京女のハマリゴト

好きなこと、美味しい店、キャラ弁、アッチャー(°▽°;) な出来事など、主婦ライターが京都から発信する雑多な出来事!

思い続けていてくれたことに涙…

2011-08-18 00:10:35 | 母のコト

先日、16日。京都では五山の送り火が行われる日。亡くなった人をおくる日。

13日に母の墓参りを済ませていたので、16日はとくに出かけなかった私(松葉杖で出かけられなかったのもあるけど)

すると、突然、父が血相を変えてうちに飛び込んできた。

父の顔を見ると目は潤んでいるが、顔は笑っている。変な顔…( ´,_ゝ`)プッ

父曰く

「今、お母さんの教え子という人が来てくれはってな。仏前でな、いきなり

『先生…、今まで来れなくてすみませんでした』ってワンワン泣かはってん。わしゃ、びっくりしてしもたわ」

「何歳ぐらいの人?」

「おまえと同じ年」

「へ???? 私と同級? お母さん担任持ってたっけ?」

「いや。古典の補習をしてくれたりして、お世話になってたと言ってはった。あと、教育実習で来た時に

生徒ががやがやうるさくしていたら、その人が板書している間にお母さんが生徒を注意してサポートしたこともあったみたいや」

「あ、そういえば、お母さん、昔、うちに生徒を集めて補習していたことがあったわ。その生徒さんかな?」

「そうかもしれん。そやけど、あんなに泣いてくれはる生徒がいるっていうのは幸せやな。わしにはおらんわ。その人が涙を流さはるのを見ていたら、わしも泣けてきたわ…」

私もふと思う。今までお世話になった先生はたくさんいるけど、4年も前になくなった恩師を参って、しかも涙を流すことってあるだろうか?

よっぽど恩義を感じてないと、それはできないなと思う。

高校教師だった母は怖くて有名だった。他校に通う私の耳にまで入ってくるほど、コワイ先生だったらしい。

でも筋は一本通っているから、誰も文句を言わないし、言わせない雰囲気だった。

娘の私にとってもコワイ存在だったし、がんこな母だった。でも、亡くなった今でも、時折感じさせてくれる懐の大きさ、愛情の深さ。

母の優しさに触れるたび、感謝することのなんと多いことか。

4年経ってもわざわざ訪れて、手を合わせてくれた生徒さん。ほんとうにありがとう。

今年は五山の送り火を見ることは叶わなかったけど、母の新たな一面を知ることができ、

父と母を偲ぶことができました。

 

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企んでいること…フッフッフッ

2010-10-29 09:21:13 | 母のコト
今、私にはちょっとした、ほんとうにちょっとした野望があります。※野望なんて書くとすごく大げさに見えますね。。。

最近、仕事に行く時やウォーキングする時にIpodでいろいろな音楽を聴いているのですが、

その中にアンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」が入ってます。

んで、いい曲だな~と思っていたのですが、ちょっといいアイデアが!!

娘が小学校を卒業する時に、家でお祝いとして弾き語りをしたいな~と思ったのです。

娘と息子はピアノを習っているのですが、その先生は私も昔、ピアノを教えていただいた先生。

「京女。さんももう一度始めてみてはどう?」と言われていたのです。

んで、子供たちが練習した後、エリーゼのためにをちょっぴり弾いてみたら…

指がまったく追いつけなくなってました…( ̄Д ̄;;

何か目標でも作って、真剣にならないと上達しないだろ~と思っていたので、

「手紙」をマスターするという目標を掲げてみました。

とりあえず、楽譜探しです。

ちなみに、ちなみに、私の希望としては

旦那にも協力してもらいたいところ。。。

実は旦那は私よりもピアノは上手なんです。。。※すごく悔しいのですが…

なので、私が「手紙」を、旦那が森山直太郎の「桜」を弾き語りできればいいな~なんて思ってます。

今、娘は小学校5年なので、卒業まで1年以上あるし、頑張ったらできるかな?

