高原千尋の暗中模索

行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。

日本はこれからどこへ行くのか

2016年04月01日 | いまそこにある危機
内田 樹氏のブログ「内田樹研究室」が、相変わらず面白い。
3月13日の記事『日本はこれからどこへ行くのか』も氏らしい切り口と語り口が目を覚まさせてくれる。特に以下の記述に、なるほどね、と納得した。

「私がそれをしみじみと感じたのは、昨夏の国会前のSEALDsのデモに参加したときである。国会内では特別委員会が開かれ、法案の強行採決をめぐって怒号が行き交い、殴り合いが演じられていた。一方、国会外では若者たちが「憲法を護れ。立憲政治を守れ」と声を上げていた。
不思議な光景だと思った。
私が知っている戦後の政治文化では、つねに若者が「世の中を一刻も早く、根源的に変えなければいけない」と主張し、老人たちが「そう急ぐな」とたしなめるという対立図式が繰り返されていた。だが、2015年夏の国会では、年老いた政治家たちが「統治の仕組みを一刻も早く、根源的に変えねばならぬ」と金切り声を上げ、若者たちが「もうしばらくはこのままでいいじゃないですか」と変化を押しとどめていた。
構図が逆転したのである」(カッコ内引用)

内田氏が「それをしみじみ感じた」という、それ、とは何か、本文をご一読いただきたい。

『日本はこれからどこへ行くのか』「内田樹研究室」2016年3月13日












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『幸せの種』 澤田かおり

2015年11月18日 | 音楽、ときどき映画
澤田かおりメジャーデビューシングル『幸せの種』

 時代に寄り添う歌詞と、清爽なうたごえに、心を打たれます。

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高倉健と酒井雄哉

2014年11月19日 | 行く川の流れは絶えず
「自分の身内が亡くなったよう」
 あるファンの方が、健さんの訃報をそのように表現していた。私も同じ心境にあることに気付かされた。どこかまだ実感が湧かないが、得たいの知れない喪失感がこころを麻痺させている。

 『あなたへ』が公開された時、まだ10歳の娘を誘って映画館へ行った。そのとき、「これが映画館で健さんに会える最後かもしれないよ」と話したことを娘は覚えていた。私は言ったことをすっかり忘れていたのだが、娘に指摘されて記憶が蘇った。娘を田舎のおじいちゃんに亡くなる前に会わせておきたいような気持ちが働いていたのかもしれない。だからなのか、「自分の身内が亡くなったよう」という言葉がこころを捉えた。

 健さんのことをいつかブログに書こうと記していたが、それを行う前に健さんは逝ってしまった。ただ、断片的に触れてきた記事がある。天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)・酒井雄哉(ゆうさい)師を取り上げた記事『普通の人』がそれである。
 健さんの訃報が伝えられて以降、健さんと酒井氏に関わる検索から『普通の人』へのアクセスが急増している。この記事は(一)から(四)まであるのだが、訪問いただいた方は(一)で終わっている様子だ。お二人の関係がよく分かる内容は、実は(四)になる。せっかく検索いただいたのに真髄に触れられていないのは残念である。健さんへの追悼を兼ねて、その記事を以下に再掲載させていただく。参考になれば幸甚である。


普通の人(その四)

 天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)・酒井雄哉(ゆうさい)師を知ったきっかけは、2003年に出版された健さん(高倉健)の随想『旅の途中で』においてであることを、このシリーズの冒頭に書いた。同書を読んでいなければ、酒井師を知ることもなかっただろうと思う。これも一期一会の出会いなのだろう。
 酒井師を知ったときには、さぞかし雲の上に住むような高僧なのだろうと想像していたが、酒井師の著書「一日一生」に巡り合い、師が地上の人、普通の人であることを知ることができた。そして、いのちや人生について、見つめ直すきっかけを授けていただいた。これも健さんのおかげかもしれない。

 健さんファンの私としては、一度ブログで健さんのことを取り上げたいと思っている。健さんは九州の炭鉱町に生まれ育ち、北海道を舞台とする作品も多い。北海道の炭鉱町に生まれ育った私は様々な意味で健さんにシンパシーを持っている。健さんを語ることは、私にとっては大きなテーマでもあるのだ。いずれそれを行おうと思うが、今回は酒井師の言葉を借りて、健さんに触れたい。酒井師は健さんと直接、交流をお持ちで、健さんの本当の姿をご存じである。そして、私と同じく健さんの大ファンでもあるのだ。酒井師は誠に「普通の人」なのである。

 酒井師は健さんの随想『旅の途中で』に、「健さんのこと」という一文を寄稿されている。少し長くなるが、その抜粋を以下に紹介させていただく。これを読んでいただくと、健さんのことばかりでなく、酒井師のことも、また理解が深まるのではないかと思う。このシリーズの締めとさせていただきたい。




健さんのこと

      比叡山飯室谷不動堂 大阿闍梨 酒井雄哉

僕が坊さんになる前は、いろんな意味の葛藤があった。
生きていたことは生きていたんやけれど、
生きる目標、ひとつの心棒がなかった男でしたな。
(中略)
宝くじ買うと、必ず当たるような気がするのと同じ。
仕事をすると、変な夢ばかり持ってしまう男やった。
しまいには、かみさんも愛想を尽かしたのか、自らの生命を絶ってしもうた。
その時は辛うてね。どうしたらええものか、
この世の瀬戸際まで追い込まれてしもうて・・・・・。
その時、何も考えずに歩いたんです。歩かされたというほうがええかな。
その道の途中、二股に分かれている場所があった。
右に行けば友達の家。左に行けばお山(比叡山)。
(中略)
僕は何となく左の道のほうへ、とっとっとっと歩いたわけだ。
その時思うたことは、ただただ独りになる時間が欲しかった。
今思えば、僕には独りで歩くという宿命があったんやと思う。
亡くなったかみさんのことは三年間くらい頭の中にちらついていたけど、
三年経ったらお山の修行のことでいっぱいになって、
これっぽっちも思い出さなくなってしもうて。
とうとう、何年何月に死んだかも忘れてしもうたね。
薄情というのか・・・・・。けど毎日、拝んでいる。
毎日がかみさんの法要の日と思うているから、赦してくれるかな。

