興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

武神祭 その9 昭和53年当番町興  弐

2012年05月13日 | 魚吹八幡神社

 上のタイトル写真は、三木毅俊氏より提供して頂いた写真である。

 武神祭での一連の行事が終了し、檀尻が帰路につく魚吹八幡神社参道前の写真であるが、この写真の右上の部分を注目してもらいたい。

 楼門の部分に足場が組まれているのがわかるだろうか。

 この年の秋に行われる1650年秋季大祭に間に合うように楼門の改修工事中である。

 魚吹八幡神社楼門
 構造形式:三間一戸楼門 本瓦葺き
 建築年代:鬼瓦と丸瓦銘によって、貞享三年(1868)であることが確認できる。 『姫路市史 第15巻下』より

 万治元年(1658)5月2日に京極高和、網干興浜村に郡代・奉行を置く。
 万治元年(1658)5月3日に京極高和、播州龍野を出発し網干より乗船する。『旧丸亀藩事蹟』より

 京極高和が、龍野藩より丸亀藩に移り、飛び地である興浜に陣屋を置いてから10年後の建築である事がわかる。

つづく