もし、できなかったら、娘の中学校の卒業に合わせてもいいかな~と思ってる。先の長い話だけど。。。



以前、藤原紀香と陣内智則の結婚式で、陣内がサプライズでピアノを演奏しましたよね。

以来、ウエディングで、新郎がサプライズでピアノ演奏をすることがよくあるのですが、

誰かのために自分が努力するっていいな~と思うのです。

たとえ、演奏が下手でも、一生懸命弾いている姿って胸が熱くなります。

花嫁さんは誰しも「この人、私のためにこんなに努力してくれたんだ」って感動します。

素敵なドレス、指輪、美味しいレストラン、車。その人が努力して貯めたお金で買ってくれたものもいいけれど、

金額で計ってしまう部分があります。

でも手作りや何かを成し遂げることは、その分費やした時間や想いがたっぷり込められていて、

どこかあったかいものを感じます。

私はそれが大好きなんです。


昔、教師をしていた母はいつも忙しくて、どこか寂しさを感じていた私。

かまって欲しいけど、仕事と家庭の両輪で忙しそうな母を見ると、そんなわがままは言えませんでした。

でも、忙しい中、母は得意の洋裁や編み物を活かし、私に手作りの服やセーターを作ってくれました。

幼い私は、みんなと同じのがいいと既製品を欲しがっていて、母の手作りのありがたみをわかっていませんでした。

今から考えると、寝る間も惜しんで、セーターを編んでくれたり、洋服を作ってくれた母の気持ちを考えると、胸が熱くなります。

きっと、忙しくてかまってあげられない私のために、自分のできる限りの時間を費やし、気持ちのこもったものを作りあげ、愛情を注いでくれていたのだと思います。

朝、「できてるよ」と眠そうな目で机の上に手編みのセーターを置いてくれた母。

もっと、もっと感謝すればよかったと後悔します。

それらの服やセーターは、もう小さくなったり、古くなったりしているけど、大切にタンスの中にしまっています。

どうしても捨てられないものの一つです。

手にするたび、編み物をしている母の背中や手のぬくもりが残っているような気がします。

私は母のように、編み物や洋裁は得意じゃないけど、

同じように仕事でなかなかかまってあげられない子供たちに、母と同じように何かを残したいな…と思っています。

いつか子供たちが大人になって、「ママってあの時、こんなことしてくれた」「あの時はびっくりした」なんて思いだしてくれるだけで、私は幸せ。




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三回忌

2008-11-13 23:00:54 | 母のコト
あまりにも仕事が急がしすぎて、ちょっとブログをお休みしていました。。。すみません。。(>_<。)

さて、今日は母の三回忌の法要がありました。

横浜から3人の叔母たちも来てくれて、久しぶりに母の話ができて良かったです。

自宅にお坊さんを招いてお経をあげていただきました。

母の着物をどうしても着たかったので、法事にも向く渋めの無地に黒の帯を合わせてみました。。。

着付は私が自分で…と言いたかったのですが、今回は着付教室の先生に頼んで、着付けていただきました。


※旦那撮影:上から撮影したら、胴長に見えるじゃないかぁぁぁヽ(`д´;)/

法要後は墓参りをして、嵯峨野にある創作料理のお店「鳥居本 遊山」へ。

ここは私のお気に入りのお店。おせちも毎年こちらでお願いしています。

まずは前菜


次は紫芋のスープ。とってもまろやかな味~♪


おぼろ豆腐。荒塩で食べるとほんのり甘い!!


お刺身


白身魚のグリル。ソースがとっても美味しかった~


鴨肉のあんかけ。


近江牛のステーキ。


ご飯と一緒にいただくのはごぼうや昆布大根、うめぼしなどのお漬物


昆布と一緒に漬けた大根があまりにも美味しくて、叔母たちはお土産をいっぱい買ってました。

デザート♪ ブラマンジェが甘さ控えめで◎


おなかがいっぱいになったので、叔母たちとちょっと嵯峨野観光へ。



大覚寺近くの広沢の池です。まだ、紅葉のはじめですが、今日はとてもいい天気だったので、湖面に写る景色がとても美しかったです。


法要は何かと準備が大変だったのですが、お坊さんのいいお話を聞けたり、叔母たちと楽しい会話ができて満足できる1日でした。


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墓参り

2008-08-11 23:15:51 | 母のコト
今日、子供たちと父と母のお墓参りに行ってきました。

太陽がギラギラ照って、とても暑い1日でした。

墓地は緑に囲まれているものの、やはりそうとう暑かった。

墓の周りの草むしりをしている時、

ポツンと父がつぶやきました。

「ワシって、母さんと喧嘩とかしてたっけ?」

( ̄Д ̄;; え!?

