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大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

浅学菲才な私 6 (『木を植えた男』)

2009-05-31 07:00:00 | 日記
人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行いは、長い年月をかけて見定めて、はじめてそれと知られるもの。名誉も報酬ももとめない、まことにおくゆかしいその行いは、いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、のちの世の人びとにあまねく恵みをほどこすもの。

                    『木を植えた男』 ジャン・ジオノ作から

 時々本屋さんに行き、絵本のコーナーに立ち寄る事があります。山奥で生まれ育ったので、小さな頃絵本なんて読んだ記憶がないのです。面白そうな題名の本を発見するとつい手に取っちゃうんですね。(笑)『木を植えた男』は小学校4年生ぐらいの子供だったら楽に理解できる絵本だと思うのですが、年齢を問わず、一度でも読んでみれば、心の底から『高邁かつ崇高な生涯』を送ることの素晴らしさを追体験できると思います。とてもいい本ですね。静かな感動というか、深く感銘しますよこの絵本は。。。
 もしも心が曲がっていて、間違った道や泥だらけのぬかるんだ、でこぼこの道を歩いてきた人がいるとします。そんな人でも『木を植えた男』の生涯を手本として、もう少しはっきり言うと、かけがえのない人生を生きる鏡として、『考え方』を改めて心を磨き、心を耕す努力をすれば幸せの道を選択することができると私は思いますね。『人の痛みを知る』『自分と出会った人の幸せを願う人』は美しさ、品格、オーラが違うと私は考えています。
 いろんな道があるし、どの道を進んでいくかは人それぞれですね。朝目が覚めただけで、人生に感謝ですね。
 
                     

グルメぶりっこ 2

2009-05-30 07:00:00 | グルメ
 一昨日の夜はとてもはげしく雨が降り、傘をさしてはいたのですけどそれでもびしょぬれでした。家路に帰る道すがら夕食は何を食べようか思案していました。近所のスーパーで食材を買い込み、簡単に自炊するか、それとも。。。「あれ?」ふと目をやると、真新しい看板、魚料理『さくら』が目に止まりました。その瞬間心が決まりました。時計の針も夜9時30分をまわっているし、小料理屋のドアをガラガラガラ。。。。とりあえず寒くて仕方なかったので熱燗を注文。オニカサゴの煮付けを一品、お願いしました。初めてのお店だったのできょろきょろ店内を眺めると、数枚のアルバムが飾ってあり、そのアルバムの写真を覗き込むと、全員女性で、顔だちはとてもきれいに見えました。どこかで見たことのある顔ぶれでしたので、よく目を凝らしてみたらタカラジェンヌの面々でした。時々宝塚歌劇を観劇に行くのでこれも何かの縁かと内心ちょっぴり嬉しく思いました。しばらく一人静かにお酒を飲んでいるとどこかで聞き覚えのある、独特のイントネーションと訛り、、、「ん?」すかさず店主に尋ねてみました。
「お父さん、どこの出身?」
「福島だよ」
「松川」
「ぼくは船引、同県人だ。あはは」
訛りはいいもんですね。コミニケーションの最重要な『幸せかつ仲良しツール』ですね。初めての出会いにおいてつい懐かしい故郷の共通理解と申しますか、妙な親近感が湧いてきちゃって、料理のおいしさも二重丸になっちゃいますね。同郷というだけで妙に安心感も増します。大都会では、身びいきですみませんが、福島出身の料理人で活躍している人がいっぱいいるんですよね。銀座でナンバーワンという噂の『レディタン ザ・トトキ』の十時さん、南麻布『分とく山』の野崎さん、原宿の『クックドレ』の宮島マスター、皆素晴らしい方々です。
『さくら』のお父さんもいかにも性格の良さそうな良い顔してました。
オラガフルサト
『フクシマ万歳 \(^O^)/』
多分『さくら』の名前の由来は宝塚歌劇団の「さくら」さんにちなんでいるんじゃないですかね。『さくら』のお父さんは宝塚応援団の一翼をになって小料理屋さんで毎日いい汗流してるんだろうな。おとうさん、えらいよ。