坊さんにも坊さんの勉強があってね。
学校へ行って自分の息子と同じ年頃の子と一緒に勉強して試験受けて。
頭も疲れるし、ストレスもかかってくる。
しまいには、なるようにしかならへん、と試験が終わった日に、
映画館へ行って目をつぶって、音だけ聴いている。
子守歌みたいに聴こえてきて、気がついたら映画が終わっていた。
観る映画は、いつも健さんの任侠映画やった。
弱い人とかいじめられている人がいて、
最後には健さんが悪い奴をやっつけてしまうやないの。
映画を観終わると、俺もやれるんや、という気になる。
男の世界がそろそろおかしくなってきた頃に、
男って何だってことを、もう一遍考えさせてくれた映画やと思うよ。
もともと、僕は健さんのファンやった。
健さんが大学を出てすぐの頃にサラリーマン役とかやっ演ってましたな。
その頃、若いけど、おもしろい人が出てきたな、と思うた。
坊さんになっても、健さんの映画に励まされていたのに、
昭和四十五年頃に、当人が僕の目の前にいて、
正座して話をしているんやから、不思議に思うたね。

(中略)
健さんのラジオ放送を聴かせてもろうた。
出張の時、電車の中で、テープで聴いたんやけど、
ようあの忙しい人があれだけのことをやりこなしてますな、
この人は何て人やろ!
どこにそんな暇があるんやろう? と思うた。
映画を観てる。本は読んでる。
音楽もいろんな音楽を聴いていて、自分の感想をきちんと言うている。
おまけに外国へも出かけて行って、いろんな体験をしてる。
二十四時間、ひとつのリズムを掴んでいるんやと思うな。
それが健さんのバネになっている。
殿様みたいに上げ膳据え膳されると殿様で終わってしまうけど、
あの人はそこに甘んじていない。
自分の道を進めば進むほど、独りになると思う。
たまに旅に出て、
独りでいる時間が愉しいんやないかな。
そんな時にごちゃごちゃ言おうもんなら、
「うるさいな」
「今度から来るな」
と言われると思うよ。
僕もかみさんに死なれて、とっとっと歩きだして独りの時間を選んだ。
今では、お山にいろいろな方が見えていろいろな話を聞かせてくれますけど、
自分が解放されているのは、山を歩いている時・・・・・。
峰々で拝んでいる時は、誰も寄ってこないやないですか。
独りの時間は人間にとって大切。
その時にこそ、いろんな発想や発見ができるもんです。

独りで生きることができる人が、最終的に強いんやないかな。
そういう人には、何とも言えへん人間としての温かみもあるんやね。
そういう人はじぶんが善行を積んでも、
これこれをしました、なんてことをごちゃごちゃ言わない。
そんなこともあったかいな、という顔をする。
陰徳というものは、そうして積まれてくるもんやね。
ある時何気なしにすーっと現れ、ある時すーっと姿を消していく。
何かをしても、結果や報酬を期待しない。
健さんはまさにそういう人やね。
「俺は高倉健だ」
とか一言も言わず、仕事が済めば外国へ出かけてしまう。
健さんのそういう生き方を観せてもらうようになって、
あの人はお侍さんやと思う。
どんな仕事でも命を賭けてやっている。
軽く流すことは絶対にしない。
普通の人なら、来た仕事は一応全部引き受けて、
こちらは軽くいきましょう、
こちらは大事やからしっかりやりましょう、
そんな計算が働くけどね。
そういうことが大嫌いな人やと思う。
すべてに命懸けで、いつも刃の上を歩いているような、
そんなお人やと思う。
周りの現象に流されず、折目正しく生きている。
それは座った姿にも出ておる。
誰しも人間やったら、老いていくことへの不安はある。
しかし、一日一生。
今日の自分は今日で終わり。
明日は新たな自分が生まれてくる。
今日、いろんなできごとやいざこざがあっても、
明日はまた新しいものとして生まれる。
こだわりを捨て、同じような過ちを修正しておけばええ。
最終的には息を引き取る時が、
人生の勝負やないかな。何があろうとなかろうと、
独りきりで旅立っていくんやから。
生まれた時と同じ。
何も持たずに旅立って行くわけやね。
赤ん坊か、くしゃくしゃの年寄りかの違いだけやね。
自分に課せられた人生。
仏様からいただいた人生を、
「これだけ燃えつきました」
高倉健はそう言って逝ける、
数少ないお人やと思います。

        (2000年12月・比叡山にて)

        (高倉健『旅の途中で』より)


 酒井師の尊貴な説法のあとにことばを発するのは如何にも無精なことだが、ひとつだけ補足させていただく。健さんは12年寄りそった江利チエミが1982年に45歳の若さで他界したのち、独り身を通してきた。健さんと酒井師の生き様には、どこか重なる部分を感じる。酒井師の奥様が自ら命を絶ったことを記している冒頭の文節を敢えて省略しなかったのは、この分節が師と健さんの接点と感じるからである。


<関 連>

普通の人

普通の人(その二)

普通の人(その三)

普通の人(その四)


