去年の10月17日に、「金刀比羅神社 土俵」というタイトルで奉納相撲大会については書いているので、詳しくはそちらを見てもらえばいいのだが、興浜の若い衆達が大好きな魚吹八幡神社秋祭りの原形である事をもう一度書いてみる。
去年9月に姫路市文化財保護協会が発行している『文化財だより第59号』の中に『魚吹八幡神社秋季例祭風流』について次のように書いてある。
『石清水八幡宮放生会の中心は雅楽と相撲でありましたが、魚吹八幡の祭礼は確実な記録で鎌倉時代の健治2年(1276)には相撲が主要な位置を占める祭礼が行なわれていたことが想定され、明治時代後半に至るまで祭礼において盛んに相撲が行なわれていました。現在は夏祭りのこども相撲として盛んに行なわれています。』
上記の通り網干6ヶ村(興浜・浜田・新在家・余子浜・垣内・大江島)にはそれぞれ土俵があり、夏に奉納相撲大会が行なわれている。
大会前の魚吹八幡神社澤宮司による御祓い
取組みの合間に網干中学校相撲部による練習の披露
午後8時に今年の夏祭りも無時終りました。