夜の遊園地 2

2009-05-29 15:48:46 | 日記
 先日は京都のNさんと夜の遊園地を数カ所遊びまわりました。ちょうどその前日、親しくお付き合いさせていただいている杉原あつ子さんがシャンソンバーでカンツォーネのライブをしますとのお知らせをいただいていたので、タイミングよく、というか自分の都合でNさんを杉原さんのライブにお誘いしました。私は音楽のことはほとんど無知無教養の部類に属するので、あまりかっこいいことは言えないんですけど、カンツォーネの歌い手として、杉原あつ子さんは日本ではトップクラスの実力派だと断言します。杉原さんは和歌山の御坊の出身で私と同級生、とってもキュートな女性です。カンツォーネ界のマドンナですね!その上気配りと、思いやりのあるとても暖かい包容力のある方です。もしも中学も高校も同じだったら、毎日下手な字でラブレター書いてましたね。すごく可愛らしくて、華と花を兼ね備えた歌い手さんです。彼女は心の美しさと純粋無垢な心やさしい女性なのです。イタリア語で絶唱するカンツォーネはとてもとても素晴らしく情感を込めて歌い上げます。月並みな言い方であいすみませんが、常日頃の努力と精進の賜物ですね。迫力満点です。イタリア語で歌うだけでもすごいことなのに、彼女は自分でイタリア語の歌詞を日本語に訳して毎日歌い続けている希有なカンツォーネ界の美しい歌姫様です。知り合って5年、もう何十回彼女のライブに足を運んだかな?これからも微力ながらも熱いエールを送りたいと思っています。いつまでもカンツォーネ界のマドンナでいてくださいね。
彼女の歌で好きな曲は、『孤独を抱きしめて』と『ウアッパ』がいいですね。『孤独を抱きしめて』の歌詞を紹介します。

『孤独を抱きしめて』  訳:杉原あつ子

”見慣れたいつもの街は朝靄に霞んでいる  溜め息も白く凍り
 冷気が肌に突き刺して  駅まで少しあるけれど
 列車には間に合ったかしら
 馬鹿ね、出て行ったあなたを まだ心配しているなんて
 そう夏の日、太陽両手で受けていたのよ
 二人が無邪気で怖いものもなかった
 冗談言ったり ふざけおどけたり 突然、無口になったり
 まるでドラマ La solitudine
 誰もいない部屋に戻り 窓を大きく開こう
 冷たい空気を入れよう 想い出を消し去る為に
 でもフォトスタンドのあなたは 私を見て微笑んでいる
 一人でやって行けるの? 孤独を味わうのは 私の方なのに
 あなたの言葉ひとつに 嬉しくなったり急に塞ぎこんだり
 笑ってたいつも 喧嘩してたいつも 二人の日々が今は愛しい
 私の中のあなたが少しずつ遠くなって行くのね
 一人、寂しい La solitudine
 胸の中の静けさと引き替えに あなたがいなくて不安なのよ、
 怖い 一人きりで生きて行けるかしら
 あなたのいないこの部屋の中、一人…”
                   

もし良かったら杉原あつ子さんのブログを見てください。杉原あつ子さんブログYOUTUBEで実際の杉原あつ子さんの歌声も配信されています。Nさん、また時間をやりくりして、シャンソンバー=大都会のオアシス巡りをしましょうか?

雑感3(副島隆彦さんのブログから)

2009-05-28 19:00:00 | 政治・経済
 昨日は、夜遅くまで副島隆彦先生のブログをつい夢中になって読んでしまいました。副島先生の最新刊の著書『日米「振り込め詐欺」大恐慌』(徳間書店)という本を発行することに際して、様々な裏話、というか本音が赤裸々に、「副島隆彦の学問道場」に述べられています。

『私は、この本で名指しであれこれ書いたことが多くの読者たちに衝撃を与えている。私は、分かりやすい文章で、徹底的に事実を明らかにした。 ところが、今の日本の出版業界の枠組みでは、、あれらのことは、あそこまで公然とは書けないこと、書いてはいけないこと、になるのだそうだ。 この事実に、著者である私が、一番、驚きました。』