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東京都知事選。争点は、ただひとつ

2014年02月05日 | 東京都知事選2014
争点は、ただひとつ。
                白川勝彦氏 「永田町徒然草」2月5日より転載


都知事選の投票まであと4日だというのに、マスコミは、相も変わらずいろいろな話題を取り上げ、愚にも付かないことを、さも重大事のように報道している。長い間政治の世界にいるが、マスコミが死に物狂いで政府に有利なように誘導している様を、見たことがない。逆に言えば、今回の都知事選こそ国民的テーマで戦っている選挙であり、政府の心臓を突き刺す選挙なのだ。

マスコミが争点としている「雇用や景気・子育てや高齢者支援・オリンピックや、パラリンピックの準備・首都直下型地震対策」など、程度の差はあるが、特に争ってはいない。だから、争点ではないのだ要は、限られた予算でどうするかという問題なのである。しかし、原発再稼働の是非は、Yes か No か、ふたつにひとつなのある。原発即ゼロ=原発再稼働阻止と明言しない候補者は、結局のところ、原発再稼働を容認するのである。

宇都宮候補は、確かに前回の都知事選に出た。だが、原発問題をどう訴えたか憶えていないが、今回のように原発即ゼロ=原発再稼働阻止が大きな争点とならなかったことだけは、確かである。原発即ゼロ=原発再稼働阻止が今回のように全国民的に提起され、それを最大の政治問題としたのは、細川・小泉W連合であるこの事実は、誰も率直に認め、評価しなければならない。

宇都宮候補を推薦している共産党や社民党は、何十年も前から反原発と訴えてきた。しかし、54基もの原発を許し、いままた、安倍首相の再稼働を許そうとしている。それが、現実である。この前面に立ち塞がり、これをストップさせようとしているのが細川・小泉連合なのである。多くの国民が、その周りに集まっている。私もその一人だ。

レーニンは、いつも“具体的状況の具体的分析”を強く訴え、ロシア革命を成し遂げた。原発即ゼロ=原発再稼働阻止など、革命などに比べれば、大したことでも何でもない。現に、いまが原発ゼロなのだ。そして、細川候補を勝利させれば、原発再稼働阻止は現実となるのだ。これが都知事選の現状であり、その本質である。宇都宮陣営には、賢明な行動をして貰いたいものである。

転載以上。


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吉永小百合さんが細川護煕(もりひろ)氏を推薦

2014年01月30日 | 東京都知事選2014
リベラルの女神に続け
              白川勝彦氏「永田町徒然草」より転載

吉永小百合さんが、細川都知事候補を推薦している。細川候補のWebサイトに写真が載っているのだから、間違いはないだろう。このニュースを、私は大きな感動をもって受けとめた。『キューポラのある街』からの吉永さんのファンとして、吉永さんの今回の勇気を、私は重く受け止める。「吉永小百合―細川氏推薦」の報は、大きく報道され、リベラル派が雪崩を打って細川支持に集まるのは疑いない。細川陣営にとっては、まさに百万の味方だ。

吉永さんが出演してきた映画は、リベラルなものが多かった。吉永さんは、いつも素晴らしい演技で、その役を演じ切ってきた。吉永小百合はリベラルの象徴となり、リベラルの女神となったのだ。その吉永さんが、映画から抜け出し、「原発即ゼロ=原発再稼働許さじ」の細川陣営に、馳せ参じたのである。今日の政治状況の中で、吉永さんは、細川氏の支援をしなければならないと意を決されたのだ。吉永ファンとして、これほど嬉しいことはないし、それでこそ吉永小百合なのだ。



吉永さんが有名な女優だから、今回の行動が大きいのではない。吉永小百合という、リベラルを体現する女優が細川氏を推薦するのだから、その影響は絶大なのだ。リベラルを自認するすべての人々は、吉永さんに続かなければならない。

今日のとんでもない政治状況の中で立ち上がった吉永小百合さんは、ドラクロアの『民衆を導く自由の女神』の女神、その人である。

最近なぜか、リベラルに人気がある。福島みずほ社民党前党首まで、“リベラルの結集”などと言われると、リベラルを信条とする私など、面映ゆくなる。リベラルは外延は広いので、保守リベラルであろうが革新リベラルであろうが、本当に“リベラル”でさえあれば、細かいことを言うつもりはない。右翼反動の安倍首相が突っ走っている政治状況では、あらゆるリベラルが結集しなければならない。吉永さんの行動は、リベラルの総結集を呼び起こすであろうし、また、そうしなければならない。

転載以上


細川護煕(もりひろ)氏のホームページには、2014年1月30日現在、以下の著名人の支持が寄せられている。参考まで。(高原)



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細川護煕(もりひろ)氏の街頭演説

2014年01月23日 | 東京都知事選2014
今回の都知事選(2014年)を日本のマスコミがどのように報じているのか、現在海外で生活しているために把握できない。しかし、現政権に有利にはたらくように恣意的な報道がなされていることは想像に難くない。今回、都知事に立候補した細川護煕(もりひろ)氏の言葉もマスコミを介しては十分に伝わらないのではないかと危惧する。幸い、ネット上では様々な形で候補者の声が伝えられている。そのひとつを以下に転載させていただく。 (高原 千尋)


みんな楽しくHappy♡がいい♪ より転載

<速報・第一声>細川護熙 「原発が大きな事故を起こしたら日本は壊滅的な打撃を受け、世界中にその影響が及ぶことは必至であります」 街頭演説 1/23(文字起こし)

いよいよ今日から、これからの国の行方、あるいは東京の行方、あるいは私たちの生き方にもかかわる大事な選択の機会がやってまいりました。
わたくしは沢山の事を訴えたいんですが、絞って言いますと、ひとつはちょっと抽象的になりますが、「価値観の問題」とでも言ってもいいのかもと思っています。
ふたつめは「平和にかかわる問題」。
これもちょっと抽象的な言い方かもしれません。オリンピックとかいろいろな事があると思いますが。
それからみっつめは「原発の問題」。
主にこの3点について私はこの都知事選で都民の皆さんに訴えをしていきたいと思っています。

