母は約2年前の夏、肺癌を患いました。

以前から、咳がひどく医者からは「老人性気管支炎」と言われていたのですが、ある日、レントゲンに影が写っている事が判明。

検査入院し、結果は肺癌でした。

その告知をされた日は忘れたくても、忘れられない娘の誕生日でした。

その日の朝、娘の4歳になる誕生日を祝うため、何かとバタバタしていた時、

父が検査結果の報告をしに我が家へやってきました。

目を腫らして、検査の結果を告げる父。

そして、予想もしなかった病名「肺癌」。

さらに、追い討ちをかけるような「余命宣告」。

誕生日という楽しい気分が、一気に奈落の底に突き落とされたように、目の前がまっくらになりました。

急いで、子供を父に預け、病院まで車を走らせましたが、どの道を通ったのか今でも思い出せません。

ただ、溢れる涙を抑えることができなかったという記憶しか残ってません。

病室に入る前に泣きはらした目ではいけない、と思って何度も鏡をチェックしましたが、やはり母にはバレてしまいました。

「泣いていたん?」

母を目の前にし、笑顔を作ろうと思っていたのに、ただ目から涙がこぼれるだけ。。。

帰宅後、誕生日お祝いの食事の支度をしていても、プレゼントのよういをしていても、どこか心にぽっかり穴が開いてしまったようでした。

せっかくの娘の誕生日なのに。

笑顔作らなきゃ。

そう、思っても気持ちの切り替えが出来ぬまま、食事の時間を迎えることに。

「お誕生日おめでとう」と娘に言ったとたん、やはりボロボロと泣いてしまいました。

すると、娘が寄ってきて、「ダイジョウブ」と背中をさすってくれます。

当時、2歳の息子まで心配顔でのぞき込みます。

「ごめんなぁ。せっかくの誕生日なのに、ごめんなぁ。。。。」

子供たちの小さな小さな思いやりが心に深く染みました。。。。


その後、何とか気持ちを切り替え、母とともに癌と闘う決意をしました。。。

癌に効くといわれたことはダメもとでやってみよう…と。

笑うことがいいと聞けば、落語のCDを集めたり、まいたけがいいと聞けば、まいたけの味噌汁を毎日作ったり…。

癌治療についてもいろいろ調べましたが、母の肺癌はとてもやっかいな癌で手術は不可。抗がん剤しか効かない、しかも生存率の低い癌でした。

でも、神様っているものです。

抗がん剤が予想以上に効果を発揮し、7ヶ月近くの入院後、癌を消滅することができました。

少し体は弱くなったものの、普段と変わらない母が戻ってきてくれたことを家族全員で喜びました。

しかし、病気が恐ろしいのは病気が病気を呼ぶことです。

母は癌を一時的に克服したものの、抗がん剤の治療・放射線の治療による副作用に苦しみます。

容姿の変化、体調の変化に気持ちがついて行かず、とうとう鬱に…。

さらに、追い討ちをかけるように、再発・入院。

そして、退院後、今度はパーキンソン病まで患ってしまいました。

パーキンソン病とはこちら
(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で主演したマイケル・J・フォックスが31歳の若さで発病したことでも話題になった病気)