 私は、『日米「振り込め詐欺」大恐慌』という本を一読して、今日の日本のある意味、政治的な危機的状況を改めて思い知らせれました。出版業界もマスコミも含めて、経営的な危機的状況に追いやられていることは、周知の事実ですので、今更強調しても仕方がないのですが、本が売れなくなったり、広告収入が減ったりする最も大きな理由は、歴史の真実を述べる眼と頭脳、もしくは該博な教養というか知性のある人々が少なくなったのも一因じゃないのかな?と思ったんですけどね。裏を返せば、ある勢力が、愚民化教育を計画的に仕掛けることにより、ゆとり教育という美名で圧倒的多数の人々を洗脳しているということですよね。
 また、こんな風にも副島さんは現在のマスコミについて述べています。参考で引用しますので、よかったら読んでみてください。

『私がこれまでずっと書いてきたとおり、日本のテレビ局5社・大新聞5社の10社が、全部アメリカの手先になっているから、日本国民には、大きな真実が伝わらない。日本国民は、アメリカの力で洗脳され、情報統制され、思想(思考)管理されているのだ。この思想・情報統制を打ち破って、何とか単行本市場(ビジネス書)で、全国の人々に本当のことを知らせたいと、私はずっと考えてきました。』

 以前も少しお話しした通り、副島さんは命をかけて、良識ある言論人の立場から、歴史の真実を世の中に明らかにして日本の危機的状況を少しでも良くしたいと願っている真の愛国者です。副島さんは自らの立場を鮮明にして、読書人階級の代表として命がけで頑張っています。だから、私は熱烈な副島ファンなのです。
 副島さんは、続けて主張します。

『ここは、学問のための道場です。 自分も参加して、本当の学問、本当の思想の勉強をやろうと思いなさい。 人から、何か聞いて、それで、自分は物知りになった、他の人たちよりも賢い、と思っている程度の人間たちなら、私は、どうでもいい。私たちは、知識と言論と思想で、本気で闘いたいのです。』

 私は、偶然本屋さんで副島隆彦さんの著書に出会う機会があり、心の底からついてるな、と思いました。最近の世界経済のダイナミックな変動、というか荒波を自分なりに読み解き、状況分析をしたいともがいていた時期に学問道場の会員になれたことはすごく幸せです。自分も読書人階級の末席に座っていたいと願いつつ、だからこそ最低、一日一冊以上の本は読み続ける努力をしたいと思い、日夜奮闘しています。当然、アルコールはちょっと控えめにしています。

 2006年6月に出た副島さんと船井幸雄さんとの共著『昭和史からの警告』(ビジネス社)は、とても口では言い表せないくらいためになる本だと思います。関心のある方は是非、読んでみてください。

浅学菲才な私 5

2009-05-27 14:16:48 | 日記
                   

 最近しみじみ感じる事は、自分はとても幸せで恵まれているな!という事ですね。久しぶりに自宅に帰り、何気なく部屋のテーブルの片隅に置いてある5月のカレンダーに目をやると、

”私はいつも
小さな
幸せをかぞえます。
一つかぞえると
一つ花が
咲きます
二つかぞえると
二つ花が
咲きます
たちまち私の心はいちめんのお花畑に
変わります。”

と書かれている事に気づきました。筆者は私の尊敬する『斎藤一人』さんです。私はこの方の様々な著書と講演を通じてかなり命びろいしました。特に「心」のことと「劣等感」(コンプレックス)のことを明解にわかりやすく説明してくれていてとても楽しく明るく生きていく勇気を与えられたのです。
 斎藤一人さんはビジネスの世界ではカリスマ的存在ですので、たいがいの方はご存知だと思います。斎藤一人さんの本はだいたい30分位で読める本ですので興味のある方は是非読んでみてくださいね。
プルーストは『失われた時を求めて』という著書の中で「実際のところ、本を読んでいるとき、どの読者も自分自身を読んでいる。」と述べているそうですが、読書というのはとても楽しい心の旅ですね。斎藤一人さんの著書はとてもわかりやすく、『幸せの道の歩き方』を指し示してくれていて、元気になれるんだな。

 読書というのは心の砂漠に水を与え種を蒔き、作物や美しいお花を育てる行為に似てると思うんですけど。。。

春眠曉を覚えず (中森ジュアンのメッセージ)4

2009-05-26 19:00:00 | 日記
31 あなたに乗り越えられない困難は与えられません。
   逃げずに、静かに、感謝して、クリアしましょう。

32 どうでもいい事に無駄なエネルギーを使わないこと。
   貴重な人生の時間(いま)を、歓喜をもって輝かせましょう。

33 風のように自由に、山のようにゆるぎなく!
   空のように広がり、小鳥のように無邪気に!