「価値観の問題」
最初の「価値観の問題」というのは、私は政治の世界を引いてから15年余り、田舎に引っ込んで、焼き物したり絵を描いたり、庭いじりをしたりして過ごしてまいりました。
しかし何か、国が進めている様々な政策というものを、時々新聞を見て、テレビを見たりして感じておりましたのは、「どうも少し、私の考え方とずれているのではないか」
たとえば、日本の人口は今1億3000万人ですが、あと50年すると9000万人になる。
100年経ったら4000万人になる。
4000万人と言えば、江戸時代の人口です。
江戸時代の人口とほぼ近い、そういうことになると、これは今までのような大量生産・大量消費、そういう経済成長至上主義というもので果たして日本という国はやっていけるのかどうか?と。私は難しいと思います。

これからは原発をあちこちの国に売り込んだりするような、そういう欲張りな資本主義ではなくて、もう少し、自然エネルギーとか、脱成長とか、そうした心豊かな生き方というもので満足できるような、そうした国作りというものを進めていかなければならないのではないかと。
それが「価値観の転換」と申し上げた一つの大きなテーマです。

心豊かな幸せの成熟社会へのパラダイムの転換をしていかなければならないんじゃないか。
私はそう思っております。



特に私が心配しているのは、今度の知事選挙の立候補のきっかけにもなったんですが、「成長のためには原発が不可欠だ」と言って、原発を再稼働させようとしている国の姿勢。
この事に私は強い危機感を持って、その事が今日ここにも来てもらっている小泉さんにも強く背中を押されて、立候補するきっかけとなりました。
それが一つ私が申し上げる「価値観の問題」です。

「平和にかかわる問題」
もうひとつは、これも多少抽象的な話ですが、大くくりに申し上げて「平和」といってもいいと思うんですが、今度の選挙のテーマはもちろん原発だけではありません。
都政に関わる様々な問題。
いつ来るか分からない直下型地震に備えての基盤の整備とか、あるいは高齢者や待機児童の問題。
さまざまな問題に、できる限り急いで、メリハリをつけて対応していかなければならない。
それも当然のことであります。

外国との様々な問題、オリンピックはまさに平和の祭典でありますから、都としても善隣的な近隣諸国との付き合いについては、何時も知事は念頭に置いておかなければならない事だと思います。
オリンピックは、しかしかつての五輪のように東京五輪のように、大きな投資をして、大きな建物をつくってという訳にはいきませんから、出来るだけコンパクトな、しかしソフトな面で、おもてなしの心というものを十分に感じていただけるような、そういうオリンピックにしていかなければならないし、また、東京だけが良い思いをするのではなくて、東北の人達にも是非一緒になってオリンピックの嘉日というものを分かち合えるような、そういうオリンピックにしていかなければならないと思います。

「原発の問題」
もうひとつ最後の問題は「原発の問題」です。
私は「国の存亡にかかわる大きな事故が何時起きるか」と、本当にこれは不安で仕方がない。
福島の事故がありましたけれども、東京の周辺100km、200km位のところには、浜岡とか、あるいは東海第二とか、いくつかの大きな原発が立地しております。
もしそういう原発が大きな事故を起こしたら、これは、日本は壊滅的な打撃を受ける。
日本だけではない、世界中にその影響が及ぶことは必至であります。

ですから一刻も早く原発再稼働というものを止めて、世界の先進国がやっているように、自然エネルギー、あるいは再生エネルギーなどを活用した、分散型のエネルギー社会というものをつくっていかなければ日本は成り立っていけない。
そういう方向に早く踏み出していくべきだと思います。

オリンピックや消費税やいろいろな問題があるんですけれども、もちろんそういう問題も、原発の事故が起きたとしたら、起きたら、そんな問題はもういっぺんに吹き飛んでしまう。

知事の最大の任務は、第一の任務は都民の生命と財産を守る事です。

「原発は都政のテーマではない」と言う人たちもいますけれども、都民の生命と財産を守るという事は、これはもっとも重要なテーマでありますから、それが今度の選挙のテーマではないという事は、私は全くおかしな話だと思います。

この間の福島の事故の後も、水道が止まったり停電になったり、都内の一部では大きな問題が起こりました。
迷惑をされた方が沢山ありました。
その原発依存型のエネルギー多消費型社会というものを先程も申しあげたように180度方向転換して、新しい時代に対応していくものにしなければならないと思います。

3・11が起こるまで、私も「原発は安全でクリーンだ」という事を信じてまいりましたが、しかし、この事故によってそれが如何に欺瞞であるという事が明らかになりました。

「原発がなければ日本の経済は成り立たない」と言う人がおりますが、2年間原発が止まっていても日本の経済は順調にまわっております。
勿論石炭火力などの燃料台というものが沢山かかる事はわかりますが、しかし、原発には実は天文学的なコストがかかっている。
事故があった時のコスト、あるいは廃炉にする時のコスト。
いろいろな点で天文学的なコストがかかっている。
それが見えない形で国民の負担にされて、「原発のコストは安い」という誤魔化しがまかり通ってきました。

原発の安全性の問題や核のゴミの問題を考えたら、原発とは早くここで区切りをつけて欧米の先進国がやっているように自然エネルギーなどに変えていく方が、よほど生産的だし、新しい雇用や技術を生み出していくきっかけになると思います。

今ここで原発ゼロという方向を明確に打ち出して再稼働(阻止)に向けてスタートを切っていく、自然エネルギー大国日本というものを打ち出してくことが何よりも大事なテーマだと思っている訳です。

