興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

消えた道標(みちしるべ)

2011年03月01日 | 興浜新聞

 2月26日(土)より、網干まちなか歩きのイベントが始まった。

 少し暖かかくなり、あぼしまち交流館を中心に26日(土)と27日(日)だけでも大勢の人出だったようだ。

 興ちゃんは、NPOあぼしまちコミニュケーションのあぼしまち観光ボランティアガイドであるが、ほとんどその仕事をしていない。

 そのお詫びも含めて2,3記事を書いてみようと考えている。

 今回の記事は、まちなか歩きとはあまり関係ない。

 2月26日(土)興ちゃんは仕事中であった。陣屋門資料館でボランティアガイドをしていた興浜祭典委員長の辻さんから電話が入った。
 「折れた道標が陣屋門にある。浪花堂の前に建っていた道標と違うか?」という内容であった。

 浪花堂の前に建っていた道標は2年程前の道路工事の時に、境橋のところに移設されていたように思ったのだが、どうやらその道標が陣屋門にあるとの事。

 結局、26日は仕事で陣屋門に行く事ができず、27日(日)の夕方4時に陣屋門に行った時はボランティアガイドの方も居られず、閉門された状態であった。

 結論:浪花堂前の道標は、境橋の横に移設されていて勘違いのようである。
     陣屋門前にある道標はいつ・誰が・どこから持って来たのか。

  
  道標があった浪花堂東側(中野さん宅前)   境橋に移設された道標

  

  
 陣屋門資料館にある道標 
 「右むろつ」は読めるが、もう一面は建立した年号と世話人の名前のようである。
 ”三”と”庚寅”(かのえとら)の文字が見えるので、庚寅歳を調べてみると、天保元年(1830)が庚寅歳であるが、改元されたのが12月10日なので、ほとんど文政13年である。このあたりで正解となるか、もう少し調べる余地はありそうだ。
 世話人は屋号が読めないが新兵衛さんのようだ。

 ブログに書けば、どこにあった道標かは情報が入るであろう。

 収穫がありました。祭典委員長に感謝です。