毎日のように言い争っていましたけど…。

「そんなこと、な~んにも覚えてないんや」と父。

生前、元気だった頃の母と父はよく喧嘩ばかりしていました。

私の前であろうと、人前であろうと。。。

たまには仲のいいところぐらい見せてよね~、なんて言っていたのに。。。

ところが、病気になってから母は父を頼り、父は母のことを熱心に看護し、とても仲の良い夫婦へと変わっていきました。

父にとっての記憶って、きっといい思い出ばかりしか残っていないのだね。

それも、またうらやましいけど、ちょっぴり寂しい気もするな。


でも、墓参りをするたびに、家族で母のことを話そうね。

ちょっとでも忘れないようにしたいから。


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今年1年を振り返って…

2007-12-30 23:00:29 | 母のコト
アッと言う間に過ぎた1年だったな~と、つくづく思います。

昨年11月に母を亡くし、その後バタバタと過ぎてしまった数ヶ月はほとんど記憶に残っていない。

ふと気がつくと、ごく普通の日常生活を送っているのに気がつき、

そこに母がいない喪失感が時々胸をチクリと刺す。

母が亡くなったら、もっともっと悲しくて、もしかしたら普通に生活できないんじゃないか…なんて生前は思っていたのに、

実際は日常の慌しさに忙殺されて、悲しみに浸るどころではありませんでした。

もしかしたら、もう笑うことなんてできないのでは…と思っていたのに、

楽しいことを楽しく感じ、面白いことに声をあげて笑っている自分がいる。

最初は落ち込んでいたジイジも最近は人生を楽しむことに意欲満々だ。。。

それでも1日1回は必ず母のことを想いだす。

仕事が夕方までかかり、電車の中で夕飯の献立を立てている時、

母は幼い私を抱え、仕事と育児と家事をどうやってこなしていたんだろう?

落ち葉の掃除をしている時、そういえば、母は毎日角掃きしていたっけとか…。

お正月が近づくと、母の真っ白な割烹着姿が浮かんできたり…。

花屋で娘が何気なく「おばあちゃんの好きな花」だね、と言ってくれたり。

いつもいつも感じていることで、遠くに行ってしまったという実感がわいてないのかな。

新たな年を迎え、1年2年と過ぎていくと、こんな風に思い出すこともなくなるのかな。

私たちを見守ってくれていることを信じて、また来年も頑張ろうと思う。

江原さんのスピリチュアルな世界を100%信じているわけでもないけれど、

「亡くなった人はいつも見守ってくれてますよ」という言葉は大好き。

母がそばで見ているかもしれない…そう思うだけで、頼もしい気がするから。



さぁ、明日は大掃除のラストスパートだ。。。

新しい年が幸せなものになるよう、心を込めて大掃除しなくちゃな~。


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納骨式

2007-11-13 23:15:12 | 母のコト

今日は母が亡くなって、ちょうど1年。

一回忌の法要と、納骨式を行いました。

娘と息子も今日だけは小学校や幼稚園を休ませて、出席。

母は無宗教スタイルで葬儀を行ったのですが、今回は旦那の知り合いのお坊さんに頼んで、お経を唱えていただきました。

納骨に立ち会ったのは初めてだった私。昨日、半徹夜で縫い上げた骨を納めるさらしの袋に、骨壷から骨を取り出して入れて、そのまま墓の下に入れます。

墓下には祖母や祖父の骨がまだ残っていました。

いずれ、土に還るのです…とお坊さんがお話してくれました。



その後はお坊さんと一緒に霊園の近くにある料亭へ。


少しだけ紅葉していてきれいでした。横浜から駆けつけてくれた叔母たちも喜んでくれました。


室内からは竹林も望めて、風流です。


ランチ用の会席です。筍料理が自慢の料亭ですが、季節はずれなので今日は佃煮しか味わえませんでした。残念!


