大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

Aさんへ その3

2009-03-30 15:20:02 | 日記
 あっという間にあと一日で三月も終わりそうですね。井上陽水の『桜三月散歩道』や、新谷のり子の『フランシーヌの場合』、という大好きな曲がありますがご存知ですか?今度銀座の遊園地(クラブ活動の一貫としてカラオケ)で歌いませんか。今年一年間の大まかな目標として、220冊の読書と20品目の野菜の栽培育成と昨年同様50回の能楽鑑賞を最低クリアしたいと思っています。(あと9ヶ月 大丈夫かなぁ)
 昨日は少しだけ寝坊したのですが、上野にある教会に行き、沈元石牧師の説教『悔い改めて福音を信じなさい』というテーマでお話を伺いました。(沈牧師、心からありがとうございます)そのあとすぐに、原宿の『クックドレ』(宮島マスターは偉大である)で大急ぎでランチを頂き、国立能楽堂に駆け込みました。琉球王朝の組踊『女物狂』と能『隅田川』を鑑賞しました。シテは坂井音重さん、子方、梅若丸は観世善顕くん、ワキは宝生閑さん、ワキツレは大日方寛さん、笛は一噌仙幸さん、小鼓が観世新九郎さん、大鼓が柿原崇志さんという囃子方でした。いつものようにすっかり気持ちよくなってしまい幽玄の世界に引き込まれ、眠りこけてしまいました。笛の音色が私の脳を数分で完全に思考停止状態に追い込んでしまい、まるで催眠術にでもかかった様な不思議な感覚になっちゃいました。(お能の鑑賞ポイントはまず、最初の笛の一音だと思うんです。全くのド素人の意見ですが。誰か能と睡眠の因果関係(催眠誘導)について詳しい方がいらしたらご教示ください。)『主人公の女は物狂いとして登場し、舟で川を渡る間に真実を知り、対岸で亡き子の亡霊と出会います。隅田川のこちらと向こうを民俗信仰上の此岸と彼岸に重ねている。』と鑑賞の手引きの中で茂木仁史氏が解説していますが、本当に名解釈だと思いますね。物悲しげな鉦(しょう)の音色と子供(梅若丸)の声が切なく胸に響いてきておもわず泣き出したくなりました。(すごかった、、、)観世善顕くんは11歳ですが将来が楽しみですね。幼少時代から厳しい修行に打ち勝って日本の伝統文化の一翼を荷なっていることに尊敬の念を感じます。(世阿弥の風姿花伝だと『このころの稽古、やすきところを花に当てて、わざをば大事にすべし。はたらきをもたしやかに、音曲をも文字にさはさはとも当たり、舞をも手を定めて、大事にして稽古すべし。』という教えを素直に受け止める年齢なのかな。いずれにしても能楽者は素晴らしい『芸術家』ですね。)なぜ私は自然に能楽堂に足が向いてしまうのか、自分でもよくわからないのですが、何となく好きなんですね、お能が、、。
 能楽堂を辞して、いつものように『副島隆彦の学問道場』『植草一秀 知られざる真実』『神州の泉』のブログチェック。(世界の現実と事実を鋭く分析していて凄く面白いと私は主観的に認識)その後友人のYさんから事務所に遊びにこないかとお誘いの電話(呼出し)があり、茅場町まで出向きました。熊谷守一の水彩と寺山修司の自筆原稿、脇田和の油彩、ミロの手彩色エッチング(本物かどうか調べなきゃ)etc. を一通り拝見し社員のTくんと三名で丸ビルの『石月』でおそばを頂きました。(『三日月』時代からこの蕎麦やさんに通っています。結果、白ワイン一本とビール二本で私の一日があっという間に終わりました。(笑)