34 現実は、あなたの心をうつし出す鏡なのです。
   しっかり見つめてあなた自身を知りましょう。
 
35 こだわりを捨てれば、もっと自然でいられます。
   とらわれを離れれば、もっと自由でいられます。
 
36 ゆったりと自然のペースが、ベストです。
   アセリやムリヤリは、かえって障害です。

37 動物や植物達をかわいがってあげてください。
   親しい人たちに対すると同じ愛をあげてください。

38 責めることはたやすいことですが、許しましょう。
   難しいことでも、努力する価値は十分にあります。

39 想像は、創造の花を咲かせるための種となります。
   あなたが望む花の姿をありありと想像(イメージ)しましょう。

40 すべてを「ありがとう!」と受けとってみましょう。
   すべてが「ありがたい!」ことに変わっていきます。


  

敵(あるいはわが師匠)

2009-05-25 18:00:00 | 日記
 私はどちらかというと平和主義者だとつくづく思うなぁ。そのわけを言うと幼い頃から何十年にも渡って酒に溺れた父親の暴力沙汰(行為)による母親と私達子供への『殺傷未遂事件』と呼んでもいい経験(人間関係の修行)を沢山したことが、遠因だからです。事の大小に関わらず「争い」ぐらい無意味かつ非生産行為はないんじゃないかなと実感レベルで学びましたね。
 でもね、世の中には『勘違い』というか心の態度を『曲解』した幼稚な精神年齢の人々が今現在も確実に増えつづけているみたいです。そういう人々のことを私の尊敬する副島隆彦先生は『鬼』と呼んでいますが、私は『敵』と言いかえてもいいと思います。飢えて腹が減ると『鬼』というか『敵』は獲物(金や資源etc.)を求めて争い(戦争や裁判etc.)を挑んでくるのは世の常ですね。(鬼さん(敵さん)お手柔らかによろしくね(笑))かけがえのない貴重な時間を費やして”対決”するのは、まぁ、いた仕方ないですかね。売られた喧嘩は上手くかわしたいけど私の先輩である深見東州さんは「一度殴られたら、三度殴り返していいよ、その後は何事もなかったように和解して付き合えばいいのです。」というようなことをさらりと、ある本に書いていました。深見東州さんの後輩である私は、大学キャンパスの正門にある良心碑『良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ』を見つめながら、プロテスタントの大学で学生運動に頭を突っ込んでいました。(その頃は本気かつ純粋に思い込み激しく解放運動や朝鮮問題の研究会で差別撤廃の活動に関わったり、マルクスの資本論を一ヶ月かけてノートをとりながら読書したり、レーニンの著書もわりと読みあさりました。もちろん聖書も勉強しましたけどね。あれれ、ちょっと話が横道にそれちゃいましたね!人生における様々なドラマや出来事に無駄なことは何もないと思います。全てが貴重な経験となって魂のレコードに刻まれて、あの世に旅立てると私は思うんですよね。)
            
               敵となる 人こそはわが 師匠ぞと おもひかえして 身をもたしなめ 

               無勢とて 敵をあなどる ことなかれ 多勢を見ても 恐るべからず
                                    
                                      いろはうたから引用

※ 21日「青い鳥」、22日「雑感1(荻生徂徠について)」の中の文章表現を少し訂正いたしました、あいすみません。

カンボジアにて 2

2009-05-24 07:15:00 | 旅行
                   

                   

                   

                   

                   

カンボジアのプノンペンからシェムリアップに向かう道中の風景を一瞬だけ捉えてみました。いずれ機会があれば、プノンペンとアンコールワットのことを書いてみたいと思っています。バスの窓から田舎の農村の人々を見ていると、大昔の日本の原風景みたいなものを想像してしまいました。農村の子供達は裸足でつぶらな瞳でした。物質的には、電気も電化製品も一部の人を除いてほとんど家財道具らしきものはないと思いますが、心は豊かな人々じゃないかなと私は思いました。

雑感2(シンワアートオークションを下見して)