料理が次々と運ばれてきます。この揚げ物、とっても美味しかった~♪


竹で茹でた湯豆腐。ふんわり竹の薫りがしました☆


これは竹の器を炭火であぶった時に出る竹のエキス。ん~香ばしい味!? 水虫にも効くそうです。


最後には筍ご飯と湯葉のお吸い物が。満腹です!!

子供たちにはこんなお子さまランチが。

ご飯とお吸い物もあり、最後にはデザートも!!

お坊さんの楽しいお話と一緒に美味しいひとときをたっぷり過ごせました。

しんみりではなく、清々しい気分で今日を過ごせたのが何よりでした。



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墓参り

2007-08-14 11:12:28 | 母のコト

先日、子供たちと墓参りに行って来ました。

今年は母の初盆。

墓参りをする前に、家族そろって母の遺影の前で迎え盆をしました。

月命日の先日を選び、お供えもので飾りました。

葬儀が無宗教で行ったので、お経を唱えたりすることはせず、

「千の風になって」を流しながら、母の遺影に手を合わせるというかたちでしたが…。

それでも、泣かないと決めていたのに、なんだか涙がボロボロあふれてきて、

自分でも抑えることができませんでした。




墓参りでは、祖父や祖母に母を宜しくねと伝えて。

それにしても、混んでた、混んでた。。。。

ありえないほど混んでたよ…。

霊界も渋滞してたりして…。


私、今日から子供たちと小旅行に行ってきます~。今後は携帯での投稿となりますので、コメントのお返事が少々遅れちゃいますが、帰宅後、必ずお返事しますのでどうか宜しくお願いします



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葬儀その後…

2006-11-21 22:41:15 | 母のコト
葬儀が終わってホッとしたのもつかの間…

今はさらにバタバタしています。

葬儀が終わって襲ってくるもの…そ・れ・は

●生命保険の手続き
●役所への死亡通知提出
●銀行や郵便局など金融機関の手続き
●年金・健康保険の手続き
●相続&税金関係…

これは役所的な仕事

さらに…

これから年末なので

●喪中のはがき作成
●香典のリスト作成

などもあります。

ちなみに、母の葬儀は香典お断りのスタイルをとりました。

香典返しが大変だと聞いていたので、通夜・告別式でも香典を受け取らないスタイルに徹していました。

ほんとうに200人近く来られたので、「香典を受け取っていたら…」と思うとゾッとします。。。

だって、リスト作成や香典返しの手続きをするのは私と父しかいないのですから…。

が、予想に反して、香典は襲ってきました。

書留で送ってきたり、封筒に同封して送られてきたり、弔問に訪れて置いていこうとしたり…。

弔問の方には我が家の方針を伝え、丁重にお断りできるのですが、

送られてきたものに関してはどうしようもありません。

しかも、住所もなにも書いていない場合は涙もの…(´Д`;)

葬儀が終わってから、インターホンが鳴るたびに「弔問? それとも、書留?」とビクビクしちゃいます。。。

本当はありがたいこと…なのですがね。

毎日、1人1時間ほどの弔問を受けている父曰く

「ワシの時は香典断固お断りにしてくれよ」と。





何だかとっても毎日が疲れます。

ユンケル1本じゃ足りないよ。。。。。

今日、何だか気分転換をしたくて久々にケーキを焼きました。

シフォンケーキ。

でもね、やっぱり疲れていたのでしょうか?