                                                       続く

Aさんへ その2

2009-03-27 17:13:39 | 日記
3月24、25、26日と京都大阪方面に出かけていました。
京都では、蓮華寺で友人のWさんと一時間以上、石川丈山が築庭したといわれている庭園でおしゃべりしていました。
Wさんは私の原告で、私はWさんの被告です。でも、先月、Wさんは私の被告で、私はWさんの原告になりました。
人間関係の修行っておもしろいですよね。人生、楽しんでます!
Wさんとは、3月24日の夜に、祇園で牛肉のお刺身をフルコースでいただきました。ゴージャスな夜でした。人生に感謝します。次の日25日は、京都高島屋の緑寿庵清水で金平糖を買いました。今年になって、3回ほど京都に行きましたが、毎回緑寿庵で金平糖を買ってます。とっても美味しいんですよ。3月の季節限定の金平糖は桜の金平糖です(毎月季節限定の色んな金平糖が発売されています)。25日の夕方、大阪に行き、私の顧問弁護士のOさんと中目黒にあるMアートギャラリーとの裁判の打ち合わせをしてきました。そのあとは、夜の大阪の遊園地(夜のクラブ活動)でカレラジェンセン2003を2本ほど飲み干し、ホテルTポイントで倒れ込みました(笑)。

ホテルTポイント
このホテルは、デザイナーズホテルみたいですけど、ほんとに素敵でセンス抜群です。朝食もすごく美味しくてアメニティグッズもとても充実していて料金もリーズナブルですよ。みなさん、大阪に行ったらぜひ泊まってほしいです。
(シンガポールのラッフルズホテルも素敵ですし、鹿児島の天空の森も素晴らしいホテルですけどね。余談ですけど、天空の森は高級ラブラブホテルだと大川原有重は断定します 笑)。

父の話に舞い戻りますね。
父は、大川原家の17代目当主でしたので、大川原家の長男としての目に見えないもの凄いプレッシャーがあったのだと思うのです。結果、とんでもない大酒飲みで、酔っぱらうと母を殴る蹴るの暴力沙汰が日常茶飯事、絶えなかったのです。私が物心ついた頃にはいつも、父が母に殴る蹴るの暴力を振るうのを見て、子供心で私は、止めに入ったことを昨日のことのように覚えています。たぶん小学校1、2年生の頃だと思うんですけどね(阿鼻叫喚地獄?でした)。
「父ちゃん、なんで母ちゃんのこといじめるんだ」と言ったところ、父に私は思い切り殴られました。
うっすらと雪景色の光景を今でも覚えています。その夜は、父親が夕方からどこかに出かけたのです。そんなときは、必ずベロンベロンに酔っぱらって真夜中に帰宅することが常でしたので、私はすぐ下の弟と一緒に縁側に短靴(当時はゴム製で一番安い靴でした)を揃えて、逃げ出す準備をしていました。酔っぱらって怒り狂っている父親の姿を見ると、怖くて怖くて仕方なかったのです。夜中、山道を裸足で逃げ回ったこともあります。父親に殴られて頭から血が流れ出していたこともありました。いまでも鮮明に覚えています。元祖、DVですよね。
「あんちゃん、凄い家に生まれたな」と星空を眺めながらすぐ下の弟とおしゃべりしたことは、いまでも私の記憶の中に残っています。そういえば、こんなこともありました。
私の父は、冬の間は猟師でしたので、猟銃を持っていて、山鳩や雉子、山鳥、野うさぎ、雀や猪の狩りをしていたんです。酔っぱらって、私に対して鉄砲の銃口を向けてきたことがあります。
「この野郎、ぶち殺してやる」と言われたこともありました。
「殺されるのかな」
私は、本当に怖かったですね。実の父親に幼少時代に殺されそうになったわけですから。
(人は人間関係の修行の為にこの世に生まれてくるのです)

つづく・・・

Aさん へ

2009-03-23 17:33:17 | 日記
A さん

 お元気ですか?私は何とか生活してます。
Aさん、私はいつも脳裏から離れず、ずうっと考え続けていることがあります。それは『悩み』という言葉に置き換えてもいいことかもしれません。一言で言うと、
『人はどうしてこの世に生まれてくるのか?』ということです。Aさんこんな単純で素朴なこと、考えたことありますか?
幼い頃の疑問、いや煩悶に似た感情をここに表明、というか告白しますね。
Aさん、このことは今まであまり他人に話したことはないのですが、私も50歳、半世紀も生きてしまった男ですので、心情吐露します。人はどうしてこの世に生まれてくるのか?一言で言うと『人間関係の修行』の為にこの世に生まれてくるのだとつくづく思うのです。人は泣きながら『この世』に生まれてきます。そしてまず両親に泣きながら挨拶します。両親は大抵大喜びで、赤ちゃん(子供)を祝福してくれます。私は、東北、福島の片田舎に1958年4月に誕生しました。経済的に貧しい農家の長男として生まれました。物心ついた時、父は出稼ぎ労働をして一家を支えていました。2年前に74歳であの世に旅立ちましたので、今頃三途の川を渡っている頃かなぁ、いやきっと無事渡ってくれたと信じています。
 父の出稼ぎについて記憶の糸をたぐらして、少し書き連ねてみますね。