もちろん東京都は東電の大株主でもありますから、東電に対していろいろ注文を付けていかなければならない。
その東京で原発ゼロを目指す事は、先ほども申しあげたように今度の選挙で都民の皆さんに問うべき、それこそ重要なテーマだという事を重ねて申し上げたいと思います。

これが、小泉さんからも話がありましたが、原発を無くして再生エネルギーで活力のある日本をつくっていくか?
それとも今までの、コストの高いリスクのある原発というものにしがみついて、日本という国の衰退にかけるか?
「そのどちらを選ぶか?」という、今回は大事な選挙であります。

私は原発を止めて、自然エネルギー・再生エネルギーなどで日本の未来に賭けていく、そういう方々の先頭に立って、日本の新しい国作りに邁進していきたい。
そういうふうに思っておりますので、どうぞ都民の皆さんの少しでも多いお力添えをいただけたらありがたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします、ありがとうございます。

それでは、小泉(元)総理にバトンタッチいたします。
ありがとうございます。


■<速報・第一声>小泉純一郎「都知事が誰になるかによって国政を動かせる事が出来る選挙は滅多にない」  応援演説1/23(文字起こし)

小泉純一郎です。
細川さんよく立候補を決意してくれた。
敬意を表したいと思います。
私ども二人は政界を引退していた。「なにをいまさら」と言う人もいるでしょう。

しかし、あの3年前の3月11日の原発事故・地震・津波、大震災を見て、「これは大変なことが起こっているんだな」非常な危機意識を持ちました。

今までの政界の経験。
出来る事と出来ない事があるけれども、「今なら元気がある、なにか自分たちに出来ることはないか」という事を考え始めました。



今、多くの中で「都政の問題は原発だけじゃない」確かにそうです。
防災の問題、あるいは医療福祉の問題、待機児童の問題、さまざまな都市機能の問題、課題は沢山ある。

しかし原発を除いて、他の様々な重要な問題は、候補者、だれが知事になっても大して違いはないと思いますよ。
最も大きな違いは、「原発をどうするか?」じゃないですか。

私どもは「原発は安全だ」「原発のコストが他のエネルギーに比べて一番コストが安い」と、専門家の話を信じていた。

しかしあの事故を見て、スリーマイル島のアメリカの事故を見て、チェルノブイリの事故をよく勉強してみて、「原発が安全だ」「原発のコストが一番安い」が、とんでもないごまかしだというのが分かった。
今までの反省も踏まえて、「日本はこれから原発なしでやっていける社会を目指さなければならない」と思ったんです。

細川さんならできる。

「東京、オリンピック・パラリンピックを原発ゼロで成功させたい」って言ったら、
「なんと無責任な事を言うんだ」と、オリンピック関係者が言いだした。
「原発なしでオリンピックなんかできるのか!」と小泉批判を始めた。

ところが調べてみた。
昨年、オリンピック招致委員会は世界に向かって、IOCに向かって「東京オリンピック・パラリンピック大会は原発無しでやっていける」と盛大に宣伝していたじゃないですか。
東京が原発無しでオリンピック・パラリンピックを成功させる。それを世界に発信させる。

東京の様々な暮らし、経済活動。
これも原発無しでやっていけるんだという姿を見せれば、日本は変わっていくと思います。

その力を都民は持っている。

私は今回の都知事の選挙で多くの課題があるけれども、何を重要視するかは、有権者それぞれ自身の判断です。
私は原発の問題を最重視している。

そういう人の大きな批判の一つは、「小泉はそんな事を言っているけれども代案を出さないじゃないか」と言っている。

原発の問題は広くて深くて大きい問題です。

原発を廃炉にするにしても、40年、50年かかるじゃないですか。
その場合、廃炉の技術の研究者は、これは責任を持って国も育成していかなければならない。
原発無き後の地域の復興・発展はどういう産業が必要か?
原発に代わるし自然再生エネルギー、さまざまなエネルギー源があるでしょう。
各地で今始まっています。そういう資源をどうするか?

さらに今後、原発無しで起こる問題というのは、私一人でできるわけないじゃないですか。
また、私一人で成したら、それこそ無責任なんです。
政治が方向を出して、原発無しでやっていける方々の知識と知恵と見識を生かして、原発無しでやっていけるプログラム対策を考えて、それに向かって進むべき方向。
これが私は適切だと思う。

「ひとりで原発の代案も出さないで無責任」というなら、「『ひとりで出せ』という方が私は無責任だ」と思いますよ。

日本には様々ないい知恵を持った方がいます。
また外国でも「原発無し」これが大事な問題だと考えている人が沢山いる。
昨年11月、国連の事務総長・潘基文(バン・キムン)事務総長と、世界銀行の総裁・ジム・ヨン・キム総裁が、「国連は、また世界銀行は今後原発に対する支援は行わない」と発表したじゃないですか。

多くの日本の新聞マスコミは報道しなかったけれども、良く調べて下さい。
国連の各国も、これは原発というのは新興国においても、豊かでない国においても、「これから原発が欲しい」という国があるけれども、果たして、「国連がそんな危険性が高いものに対して支援をしていいのか?」という危機感の表れだと思います。

私どもは夢を持ってる。
「利生を掲げるのは政治じゃない」と批判する人もいます。
しかし、この原発ゼロで東京は発展できる。
原発ゼロで日本の経済は成長できるという、そういう姿を見せることによって、日本は再び世界で、「ああ、日本は自然をエネルギーにする国なんだな」と、「環境を大事にする国なんだな」そういう発信ができる国になり得る。

その夢を持った使命感を持って、細川さんは立ち上がってくれたんです。

どうかみなさん、この大事な都知事の選挙。
今回の都知事選挙ほど、都知事が誰になるかによって国政を動かせる事が出来る選挙は滅多にない。

細川さんだったら、細川さんが知事に当選する事が出来たならば、必ず今の「原発が無くては日本はやっていけないんだ」という方向を変える事が出来る!

