昨日は終戦記念日...私は小さかったのでその日の様子は覚えていないけど、父の故郷の千葉に家族で疎開していてその日を迎えました。
兄弟は当時3人で女の子は私ひとり。そのころは男の子はいずれ陸軍か海軍に所属して国を守る力になるとかで...でも、父はそんな中で私を随分可愛がってくれたそうです。教育者の父はきっと何かを感じていたのでしょう。
戦地に送る<慰問袋>の中にいれる家族の写真の表情でいろいろ判断したらしく
母への手紙には、<僕に送ることを考えるより、子ども達が笑顔で過ごせることに気を配るように...>とあったそうです。
私が結婚をすると決まったとき、父から贈られたアルバムの中には、私への思いを綴った詩と、戦地で家族を想い詠った俳句などの間に私宛に戦地より送った葉書が貼ってありました。
小さい私でしたが、きちんと私宛てに<さん>をつけてありました。 幸い父は帰国でき、戦地での様子をくわしく話して聞かせるようなことはありませんでしたが、晩年はときどき妄想のなかで戦友のことを呟いておりました。きっと戦地へ赴かれた方々が持つ共通の辛いおもいだったのではないかと推測いたしておりました。
父も母も主人ももうこの世で会うことはできませんが、時々、このアルバムを開いては、両親の心のあり方、家族への想いを忘れることなく、感謝とともに、平和な葉書がみんなに届く世界であってほしいと...。
昨日は一日、BSで放送された、戦争の歴史と真実を、目をそらすことなく見続け、考えさせられました。60年の節目は私にとっても改めて戦争のおろかさを思い知らされる貴重な忘れられない日になりました。
兄弟は当時3人で女の子は私ひとり。そのころは男の子はいずれ陸軍か海軍に所属して国を守る力になるとかで...でも、父はそんな中で私を随分可愛がってくれたそうです。教育者の父はきっと何かを感じていたのでしょう。
戦地に送る<慰問袋>の中にいれる家族の写真の表情でいろいろ判断したらしく
母への手紙には、<僕に送ることを考えるより、子ども達が笑顔で過ごせることに気を配るように...>とあったそうです。
私が結婚をすると決まったとき、父から贈られたアルバムの中には、私への思いを綴った詩と、戦地で家族を想い詠った俳句などの間に私宛に戦地より送った葉書が貼ってありました。
小さい私でしたが、きちんと私宛てに<さん>をつけてありました。 幸い父は帰国でき、戦地での様子をくわしく話して聞かせるようなことはありませんでしたが、晩年はときどき妄想のなかで戦友のことを呟いておりました。きっと戦地へ赴かれた方々が持つ共通の辛いおもいだったのではないかと推測いたしておりました。
父も母も主人ももうこの世で会うことはできませんが、時々、このアルバムを開いては、両親の心のあり方、家族への想いを忘れることなく、感謝とともに、平和な葉書がみんなに届く世界であってほしいと...。
昨日は一日、BSで放送された、戦争の歴史と真実を、目をそらすことなく見続け、考えさせられました。60年の節目は私にとっても改めて戦争のおろかさを思い知らされる貴重な忘れられない日になりました。