今年の1月26日に投稿した「あぼしまち交流館のオープンと村紋」という記事で網干6ケ村の村紋(村印)について書いたが、今回はたつの市御津町の富島神社バージョンである。
と言っても詳しく調べたわけでは無く、祭り見学中に撮った写真を投稿するだけの記事ではあるが、祭りを見ながら考えていた事がある。
釜屋村の村紋についてだ。
1月26日の記事には、村紋は読み書きがあまりできなかったであろう江戸時代のお百姓さんの為に、田んぼの堰板(せきいた)に印をして、勝手に他村の堰板を開け閉めしないようにというような内容を書いたが、もし自分が村役人であったなら釜屋村の村紋のような複雑な図案を提案するであろうか。という事だ。
疑問を残しながらの投稿であるが、投稿するといろんな方から意見を頂けるのが、このインターネットのいいところである。