茅葺き職人に弟子入り、黒いダイヤモンドと言われた炭坑労働者、石油コンビナートの下請けの仕事、日東紡という繊維会社の夜勤の仕事、等色んな職業を多分転々としたと思います。私は長男ですぐ下に年子の次男、妹や三男、4人の子供を裸一貫、肉体労働で育ててくれました。父のことを考えるとなぜか涙が自然に溢れてきます。いまでは感謝の気持ちで一杯ですね。父は貧しい生活を堪えて生きてきたと今さらながら思う今日この頃です。幼い頃の記憶は不明瞭というか不鮮明なのですがあまり父は家にいなかったように思います。当然ですよね、一家の生活を支える為に、出稼ぎ労働者は農業(農繁期)以外はたいがい夜行列車にゆられながら、都会(大都市)に行くしか現金収入を得る方法がなかったわけです。一家の生活の糧を得る為に、額に汗をながし自らの身体を酷使するんですね。
 父は身体が丈夫だったと思うんです。じゃないと炭坑では働けなかったし、地底何キロも深く潜り、つるはしで石炭を掘るのは想像するだけでも大変な仕事です。
(筑農に住んでいた『上野英信』の小説を読むことで、炭坑労働者の悲惨な状況をほんの少しだけ追体験することができます)私が言うのもなんですが、父はクソ真面目で、何事も丁寧に物事を処理する人でした。農作業でも茅葺き職人としてもすごく几帳面な仕事、肉体労働者の鏡みたいな存在でした。

                                                      続く

S様

2009-03-23 12:50:30 | 日記
S 様
 先日は大変お忙しい中貴重なお時間をさいて夕食に招いていただきありがとうございました。Wさんのアレンジで、いろいろお話しすることができて大変嬉しく思います。
 約40年にわたって世界の現代史を騙し続けているUSAのアポロ月面着陸詐欺事件に対して、事実に目を背けている圧倒的多数の地球市民。(おそらく大多数の日本人も月面に人類が降り立ったと信仰している)そのような中で我々はアートを通じて自分の幸福(自分の都合)を考えながら他人の幸せ(歓び)を願いつつ生きていくことは素晴らしいことだと思いますね。
 六本木のお鮨屋さんでは、お酒もまわったせいかあまり上手に自分の考え(思い)を伝えられなかった様な気がしましたので、手紙にすることにしました。Sさんから誰かいいアーティストはいませんか、とたしか質問された様に思うのですが、自分が最も注目している作家を列記すると、
�福田美蘭
�中上清
�伊庭靖子(神奈川近代美術館で個展開催中)
�横尾忠則
�村田朋泰(ビデオアーティスト)
だと思います。まだ他にも数名いますが、またの機会にお会いできれば、その時にお話ししたいと思っております。
私のつたない経験から申せば、優れたアーティストと出会う、もしくは探す行為というのは、海辺の砂浜で一粒のダイヤモンドを探すようなものだと思います。(読書も同様だと思います。)もちろん経済原理を中心にして考えれば、の話ですが。
 人は誰でも自分の都合で生きている人が圧倒的多数を占めているわけですから、アートに携わる人は、少々大袈裟かもしれませんが、経験を通じて知識を得、知性を磨いて独特の感覚を持ちながら特別な言葉にできない能力(勘)を研ぎすます努力をすることがベストな選択肢だと思います。
 木村泰司氏の西洋美術史の講座を是非貴社主催でとり行ってくださるとうれしいですね。まだまだお礼と感謝の気持ちを述べたいのですがとり急ぎ、先日のお礼まで。
 
時節柄、お体の方御慈愛下さい。
大川原有重


PS
昨年の成果、農大で週2回露地野菜の栽培と実習
国立能楽堂で50回以上の能の鑑賞(お能は約15年楽しんでいます)
約200冊の読書
訴訟をめぐって弁護士という職業には大変興味を持った(『反転』という本は大変参考になっている、特に日本の国家の出鱈目さが詳述されている)
斎藤一人と中村天風の著書は人間を深いレベルで洞察していてとてもいい本です。