レシピには最初に卵黄をあわ立て、塩と砂糖を入れると書いてあったのに、

私が最初に必死にあわ立てていたのは卵白でした。。。

しかも塩も入れちゃって。。。。(´Д`;)

イヤァァァ!! 間違えた!!と思ったときはすでに遅く…

メレンゲはいつまで泡立ててもピンと角がたってくれませんでした。

まぁ、いいっか…と思いながら、そのまま作ってそのまま焼いたら、

まったく膨らまない座布団ケーキができちゃった( ̄Д ̄;;

ココアシフォンが真っ黒の座布団になっちゃった。。。

つ、疲れているからね。アハハヽ(´▽`)/

ク、クリスマスまでには何とか汚名返上するのだぁぁぁぁ。




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告別式

2006-11-20 13:08:49 | 母のコト
まず、着付けをしなければならなかったので私だけ一足先に葬儀場に向かう。

母が揃えてくれた喪服をもって…。

着付室には着付してくれる担当者がいたが、この人が嫌な感じの人だった。

母の喪服は古いだの、帯が赤茶けているだのなんだのとイチャモンをつける。

(後で呉服屋さんに聞くと、母の方が昔からの正しいスタイルだそう。帯も日焼けなんてしていなかった)

というより、どんなボロ喪服でも良かった。母が揃えてくれたもので、母を見送りたいと思っていたのだから…。

おまけに帯をギューギュー締め上げるので、私は半分窒息状態だった。。。

キツケヘタダヨ。。。。( ̄Д ̄;;

