興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

山本家住宅 (その2玄関前)

2017年06月01日 | 山本家住宅

今回は正門をくぐり玄関前からです。
玄関は唐破風(からはふ)屋根になっています。
玄関まわりは檜(ひのき)材を使用しています。


その前に少し私のライフワークである、興浜の金刀比羅神社について触れたいと思います。
山本家の前の網干1号線の道路を隔てて北側に祀られています興浜の金刀比羅神社は、大正時代に大規模な改修工事が行われました。
その時に多額の寄付をしたのが、金刀比羅神社に崇敬が厚かった山本家当主の山本眞蔵氏です。
芳名板には、三百円(現在の300万円以上)の寄附が残っています。
大鳥居の寄進、又五十円(現在の50万円以上)の永代御鏡料の寄進もされています。

この大改修工事で金刀比羅神社の拝殿・本殿は洪水対策の為、1m近く地揚げされました。
完成は、山本家住宅と同じ大正7年です。
ここ興浜では、山本眞蔵氏が三階建ての住宅を建てる時に、金刀比羅神社を見下ろすのは失礼だという事で地揚げを行ったという話も伝わっている事等から、山本家と金刀比羅神社は切り離して考える事はできないと思われます。
玄関の唐破風(からはふ)屋根は金刀比羅神社の拝殿・本殿の唐破風(からはふ)屋根を模したものと考えられます。
金刀比羅神社は現在銅板の屋根ですが、当初は檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根でした。
山本家住宅の屋根は杮葺き(こけらぶき)の屋根だったと伝わっています。(※現在の工事価格では、檜皮葺きより杮葺きの方が高価)

唐破風は曲線が美しく、大工の匠の技が表現される部分です。
唐破風には、「招き入れる」という意味が託されている事から、当主山本真蔵氏が網干の名士として来賓をもて成す為に建てられた迎賓館である山本家の玄関にはふさわしい意匠です。


玄関前の敷石は、金刀比羅神社の参道敷石のように真ん中をふくらませて水が溜まらないように加工されています。
表面は羽ビシャン仕上げで、外周の基礎石・山本家住宅洋館部分の大きな基礎石や金刀比羅神社の燈籠等、石工前川俵治が好んで採用した仕上げ方法です。
山本家に使用されている石材は、香川県の青木石です。同時期に行われた金刀比羅神社の改修工事に使われた石と同じ産地です。 
※明治18年(1885)3月 青木石の石切り場開く
  (丸亀市沖の北西約11キロの距離にある塩飽諸島最大の島である「広島」の青木浦字甲路に石切場を開いたのが始まり)

            
          羽ビシャン(はびしゃん)仕上げに使う道具
 
             洋館の基礎石
            
玄関に上がっていく石段は新在家の網干神社の拝殿前の石段と同じつくりです。

              網干区新在家の網干神社の拝殿の階段石
網干区新在家の網干神社は、明治42年3月2日に大国神社と宇賀神社を合祀し、同じ年の8月13日に社号を恵美酒神社から網干神社に改称したと魚吹八幡神社の記録に残っています。
その当時の8月13日は現在の魚吹八幡神社秋祭りの原形である魚吹八幡神社法放会が行われていた8月15日の前々日であり、この年に網干神社の改革があったと想像できます。

網干神社の石階段が先でそれを気に入った山本眞蔵氏が玄関に採用したのかもしれません。

二階東側の部屋は、鎧戸(よろいど)の上に千鳥破風(ちどりはふ)のつくりとなっていますが、これも金刀比羅神社の拝殿・本殿屋根を意識した形なのかもしれません。
山本家の信仰心が洋風建築に神社建築をミックスさせたのかもしれません。
『姫路市史第15巻下』にこう書かれています。
二階は、北面については出窓上部から望楼までの中央部分が半間程張り出し、全面ガラおス、引違いの掃き出し窓となっている。この部分には外側に高欄が付くという奇抜な造りとなっている。
私の意見を述べさせて頂けるなら、
この後のシリーズで紹介しますが、山本家北側2階和室と3階望楼からは金刀比羅神社を遥拝するつくりになっています。 

来客時には、窓ガラスを取り外し、窓ガラス越しでは無くオープンに外側の景色を見て頂いていたと思われます。
2階の窓ガラスは取り外されるので、転落防止の役割の高欄が付き、それが外部からのアクセントにもなっていると思われます。
写真下の2階北側の窓ガラスがある部屋は窓ガラスの内側の縁側のような部分の内側に雨戸が付いています。
これは昼間は窓ガラスを取り外した状態で、もてなした来客を宿泊して頂いた時に窓ガラスを付けずに雨戸を閉めたものと想像できます。
宿泊された証拠にこの部屋には蚊帳を架ける金物が今も残っています。
ですので、これは奇抜な造りでは無く、考えつくされた構造であると思われます。
 

                     興浜金刀比羅神社拝殿

 

             興浜金刀比羅神社東側の高い所からの山本家住宅千鳥破風部分

『姫路市史第15巻下』にこう書かれています。
屋根は洋室部分上部に反りのある切り妻屋根を架け、望楼部分は寄棟となっている。
特に注目されるのは、この切妻部分に付く懸魚の形である。
一見しただけでは日本の古い形式と見違うが、ギリシア建築の棟飾りなどに用いられるアンチフィクスが用いられている。
また、望楼の寄棟には燈籠状の棟飾りが付けられているのも面白い。
とあります。

  
〔唐破風(からはふ)〕
 屋根の切妻に付ける合掌形の装飾が破風です。
 唐破風は中央部の高い曲線をもち、玄関や門、向背などの屋根や軒に多いのが特徴です。。

〔千鳥破風(ちどりはふ)〕
 主に屋根の斜面に取り付けられる三角形の破風。装飾的に用いられる事が多く、城郭などでは唐破風と組み合わされる場合も。
 姫路城が名高い。
 興浜金刀比羅神社の拝殿・本殿も唐破風と千鳥破風が組み合わされています。

〔柿葺き(こけらぶき)〕
 こけら葺きは、日本古来から伝わる伝統的手法で、多くの文化財の屋根で見ることができます。
 防火上の見地から現在これを一般建築に用いることはできません。    
 また、こけら板とは、桧、マキなど比較的水に強い木材を長さ24㎝前後、幅6~9㎝、厚さ数mmの短冊形の薄板に挽き割りしたものです。
 厚みによって、柿葺き(こけらぶき)、木賊葺き(とくさぶき)、栩葺(とちぶき)と呼ばれています。

 柿葺き(こけら葺き)・・・最も薄い板(こけら板)を葺く。板厚2~3mm
 木賊葺き(とくさぶき)・・・こけら板より厚い板(木賊板)を葺く。板厚4~7mm
 栩葺き(とちぶき)・・・木賊板より厚い板(栩板)を葺く。板厚10~30mm
 尚、こけら葺きは、板葺きの総称として使われています。
 代表的建築物 柿葺き・・・金閣寺・銀閣寺
 ※檜皮葺(ひわだぶき)とは、屋根葺手法の一つで、檜(ひのき)の樹皮を用いて施工します。
 日本古来から伝わる伝統的手法で、世界に類を見ない日本独自の屋根工法です。
 多くの文化財の屋根で檜皮葺を見ることができるます。

協力:網干歴史ロマンの会・あぼしまちボランティアガイド
    石 関 係:播州石材(株)・八田石材(株)・石田造園
    銘木関係:原匠江尻店長
参考文献:『姫路市史第15巻下』

 

※山本家住宅は、第1、第3日曜日の10時00分~16時00分に公開中です。



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