だから私は細川さんを応援するんです。
非常に厳しい戦いなのは分かっているけれども、皆さん自身がこれからの、都政だけじゃない、国政に対して、「本当に原発を進めていいのか」「原発無しでやっていけるのか」それを考えてもらう。

そしてやはり生き方を変えていく。

使命感を持って昔ながらの「自然と共に生きる」事が出来る日本をつくろう、東京都をつくろう。
こういう思いに立ち返って、この選挙は是非とも細川東京都知事実現のために、皆さんの御支援をお願いしたい。

心から、小泉、お願い申し上げます。
ありがとうございました。


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東京都知事選

2014年01月15日 | 東京都知事選2014
主権者は政治家をはさみのように使いこなすべし
    植草一秀の『知られざる真実』2014年1月15日 (水)より転載

「政治家は使い捨てにされることを覚悟しなければならない」
これは、小泉純一郎氏の言葉である。2006年11月7日の発言だ。小泉純一郎氏は首相の座を安倍晋三氏に明け渡した。その直後の発言である。郵政民営化に反対した議員を自民党に復党させる際に、これらの議員の復党に反対する自民党新人議員に対して発した言葉である。郵政民営化を実現するためだけに政治家に祭り上げられ、使い捨てにされても文句を言うなという意味だった。

原発ゼロを掲げて東京都知事選に名乗りを挙げた細川護煕(もりひろ)氏のうしろに小泉純一郎氏が控える。共生社会を否定し、日本を弱肉強食の社会に変質させることに猛進した、悪徳の人物である。
こんな人物が支持する候補者を主権者が支持してよいものか。多くの主権者がそう考えるのは当然のことだ。しかし、主権者は実利的にものを考えなければならない。

いま、日本を暗黒の世に変質させている元凶は安倍晋三独裁政権である。衆参両院の過半数議席を確保したことを活用して、横暴な政治を実行している。原発・憲法・TPP・消費税・辺野古という、日本の命運にかかわる五つの重大テーマについて、主権者である国民の意思を十分確かめようともせず、数の力を頼りに、独裁的な政治を実行しつつある。

次の総選挙まで2年半の空白期が生じる可能性が高い。この状況を放置すれば、日本が安倍晋三独裁政権によって変質させられてしまう。これが日本の危機=アベノリスクである。

猪瀬直樹氏が辞任し、東京都知事選が実施されることになった。いま、何よりも大事なことは、「ストップ安倍政権」の第一歩を記すことである。
具体的には、安倍政権が支持する候補者の落選を実現することだ。これが第一目標である。

都政の課題は原発問題だけでなく、貧困問題、福祉問題、教育問題など多岐にわたる。すべての面で主権者国民が望む理想の政治が実現すれば、それがベストだが、それは容易なことではない。東京都民に多様な意見があり、多様な主張がある。主権者である都民の主張は一様ではない。

しかし、現在の日本の政治状況に危機感を抱く主権者が多数存在するなら、まずは、最優先の課題として、政治の現状を打破する、変えることを位置付けるべきだ。
具体的には、安倍政権が支持する候補者の落選を実現することを、最優先の課題に位置付けることである。

細川護煕氏が立候補を表明して、「原発ゼロ」の方針を掲げた。日本の主権者の意見は二分されている。原発利用を維持すべきと考える主権者と、原発利用をゼロにすべきと考える主権者である。

日本は民主主義の国であるから、多様な意見が存在することは認められるべきであるし、また、多様な意見が存在することは当然のことでもある。しかし、原発政策は国の政策の基本のひとつであり、将来の日本国民の生命、健康、幸福に直結する重大問題である。

福島の事故を踏まえて、原発を再稼働すべきではないと考える主権者は多数存在する。安倍政権はこの問題について、論議を深めることもせず、主権者の意思を無視して、原発利用推進に舵を切っている。まさに「数の力」を頼りに、横暴な政治を推進しているのだ。

東京都は東電の大株主であり、東電の経営に対する発言権をも有する。また、原発政策は東京都民にとっても死活的に重要なテーマである。したがって、都知事選の最大の争点に「原発ゼロの是非」が掲げられることは、おかしいことでも何でもない、暴走を続ける安倍政権に対して、東京都知事選の結果が、ひとつの大きな抑止力になれば、それは大いなる意義のあることだと評価できる。

この目標を達成するには、原発ゼロを求める陣営が候補者を一本化することが有効である。原発ゼロ陣営が二つに割れることが、原発推進勢力を利することは明白である。まずは、安倍政権の暴走にストップをかけることが最優先課題だ。

当選した陣営が主権者の意に沿わぬ行動を示すなら、主権者は政治家を「使い捨て」にすればよいのだ。「政治家は使い捨てにされることを覚悟しなければだめだ」と主張している者を使い捨てにすることを躊躇する理由は皆無である。


植草一秀の『知られざる真実』
主権者は政治家をはさみのように使いこなすべし


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真の自由主義

2013年12月06日 | 徒  然
白川勝彦氏「永田町徒然草」より転載

闘いは、まだ終わっていない。

13年12月07日
No.1625

平成25年12月6日深夜、参議院において特定秘密保護法案が採決に付され、自民党と公明党の賛成により可決された。ここに、特定秘密保護法が成立した。この法律は、わが国の政治・社会のあり方を大きく変えることになるであろう。自由を愛する国民は、今日という日を、長く記憶しておかなければならない。この法案に対する私の意見は、これまでクドイくらい述べてきた。それをここで繰り返えそうとは思わない。