2009-05-23 07:00:00 | 日記
 一昨日、目の保養も兼ねて、シンワアートオークションの会場にのこのこ出かけて行きました。天気はうっすらと曇ったはっきりしない日の午後でした。会場では、いつものようにTさんが親切に案内してくださいました(私は客と言えるような身分じゃないんですけど)。1階のフロアには、大家というか大御所の日本画家の名品(優品)がズラリときれいに展示されていました。目の保養には申し分ないボリュームというかさすがにシンワはちょっと格が違うなと、私は率直に感じました(誤解しないでほしいのですが、人それぞれ、いろんな意味で立場の違いも含めて美術作品を観る上で、『ある基準』がありますからね)。
 安田靫彦先生の『つばき鶯』という題の日本画が、私の眼には一番魅力的に映りました。小林古径先生の『春宵』というフクロウを描いた絵も妙に琴線に触れる優品だと思います。地下1階の油彩画では、安井曽太郎先生の『風景』がダントツにいいですね。空間構成はほぼ完璧で独特のリズム感というか生命の躍動を感じる名品だと思いました(額縁はちょっと・・・)。向井潤吉先生の1940年、第27回二科展出品作品である『豆満江畔』という大作は、いわゆる珍品に属すると思うのですが、民家をモチーフにした画家としてつとに有名な向井潤吉先生の若き日の力作ですね(見識のある美術館が是非ビットしてほしいと思います)。

 率直に会場を見て回って思うことは、時節柄、エスティメイトがかなり低く設定されている、ということです。プライスのことについては、いずれ別の機会に触れたいと思います。
(いわゆる近代日本画、洋画というジャンルの絵画作品の著しい値崩れ、というか崩壊に近い現象について、私のようなド素人が論評するのもいかがなものか、と自戒の念を込めながらこの文章を綴っています。)

 数年前にある事情通の人から教えてもらったのですけども(真偽のほどはわかりませんが、たぶんあり得る話だと私は判断しています)、ある著名なSという写真家が、近代日本画を密かに体系的にコレクションし続けているという話を私は小耳に挟みました。その話を聞いた時に、なるほど!流石だな、とSさんのことを思いましたね。日本美術史を俯瞰してパースペクティブに物事を捉える、あるいは日本美術史を遡及し、美術作品を本来あるべき正しい位置というかポジションに据え置き、いわゆる現代美術の領域にまで繋げていく崇高な行為は、Sさんのような写真家(あまりにも裕福な、且つ審美眼と洞察力の確かさ、磨き抜かれたセンスの良さを兼ね備えている人物)にしか実現できない正しい行為(美しすぎる出来事)なのだと私は思うのですけど・・・







(写真は携帯電話で撮ったのであまり上手くいきませんでした・・作品を目の前にすると素晴らしかったので、興味のある方は、会場に行かれるか、カタログを見てくださいね。)

雑感1(荻生徂徠について)

2009-05-22 19:05:45 | 日記
古代には聖人がいた。
現代には聖人がいない。
だから学問は古代を対象とせねばならぬ。しかし、古代がなければ現代はなく、現代がなければ古代はない。現代も捨て去ることはできないのだ。時代は次から次へと続くので、どの時代でも古代になるし、どの時代でも現代であった。だから古代に通暁して基準を立て、現代を知って体得し、時代ごとの差を見極めて推移の後を観察すれば、民俗や人情について手のひらの上においてみるように明らかとなろう。
                                 荻生徂徠のことば


 芸術作品(美術品と呼んでもいい)を鑑賞する時にいつも上掲の荻生徂徠のことばを念頭に置きながら「作品」に接するように努めています。ですから、芸術作品(美術品)の創作者(制作者でも、もちろん広い意味で音楽家も含めた芸術家でもいい)の心や魂の純度のレベルみたいなものを私はじいっと洞察(心眼)します。もちろん、テクニックも重要ですけどね。ま、ド素人の意見ですけど、荻生徂徠のことばは、今日の混迷する煩悩の世界に彷徨っている多くの日本人にとってとても大切なメッセージ、というか真言だと私は思っています。大抵の事象は、荻生徂徠のことばを参考にして、歴史を解析もしくは分析すると、とても役立つと私は思っています。
 最近の経済のダイナミックな変動(多くの人々はしょんぼりと自信喪失して、不況だとか不景気だとか言っていますけど)というか、大津波や大地震が日本列島を襲いかかっていると信じ込んでいる『迷える子羊状態』に洗脳されている私(たち)にとって、歴史を読み解く真摯な心の態度を持ち続けることが、今ほど大切、且つ重要な努めなのではないかと私は思うのですけど・・・先人もしくは哲人の透徹した思想は、後世に遺された大切な贈り物ですから、私たちは、頭を下げて学び続ける義務と責任があると思うのです。そうすることが『幸せになる大道』を歩むことができると私は確信しています。