告別式は通夜と同様、無宗教スタイル。

父がまず喪主として挨拶し、母の経歴や人生と思い出をスピーチ。

次に母の教え子や縁のある人が思い出を語ります。

母の大好きだった別れの曲がいっそう思い出を鮮明によみがえらせ、涙をこらえるのが辛かった。

最後に献花する際には、これでもう母の面影が消えてしまうと思うと辛くて辛くて。。。。。何度も何度もお顔を撫でてしまいました。

美しい花に囲まれた母は病床の時よりも美しく、こんなに美しい人だったのか…と涙があふれてしまいました。

たとえ、入院中でも、もっともっと化粧をして美しくさせてあげれば良かった…。

棺には母の好きだったおせんべいとコーヒーを一緒に納めて。


で、そのまま母の棺は霊柩車に乗せられ出棺。

ここで私たちは大慌てしてしまいました。

というのも、こんなにすぐに出棺となると思わなかったので、貴重品やコートやらも控室においたまま。

列席者が見守る中、控室と霊柩車の間を何度も何度も往復し、無様な姿を披露することになってしまいました。

※皆様、献花、最後のお別れの後は即効で出棺です。手荷物は誰かにすべて持ってもらうのがベターです。。。。

で、火葬場へ。

京都市の火葬場は現在、山科の一箇所しかないらしく、しかも一日約60人の火葬が行われるそうです。冬なら80人になることも。

なので、火葬場へ棺を納めるところはとてもシステマティックでした。

焼香の後、向かったのは、ズラーッと並ぶ、炉の扉。7枚ぐらいはあったと思う。

その中の1つの扉の前で手を合わせ、最後の、本当に最後のお別れをしました。

炉に棺が入ると、担当者に誘導され待合室へ。

何かのホテルのロビーかと思うほど、待合室は広く、併設された喫茶店も満員です。

「ここにいる人みんなが今日、告別式をしたんだ」

とても奇妙な気分になりました。

収骨は別室で。

娘と息子を連れて行くか悩んだのですが(ショックが大きいことを懸念して)、

一応、骨壷に入った状態を見せ、おばあちゃんはお骨になったんだよ…と教えようと思っていました。

が、

収骨の部屋への扉が開いた途端、まず足を踏み入れたのは、娘でした。

「あかん。あかん。」( ̄Д ̄;;と制止するのも聞かず、

人体型の母の亡骸をしっかと見届けた娘。

特に泣きもせず、冷静な様子でした。

私はふたり一組で収骨するものだと思っていたのですが、

木の箸と白木の箸を一対とすることでふたり一組の役目を果たしているそうで、

一人づつ収骨するカタチになりました。

ただ、頭蓋骨はそのままの大きさでは骨壷には入らないということで、

ガンガンと担当の方が骨を砕くのですが、何か痛ましくてみていられませんでした。

ちなみに、火葬は天然ガスを使い一気に焼却するそうなので、骨はカラカラ、灰もキレイです。焼け残りはありません。

無事、収骨を終えた後は、親族とともに会場へ戻り、そのまま自宅へ。

叔母たちは母を寝かせるために使った布団などはすべてほかしなさいと父に伝えたのですが、告別式を終えた後の父にはちょっとそれは無理みたい。

今、母のものをすべて始末してしまったら、それこそ、母の暮らした痕跡が失われてしまうようで、私自身も処分する勇気がもてません。

叔母は最後の最後まで「処分、処分」と言ってましたが…。

その気持ちもわかるんだけどね~。

終わったのは午後8時。

あまりにも疲れて、疲労度1000ぐらいだったので、この日は近くのファミレスで外食。

子供たちは大喜びでしたが、父と私はぐったりでした。

メニューを選ぶ気力もなかったほど。。。

お疲れ様とビールで乾杯する音がむなしく響き、料理もビールもちっとも美味しくありませんでした。

ちなみに、この日は帰宅後、すぐに爆睡。

すっごく疲れたんだな~。ほんとに。


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バタバタな通夜の日

2006-11-18 23:33:08 | 母のコト
14日の朝はいつも通りの朝でした。

以外にも落ち着いた朝でした。

娘を登校させ、息子は園の迎えの時間が通夜に間に合わないのでお休みすることに。

とりあえず、私がしなくてはならないこと。

喪服を探すこと!!


が、私、この年になってフォーマルな喪服を持っていなかったんです。

誰かの葬儀はいつも通夜に参列するだけでしたので、黒スーツでOKだったのですが、

さすが自分の母ともなるとフォーマルな喪服が必要。

なのに…用意していませんでした。。。(´Д`;)

いろんな服をとっかえひっかえ出したものの…何か変。。

とりあえず、通夜は黒スーツでいいとして、葬式はどうすんねんっ。

洋服がないなら和装だ!!

急いで母の和ダンスをチェックすると…

ありがたいことに、和装の喪服が揃っていた。

しかも、私の名前入りで…。

夏用喪服、冬用喪服、夏用留袖、冬用留袖…小物一式…。

ありがたくて、母の気遣いがうれしくて涙があふれちゃった。。。。

おかあさん、ありがとう。困ったときに助けてくれてありがとう…。この気持ちを伝えられないのが残念だよ…。

が、普段着物に縁のない私。

小物の名前がさっぱりわからない。

葬儀社が用意してくれた着付けに必要な小物のリストを見ながら悪戦苦闘する。。。

なんだ?コーリンベルトって?

襟芯って何?どれ???

帯留め? 肌着? ジュバン??? もう何がなんだかわかりましぇーん???

そこで、呉服屋に勤めていた友人にヘルプコール。

5分でかけつけてくれて、冷たくなった母を見て泣いてもくれて、しかも、ほこりだらけのたんす部屋で一緒に2時間近くも探してくれた…。

襟芯は最後まで見つからなかったが、自宅まで戻って、届けてもくれた。。。。

ありがとう。本当に困った時に手を差し伸べてくれる友達って、なんてありがたいんだろう…とつくづく思う。

夜、7時からはいよいよ通夜が始まった。

予想外の人が訪れてくれて、しんみりというより始終バタバタ。

私は献花してくれるたびに頭を下げなくてはならないので、思いのほか肉体的に疲れてしまう…。

通夜を終えた後はヘトヘトになってしまい、精神的にもボロボロ…。

親戚の人と寿司を食べたのに、何を食べたか覚えてない。

何の話をしたのかさえ忘れてしまった。

ただ、母の肉体が翌日には失われてしまう…と悲しくなって、棺の中をしばらく覗いていたのは覚えている。

しかも、おバカにも写真まで撮ってしまった。。。。。

何だか母の顔を忘れてしまうのが怖くて…。

祭壇の写真の中でニッコリ笑っている母はとてもふくよかでしっかりとした表情なのに、

棺の中の母はゲッソリ痩せて、蒼白だった。

それでも、最後の母の姿は忘れたくなかった。

あまりにも疲れていたんだろう。

通夜の晩は不覚にも爆睡してしまっていた。

続く…


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