パーキンソン病とは脳の中で作られるドーパミンが減少していく病気です。

体が次第に動かなくなり、ひどくなると寝たきりになってしまう病です。

体の不自由だけでなく、精神的には鬱も現れます。

母も、言葉数が少なくなり、歩行困難、手や唇の震えなどが出てきました。

そして、月日を重ねるごとに症状はひどくなるばかり。

私や父もパーキンソン病の情報を集め、何とか知識を得たつもりでいました。。。

毎日、リハビリを兼ねて散歩をしたり、同時に癌治療に通ったり。。。

一難去って、また一難。毎日が祈るような生活です。

そして、昨日。

朝から様子のおかしい母。

言葉は発せず、食事中でもグーグー寝てしまう有様。

一人では食事もできず、食べさせてあげても噛むこともできない。

そして、失禁。

着替えさそうにも、一人で自分の体を支えることができず、手を離すと倒れてしまう状況。。。

この時、ちょうど父が外出中で家にいるのは私と子供たちと母だけ。

「お母さん、ちょっと自分の体支えて!! お着替えできないよ!!」

と言っても、フラーッフラーッと倒れそうに…。

濡れた着物を早く着替えさせなきゃ風邪を引く。

免疫のない母が風邪を引いたら命取り。。。

こう思うと気が動転して、私は一人でギャーギャー叫んでいました。

そして、一瞬の緩みが禍して、母を抱えたまま、転倒。

子供たちも異様な雰囲気に怯えた様子。

何とかしなきゃ、何とかしなきゃと気は焦るのに、動けない人の体ってとても重たいのです。

「大丈夫?大丈夫?」と叫びながら、母をなんとか起こし、着替えさせていると父が帰ってきました。

父「どないしたんや!!」

私「あかん。いつもと違う。何か変や」

急いで、父の友人の医師に相談し、急遽往診してもらうことに。

医師「急いで救急車を手配してください」

?????

医師「熱があります。パーキンソン病はストレスや風邪をひくとこんな症状になるんです。」

気づかなかった。熱も測っていなかった。

症状が進んでしまったとばかり思っていた。

介護とは毎日反省と絶望とわずかな希望の繰り返し。

そして、いつも子供の寝顔を見ながら「ごめんね」の連発だ。


母の闘病記録とその時を思いを忘れないうちに綴っていきたい。

嫌な心に占領されないように、少しでも希望が見出せるように。

京女の絵本ブログ



↓参加してます



恋の時間

2005-12-27 02:34:23 | ドラマに夢中
恋の時間第10話 「いちばん大切なもの」を観ました。

日曜日の午後9時に欠かさず観ていたドラマが最終回を迎え、なんだかちょっぴり寂しい気分です。

さて、今回の最終話は意外な展開で幕を閉じたのが印象的でした。

最終的には家族のもとへ帰るだろうと予想していた香里(大塚寧々)が、子供たちと別れ、そのまま恋を選び、

山田(宮迫博之)との恋が実るはず…と確信していた雪枝(黒木瞳)が恋より仕事を選んだ結末に。。。

姉妹でありながら、本当に対照的に二人の女性の生き方を描いたドラマでした。

何が幸せで何が不幸なのか…結局、ドラマの最終回を迎えても答えは出てきませんでした。。。。

ただ、同じ主婦として香里(大塚寧々)の選んだ道には共感できなかったなぁ。

勇一(山口馬木也)に対する気持ちや姑の問題には同情できるのですが、子供よりも恋を選んだ時点で、こっちの気持ちが冷めちゃいました。

どうしても、子供たちの気持ちを考えてしまうのですよね。。。

別れ際の寂しそうな子供たちの表情を見るだけで、香里が幸せには思えないのです。。。

きっと、いつまでも子供より恋を選んだことを後悔して生きていくんだろうなぁと思っちゃう。。。

最初は香里の方に共感していたドラマですが、ラストは雪枝にドンドン気持ちが傾いていました。。

恋に破れ、新たな恋も実らず、仕事も上手くいかなくても、決してあきらめない…そんな彼女にエールを送りたく思っちゃいます。

大人の女性の潔さや可愛らしさが黒木瞳が演じることにより、よりいっそう雪枝像が輝いて見えました。

印象深かったのは名前の由来のシーン。

雪枝は彼女が生まれた大雪の日、木の枝に積もった雪が、まるでお花みたいにきれいに見えたから「雪枝」。

香里は春の日に、匂い立つように咲いていた花を見て。

幼い頃から華やかな雪枝とおとなしい香里。

母親の房子は逆のような名前だったわね、と告げた後、「でも香里は遅咲きの花だったのかもしれない」と言います。

でも、ドラマの中では、おとなしそうな香里は春を待っていたかのように恋に生き、

全てを失ってもひとつ一つの輝きを積み重ね、地味ながらも懸命に生きている雪枝は、まさに名前の由来そのものと思いました。

「いちばん大切なもの」ドラマでは香里にとっては恋、雪枝にとっては仕事と思えますが、

ほんとうは二人とも「自分が一番輝ける居場所」だったのではないでしょうか?

私にとって「いちばん大切なもの」は何?と問われたら、

今はやはり子供たちでしょうね。


京女の絵本ブログ



↓参加してます