追伸:ある日の夜の遊園地で、偶然もしくは奇遇な出来事だったのですが、荻生徂徠さんを先祖として二十数代も家系が続いている荻生さんにお会いする機会がありました。荻生さんは、上掲の聖人の話は知らなかったそうです。歴史的な人物の血縁者に21世紀の大都会の一隅でお会いできるなんて妙な因縁というか縁を感じましたね。

青い鳥

2009-05-21 07:00:00 | 日記
                      

 つい数日前、縁があって『青い鳥』に出会いました。信じられないくらいのプライスでした。(想像におまかせますがこの『青い鳥』の餌代は一円もかかりません!)この作家の事は10年くらい前から今はどこかに消えてしまったギャラリー(所属?)で初めて作品を拝見し、数多くの作品を購入しましたが、今現在は、ほんのちょっとだけ(数点)しか手元にありません。でも、気になる作家ですね。『幸せな青い鳥』と勝手に私は名づけてみようと思います。もしくは『幸せを呼び込む青い鳥』とでも名づけようかな。制作年は2002年になっています。一見すると具象絵画と大抵の人は判断するんじゃないかな。でもね、実際に作品を手に取って間近でじーっと見ると究極のドットペインティング、超神経質(いい意味で)な職人気質、目と指と頭脳の見事なハーモニーから抽出されたダイヤモンドに似た美しい結晶、と言っても過言じゃないくらいいい作品だなと率直に私は思うのですが、、、まぁ、ド素人の意見ですけどね。

 本音を言うとこの作家は不当に、あまり高くない評価(不名誉なレッテル)を貼られていますが、取り巻きが悪いのかな(失礼な言い方でしたら率直に謝ります。でも、事のいきさつをちょっとだけ言うと、取り巻きのN君にはそうとう私は面倒見たと思うし、心を込めて援助も協力もしたんですけどね。笑)でも、今回の経済のダイナミックな変動というか、荒波を乗り越えて、一歩一歩『幸せな道』を信じて頑張ってほしい(究極の絵師として)と私は祈念しています(N君は私の前には、2度と姿を現すことはできないでしょうね)。結論を言っちゃうと「これからもこの絵師の作品を買いつづけてみようかな」(手元資金があればの話ですけどね)

注*画像は作品の一部分を載せてみました。
(ちょっとだけ文章を手直しさせていただきました。 2009年5月22日)
                      

会津八一のこと

2009-05-20 19:00:00 | 日記
               ひとり きて かなしむ てら の しろかべ に
               
               きしや の ひびき の ゆき かへり つつ      会津八一(秋艸道人)

 
 歌人の会津八一さんのことについては以前少しだけ、触れたことがあるのですが、古美術の世界にちょっとだけ関わって最も大きな収穫というか、心の中の宝の一つだと思うのは秋艸道人(しゅうそうどうじん)のことかなぁと思います。会津八一の名前をはじめて知り、彼の書と歌の世界に出会い魅力を感じたのです。孤高の歌人は生涯独身、潔癖かつ高潔な生涯でした。私はそんな会津八一の人柄と生き方に頭が下がる、というか頭(こうべ)をたれるしかないですね。上掲の歌が一番好きな歌です。他にもいくつか暗記している短歌がありますが、『自注鹿鳴集』は新潮文庫からもでていて、よくバックの中に忍ばせて時間があれば目を通すようにしています。この『ひとりきて~』という歌は菅原の喜光寺にて詠んだ歌だそうです。本当にいい歌だな、と妙に関心というかほれぼれするのです。会津八一の書は記憶では20点くらい所有していたことがあって、どの作品にも愛着がありました。代表的な歌(書幅)はほとんど所有していたと思うのですが『ひとりきて~』だけは十数年探しているのですが会津八一記念館でも、また北方文化博物館でも見たことがありません。いろんな会津八一展の図録も自分としてはわりと持っていると自負していますが、不思議なことに、この歌の(会津八一自身による自筆の)書も、ペン字も見たことがないのです。もし誰か『ひとりきて~』の書を見たことがある人がいたら是非ご一報下さい。いつか自分は福島の実家の氏神様の敷地内に(この歌を)歌碑にして建立したいなと夢見ているのです。