結論だけを言えば、真の自由主義政治家ならば、特定秘密保護法案に賛成することなどあり得ない。自民党・公明党・日本維新の会から、この法案に対して表立った反対の声は上がらなかった。これは、これらの党には真の自由主義者がいないことの証明だ。みんなの党は、早々とこの法案に賛成を表明したが、党の方針に反対する者が数人現れた。彼らの行動を、私は高く評価する。彼らを殺してはならない。

自由主義政治家も、一人では生きられない。自由主義政治家も、一人ではその理想を実現することができない。そういう政治家が活動できる政党として、自由民主党があった。私も、自由主義政治家の一人として、自由民主党に籍をおいた。私は、自由民主党の多数派ではなかったが、少なくとも自由主義政治家は排除されなかったし、私たちの主張が党の大勢を占めることもあった。

自由民主党が変質し、自由な雰囲気がなくなったのは、公明党と連立してからである。公明党との連立は、自由民主党をそのような政党に変える惧れがあった。だから私は、自公連立に強く反対したのだ。最初は私の意見は、決して少数派でなかったが、私は徐々に孤立していった。自民党が自公連立にのめり込んでいくのを阻止できない以上、自由主義政治家である私は、自由民主党を離党するしかなかった。

このような経過を知っている私は、かなり以前から、自民党の政治が明らかに自由主義政治から遠ざかっていくという認識があった。それに対しては、その時々に、自由主義政治の立場から反対の意を表してきた。しかし、自由主義という哲学を失った自民党が、自由主義とは相容れない右翼反動の道を歩むのは、避けることのできない必然であった。その原因は、わが国の政治基盤に深く起因しているのだが、これについては、別に論じたいと思っている。

自由を愛する多くの国民は、この点に対する理解が十分でなかった。だから、民主党の出鱈目に怒って、自民党や公明党や日本維新の会に、近時の選挙で多数の議席を与えてしまった。彼らが多数を取れば、右翼反動の本性を現すことは、予測可能なことであった。そして、自民党と公明党と日本維新の会は、直ぐにその本性を露呈し始めた。政治は闘いである。油断も隙も許されないのだ。

自由を希求する国民は、今回のことを忘れずに、これからも闘い続けなければならない。自由を希求する国民の意志に反する政治は、いかなる政党にもできないからである。今回成立した特定秘密保護法は、法律として不完全であり、このままでは、実際に稼働できないのだ。審議の過程で自公"合体"政権は、多くのことを約束し過ぎたからである。それらを実行させるためにも、まだまだ闘いを続けていける ─ いや、闘い続けていかなければならないのだ。

忌まわしい特定秘密保護法が成立したその日、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領が95歳の生涯を閉じた。マンデラ氏の戦いの人生は、過酷なものであった。しかし、彼の戦いが成功したのは、マンデラ氏を支えた多くの国民がいたからである。わが国の自由を守る戦いも、一人ひとりの自由を愛する国民の闘いによって、支えられなければならない。極めて短期間の闘いではあったが、わが国には、自由を愛する多くの国民がいることを証明した。悲観することはない。闘うのみである。

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白川 勝彦

68歳 弁護士
元衆議院議員
元自治大臣
元国家公安委員長

ブログ「永田町徒然草」を連載中




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「脱原発・反消費税増税・反TPP」の旗

2012年11月29日 | 徒  然
------以下、引用-----------------------------------------------

12月16日総選挙の情勢が急変している。

メディアが創作したシナリオに大きな狂いが生じている。
メディアは民自公の大政翼賛談合勢力と橋下・石原維新だけを主たるプレーヤーとして総選挙を実施することを目指して、一種の報道管制を敷いた。
メディアが取り上げる価値もない橋下徹氏を連日連夜大きく取り上げてきた。

そして東の暴走老人。

息子を首相に引き上げることに失敗し、今度は自ら最高権力に色気を出して都知事職を放り出した。
権力欲に取り憑かれた暴走老人は、原発、消費税、TPPを些細な問題だと言い切った。
この老人にとって大事な問題とは、権力を握ること。それに比べれば個別の政策課題など取るに足らない問題なのだ。

メディアは今回の総選挙を「政局」だけの選挙にしようとしてきた。
それが橋下・石原騒ぎの本質だ。
原発は橋下氏が当初は絶対反対、夏になるとなし崩し容認。それでも2030年代の原発ゼロを口にしていた。
それが、石原氏との野合を決める段階では、原発ゼロをついに取り下げた。
消費税増税も初めは反対の考えを示していた。
選挙が近づくと曖昧な態度に変化した。
それが、野合新党を作る段階になると、消費税増税推進の石原氏に引きずられて消費税増税容認に転じた。
TPPは推進だが、石原氏は米国の策略であるTPPに日本が参加する必要はないとの前言を翻してTPP賛成とまで言い出す始末だ。

要するに根無し草、信念も思想も哲学もない。
あるのは、ただ、権力欲のみだ。
そして、これに加担しているのがいまの日本のマスメディア。
通称「マスゴミ」と呼ばれているものだ。

しかし、国民の生活が第一であるなら、このような「政局」がすべての政治が許されるわけがない。
原発、消費税、TPPに明確な判断が必要だ。

「政局オンリー選挙」
ではなく

「政策選択選挙」
にしなければならない。

原発・消費税・TPPに主権者である国民が最終判断を下すのだ。
それが

「脱原発」、

「消費税増税白紙撤回」、

「TPP交渉不参加」


である。


この旗を掲げ、政治を主導する市民の政治運動を「主権者国民連合」と命名し、その創設宣言を5月14日付ブログに記述した。

http://goo.gl/E4wmo

ここで提唱した「小異を残して大同につく」動きが加速し始めている。
「脱原発・反消費税増税・反TPP」国民連合が新党「未来」に集結しつつある。

この主張を一貫して貫いてきた中核の存在が、小沢一郎氏が率いてきた「国民の生活が第一」である。
新党「未来」の中核に小沢一郎氏が位置するのは言うまでもない。
嘉田由紀子氏は「小沢新党」批判の質問を受ける際、小沢氏が重要な役割を果たすのは当然であると明言するべきだ。
小沢氏の影響力を否定するのは、メディアの情報操作に染められていると見なされてしまうことだ。
堂々と、小沢一郎氏の重要性をなぜ述べないのか。
これは直ちに改めてもらわねばならぬことだが、主権者国民連合政党の誕生により、選挙結果が大きく変化する可能性が高まっている。

