観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

土地への執着 ― シカ生息地を訪問して思ったこと

2012-09-09 17:18:45 | 12.8
4年 戸田美樹

 3.11が起きてから約1年半が経った。去年の夏に調査で岩手の沿岸部に訪れた時は、瓦礫はある程度片付いていたものの、崩れた建物が広がる景色に、私は何も言えなかった。その中にたくさん立っていた、名前の書かれた赤い旗は今でも脳裏に焼き付いている。
 そして今年の夏、調査で1年ぶりに岩手に行った。建物が崩れ、さら地になった場所には草が生え、時の流れを感じさせられた。驚いたのは、津波に襲われた地に点々と家が建っていることである。あの恐ろしい経験をしてもなお、地元を捨てず、この地で再スタートを切っている人たちは少なくないようだ。人の土地に関する執着力のすごさを感じた。
 しかしよく考えてみると、土地への執着は人だけではなく、多くの生き物に共通なのかもしれない。なわばり性ではない生き物も、その個体の行動圏はある程度決まっているし、私たちに出会って逃げていくシカはきっと慣れた獣道に逃げているのだろう。
 そのシカだが、私の調査対象である岩手県五葉山周辺のニホンジカは、近年急激に分布を拡大している。分布拡大の最先端の地は、牧場が広がり、周辺の林床にはササが広がり、少なくとも夏場はシカにとって天国のような環境であることを見ることができた。では、なぜシカたちは今までこの地に来なかったのだろうか。密度が高くなり、五葉山のシカ収容力に余裕がなくなるまでは、慣れた地である五葉山に執着していたのだろうか。
 毎日接している人間のことがわからないのだから、野生動物のことが簡単にわかるはずはない。それでも、ひとつひとつ小さなことをひも解いていけば、少しでも理解が進むかもしれない。生き物と人間が共存していくためには、少しでも相手を理解することが必要なはずだから、私は小さな発見を大切にしていこうと思う。今回、実際にシカの生息地を見て、考えることがあった。そうした考えが自然の見方を深めてくれるのかもしれないと思った。


遠野盆地の山で出会ったシナノキの老木と著者 (撮影高槻)

守るために殺す

2012-09-09 06:42:06 | 12.8

3年 森 悠貴

 夜が涼しくなり始め、コオロギなど秋を代表する虫が鳴きはじめました。僕は小さい頃からこの季節から秋の終わりまでの期間が大好きで、よく散歩に出かけます。心地よい気温と、変わり始めた空気の香りと、吸い込まれるような季節独特の色合いの空が精神を研ぎ澄ませてくれる気がするからです。その散歩のときに、ふと思い出したことを書こうと思います。
 僕は何年か前から、傷病鳥獣を一時的に保護し野生に返すサポーターをしています。放っておけば死亡するであろう個体が救護された後に僕たちサポーターの元へ届けられるのですが、5~6年程前、その届けられた個体の中に二匹のイワツバメの雛がいました。まだ飛翔するには早すぎて、自力で餌を取ることは不可能でした。専門家からのアドバイス通り、一日に200匹のカイコの幼虫を殺しては彼らに与える生活の中で、何か頭に引っかかるものがありました。小中学校などで教師から口うるさく言われた、「命は平等だ」という疑いもしなかった言葉に大きな違和感を覚えたのでした。この放鳥できるかも分からない二匹のために、毎日その100倍もの命を殺す意味は何なのだろう、この二匹を保護することは、単なるエゴではないか、そんな疑念に駆られた事がありましたが、それらを完全に払拭する答えが見つからないまま今日まで生きてきました。
 世の中には人の都合で保護される動物がいる一方で、駆除され続ける野生動物が沢山います。せめて自分の心くらい納得させられる感情論ではない答えがいつかは出せるようになりたいと強く思いました。