読書について(浅学菲才な私 4)

2009-05-19 18:06:00 | 気になる本のこと
 今日は妙に眠くて仕方がない一日でした。ここ1、2週間旅が続いたので、少し身体を動かし過ぎたかなぁ。

 毎日1、2冊の本を読む行為は、脳を鍛えるにはすごくいいなと思いますけど、10年くらい前にある人から勧められて手にした内村鑑三著『後世への最大遺物』(岩波文庫)は名著だと断言します。
 この本は、私が読んだ本の中では、トップ5のなかに入る心のバイブル、というか私の生きる指針みたいな書物です。題名からも分かるように人はこの世に生まれ、あの世に旅立つまでの間に何を残すことができるのか…
 内村鑑三はまず、お金を稼ぐことの重要性を熱く語ります。しかし、お金が思うように稼ぐことができないのなら事業を興す、もしくは事業する人に協力することの必要性を説きます。しかしそういうことも難しければ新しい考え方をする、思想を打ち立てる、新しい考え(いい考え)を実行する精神を筆と墨とを持って紙の上に遺すことができる(たとえば文学や哲学etc.)と内村鑑三は説くのです。お金、事業、思想、これらいずれもなかなかできそうにない場合でも、人はこの次にあげることだけは実行できると語ります。

  『勇ましい高尚なる生涯を送ることである』

 このことは心がけ次第で誰にでも実行できるし、気づいた時に心がければよいのだと、明治27年7月にキリスト教徒の夏期学校で内村鑑三は講演をしているのです。もしよかったら2時間くらいで読める講演集ですので、関心のある方は読んでみてくださいね。私は、この書物に相当計り知れない影響を受けてここ10年ちょっとの間を過ごしてきました。

ベトナムとカンボジア

2009-05-18 18:02:23 | 日記
 一月のある日、所用でベトナムのホーチミンに行く機会がありました。おびただしい数のバイクに乗っている人々、けたたましいクラクションの音、初めてのベトナムはとても刺激的な町でした。ホーチミンで一泊し翌日プロペラ機でプノンペンを訪れました。戦争博物館を見て、そのあとキリングフィールドを訪れ、なまなましい歴史の傷跡を目の当たりにしたのです。キリングフィールドはポルポト支配下で、ジェノサイドが行われた刑場跡地です。100万とも200万とも犠牲者が出たといわれており、未だ正確な数字は分かっていないそうです。頭蓋骨が5000個以上ガラス張りの建物に展示されており、とても正視できるような状態ではありませんでした。処刑場の跡地には犠牲者の身にまとっていた衣類が土中からそこかしこに表出して散乱しており、残酷というか、言葉では言い表せないようなむごたらしい情景でした。同行した人々は刑場跡地に向かって誰一人カメラで撮影する人はいませんでした。いかなる理由があろうと戦争は絶対に反対です。(強く思いましたね)日本人観光客はキリングフィールドを訪れる人はあまりいないそうですが、是非カンボジアに行かれたら一度は訪れた方がいいと私は思います。
 プノンペンから、バスで約7時間かけてシェムリアップに向かい、アンコールワットを初めて訪れました。とても印象的な遺跡の町を2日間ほど散策しました。(海外には何十回か訪れた事がありますが、日本に帰国して、またすぐに行ってみたい国(旅行)はカンボジアが初めてです。いろんな意味でとても意味のある時間を過ごす事ができたのです。)
 シェムリアップからベトナムのハノイへ行き、ハロン湾で15人くらいでワインを浴びるほど飲んで楽しい時間を過ごし、真冬の日本に無事戻ってきました。今年の冬は南の国で真夏の時間をほんのちょっと楽しんだので、『春夏秋冬』が入り乱れて妙な感覚です。ま、たまにはいいですかね。

                      
              キリングフィールドにある残酷な頭蓋骨が展示されている建物です
                   ※この写真はウィキペディアから引用です。