日本の主権者国民の過半数が、

「脱原発・反消費税増税・反TPP」

の主張を示していると思われる。
この国民の心に新設された主権者国民連合政党の主張が響く。

選挙情勢は急変している。
新党「未来」は100人ではなく、300人の候補者・推薦者を打ち出すべきである。
主権者国民に選択肢を提供することが政治勢力の責務である。
主権者が政策を最終判断する。

今回の総選挙は文字通り「政策選択選挙」なのだ。

------引用、ここまで----------------------------------

 上記は、植草一秀氏のブログ『知られざる真実』11月29日の記事「原発ゼロ早期実現派に追い風で候補者擁立急げ」より引用させていただいた。
 今般の日本の情勢を分析させたら植草氏の右にでるものはいない。その鋭利な頭脳故に冤罪にはめられたことは、本ブログの「植草ケース」で報告させていただいたので、ぜひご一読いただきたい。

 植草氏は小沢一郎氏、あるいは前福島県知事の佐藤栄佐久氏などと同様に“国家の罠”にはめられた国民派知識人として信頼に足る人物である。
 植草氏のブログ、『知られざる真実』 は必読である。




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今度の選挙は「命」

2012年11月21日 | 徒  然

 どうしてもやらなければならないこと、そして、どうしてもやりたいことがあり、このブログは今年の4月25日以降、更新していない。個人の状況は今も変わらないが、世の中の状況が動こうとしている。今年掲載した記事はたった2本であるにもかかわらず、数百人の方が毎日このブログを訪問してくれている(ページビューは約3倍)。それならば一役買わせていただきたい。

 自分で書く時間はないので、注目している記事を転載させていただく。転載元の方には、問題があればご連絡頂ければ幸甚である。


-----以下、転載-------------------------------------------------

野田首相への刺客 生活・三宅雪子氏 「今度の選挙は命です」

              田中隆作ジャーナル 2012年11月20日より


三宅氏が国替え後初めての演説会場に選んだ場所は、野田佳彦氏が閣僚になる前「駅立ち」していた船橋駅頭だった。=20日、午後。写真:田中撮影=

 野田首相への刺客となった三宅雪子氏(「国民の生活が第一」)がきょう、首相のお膝元の船橋市で事実上の第一声をあげた。三宅氏(比例・北関東ブロック)は野田首相が解散を宣言した翌日の15日、自らの選挙区だった群馬4区(復活当選)から千葉4区への国替え出馬を決意した。

 前回(09年)の総選挙で、福田康夫前首相(当時)に挑み善戦した三宅氏の実績が買われたのである。マニフェストを反古にした野田政権と袂を分かった「国民の生活が第一」としては当然の対抗策だ。

 「命に不安を与え、健康に不安を与え、暮らしに不安を与えてしまった。民主党の(かつての)一員として皆さんにお詫びしなければならない」。三宅氏の演説は謝罪から始まった。

 「国民を苦しめる野田首相の施策に反対してきた。原発問題に取り組んできた経緯もあり、私は千葉4区から立候補することを決めた。選挙で訴えたいことは命です。経済ではありません。99%の人々のために政治をしなければなりません。1%のための政治をしてはならない…(後略)」。三宅氏は、第2自民党と揶揄される民主党政治との違いを鮮明にした。

 「ウソと誤魔化しと欺瞞に満ちた政治を終わりにしなければならない」。クライマックスは、有権者の誰しもが抱く民主党への感情を率直に述べた。


「千葉4区に来ました」。三宅氏は“初顔合わせ”となる有権者に握手を求めた。=写真:田中撮影=

 演説会場のJR船橋駅頭には人だかりができた。買い物帰りの主婦(40代)は松戸市に住むため千葉4区での投票権はない。それでもネットで三宅氏の演説会を知り、足を運んだ。「比例は『国民の生活が第一』に投票する。マニフェスト破りの野田を何としても落としたい」。主婦は厳しい表情で話した。

 前回の総選挙の際は高崎市(群馬4区)在住で、現在は練馬に住む男性(50代・会社員)も訪れた。

 「野田をぜひ倒してほしい。野田を退治しないと日本はどうにもならない。マスコミが『生活』無視に入っているので、一般市民が総出してでも野田を退治すべき」。男性は拳を握りながら語った。

 マスコミの「生活」軽視は目に余るものがある。だが勝手連がすでに登場しており、SNSを駆使した情報戦術を展開してゆく。

 「増税と原発再稼働で庶民を不安に陥れようとする野田佳彦を国会から追放しなければならない」。2012年師走は全国民の怒りが船橋に集中する。

----転載はここまで-------------------------------------------------


 マスゴミはもはやゾンビでしかない。百害あって一利なし。東京新聞を除いて信頼できるジャーナリズムはネットにしか存在しない。田中隆作ジャーナルはその代表的存在である。日々、ご覧いただきたい。

 久しく閉鎖していたコメントとトラックバックを公開させていただく。ただし、コメントに対する返信を書く時間はないと思うのでご了解いただきたい。また、意に沿わないコメントは削除させていただく。

                                          了


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