河北新報
<千葉県で再起>
「三浦さん」「高橋さん」「松下さん」
柵の柱に板が貼られている。牛を託して廃業した仲間の名前を記す。
房総半島の付け根にある千葉県山武(さんむ)市。遠く九十九里浜を望む丘陵が「飯舘牛」の第二の古里だ。
「小林牧場」。高台に牛舎が3棟並ぶ。福島県飯舘村の畜産農家小林将男さん(58)が村から黒毛和牛を運び込んだ。
東京電力福島第1原発事故で、飯舘村は全村民約6700人が避難。仲間が相次いで肥育を断念する中、小林さんは諦めなかった。
県から紹介された山武市の廃牧場は、周囲が静かで肥育に適していた。牛の成育には安眠できる環境が欠かせない。
2011年6月下旬、新天地で妻多美江さん(50)と再起を懸ける生活が始まった。
出荷が近かった20頭は宮城蔵王に避難させた。ほか142頭は7、8頭ずつトラックに乗せ、10日がかりで運搬した。一関市から駆け付け、手伝ってくれた人もいる。
370キロの長旅。生まれたばかりの子牛には栄養補給の点滴をした。
「とにかく無事に着いてくれ」。小林さんは祈りを込めて送り出した。
原発事故後、肥育を続けるのは小林さんだけだ。村から連れてきた繁殖牛が子を生み、月に3、4頭ずつ出荷してきた。
血を引いていても、法律の規定で「飯舘牛」と表示できない。放射線の全頭検査を行い「千葉県産黒毛和牛」「千葉(せんば)牛」の商品名で販売している。
<再稼働に懸念>
飯舘牛は1980年代、村が振興公社を設けてブランド化に力を入れた。原発事故前は、村内で約230戸が約2600頭を飼い、首都圏にも販路を広げた。
ゴシ、ザリ、ザリ。
牛舎のあちこちから、デッキブラシを掛けるような音が聞こえる。干し草を食べ終えた牛が餌台をなめ回している。
「アルコールの匂いがしないかい?」と将男さん。トウモロコシに発酵飼料を交ぜた小林牧場オリジナルの餌が放つ匂いだ。
独自の餌と飯舘牛の血筋が、さっぱりした脂、しっとりした肉質を生む。競り値は震災前のレベルまで戻ってきた。「3年かかったが、うちの牧場の肉としてようやく認められるようになった」
村は16年3月以降の帰村を目指す。和牛生産が再開できれば、子牛を譲って若い世代を指導するつもりだ。「帰る日までここで頑張る。村民が何年もかけて生み出した飯舘牛を絶やしたくない」
昨年11月、福島市の仮設住宅で暮らしていた父将清さん=当時(87)=が亡くなった。
「先が見えない生活に疲れたんでしょう」。よわい80を超えて古里を追われた父。残された母マサ子さん(82)は仮設に1人で暮らす。
なお12万人以上が避難する中、国は原発の再稼働を進める。「事故が起きたら、また多くの人が苦しむ。自然エネルギーが普及すれば、犠牲者が出ることはない」
衆院選では避難者の生活再建策をもっと議論してほしいと願ってきた。
「古里で元の生活を取り戻したい。それまでは避難者が早く自立できるよう支援してほしい」
[福島県の避難者]福島第1原発事故に伴い、11月末時点で12万1916人が避難している。うち4万6070人は県外に逃れている。避難者を最も多く受け入れているのは東京都(6190人)で、埼玉県(4992人)、山形県(4229人)が続く。飯舘村から千葉県に避難している住民は26人。福島県内の震災関連死は1817人で、直接死1603人を上回った。
2014年12月12日金曜日
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