観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

サケと少数民族

2013-04-24 08:11:16 | 13.4
教授 高槻成紀

以下の文章は、いま準備している若者向けの本の一部を紹介したものです。サケが海の物質を、川を逆流して森に戻すという生態学的研究を紹介したあとに来る部分なので、少しわかりにくいかもしれません。またモンゴルのスレンさんとの体験が書いてありますが、これもこの文章の前に紹介しています。スレンさんという婦人と山にギョウジャニンニクという山菜とりに行ったとき、スレンさんが「全部とらないでね、来年のために残しておくのよ」といいました。そういう考えはアイヌにも強くありますが、アイヌの民話の中にもギョウジャニンニクの話があり、そのなかに植物のカムイ(神様)が「この世は人のためだけにあるのではない」ということばがあるのを読みました。これは「沈黙の春」の著者レイチェル・カーソンがいった「地球は人類だけのためにあるのではありません」とまったく同じことに驚いたということを書きました。というわけで、少しわかりにくいですが、ご了解ください。

<アイヌとサケ>
 自然に向き合う姿勢について、私は以前からアイヌの物語などに関心をもっていました。童話や民話なので、そのことをはっきり書いてはいませんが、自分たちと動植物を同じように見たり、自然に恐れや敬意やいたわりをもっていることが伝わって来るものが多いのです。
 最近になって「アイヌ語の贈り物」という本が出ました。副題に「アイヌの自然観にふれる」とあったので、さっそく手に入れて読んでみました。この本は野上ふさ子さんという人が遺作として書かれたものだということを知りました。野上さんは学生時代にアイヌの人と生活をともにし、自分でもアイヌ語を習得してアイヌの物語などを記録しました。
 この本の中で私はサケのことを書いたページで次のような記述に目をとめました。それはアイヌの地名表現について書いたもので、アイヌの人々は生き物の命をたいせつにしただけでなく、土地も生き物であると考えていたということです。たとえば川の本流と支流を「親の川(ポロ・ペッ)」と「子供の川(ポン・ペッ)」と言ったり、川にも年齢があるかのように「年寄りの川(オンネ・ナイ)」、「死んだ川(ライ・ペッ)」と言ったりするそうです。
 そうした表現の中に私たちには奇妙に思えるものがあります。急流のことを「高いところに入っていく川(リコマン・ペッ)」というそうですし、水源のことを「川の行く先(ペッ・エトゥ)」、河口を「川の入り口(ペッ・プッ)」というのだそうです。
 川は上から下に降りるものなのに、これは逆で、川が海から山に登って行くかのようです。ところが、このことはサケの側に立って考えれば納得できます。
 私は思いました。最新の生態学は、サケが物理法則からすればありえないことをすることによって、海の物質を自分の体にためて川を遡り一生を終えることが、結果としてヒグマの餌となり、森林を豊かにしていることを明らかにしました。このことをアイヌの人たちは知っていたのではないだろうかと。地形をたんなる無機物質の起伏と見るのではなく、命あるものとみなしたり、川を水が上から下に下る管のように見るのではなく、親子のようにつながり、生まれては死んでゆく生き物ととらえる姿勢をもたなければ、自然は理解することができない、そのことをアイヌの人たちはごく自然にわかっていたのではないかと思います。
 川は生き物だろう?だからやさしくしないといけないんだよ。川はサケの生きる場所だろう?海からふるさとにもどってきて、一生を終えるために上へ上へと登ってゆくサケにとって、河口は入り口であり、水源は終点なのだよ。サケは死ぬことによって新しい命を残し、自らはクマに食べられ、私たちの食料にもなってくれる。そうして生き物はつながっているじゃないか。

<アイヌだけではない>
 私を驚かせることは続きます。私はスレンさんとの体験からアイヌとモンゴルの人々が同根であることに確信をもちました。きっと日本を含むアジア東部の人々は同じような自然観をもっていたのだと思います。そのうち北に住んでいた人々が氷河期にベーリング海峡がつながっていたときに北アメリカに渡ったことがわかっています。その末裔であるアメリカ、オレゴン州の先住民のサケについてのことばがあります。
 サケは、はるばる旅をして海へと出ていく。年寄りたちは思うのさ。あのサケというのは神聖なものだって。サケたちも、われわれ人間と同じように食べものを集める。でもすごいのは、サケがその集めたものを運んできて、人間を養ってくれることだ。それだけじゃない。サケは、クマも、ワシも、ピューマも、ほかの動物たちも、虫たちも、微生物も、みんな養っている。そして、おまけに、サケは自分の体を差しだして、次の世代のサケを育てるんだ。(「いのちの中にある地球」より)
 これらのことも最近の生態学が明らかにしたことです。そこに流れているのは、動物も植物もつながっているということ、ひとつの動物は無数の生命をつながり、そのためになっており、そうした生命の世界に境界はないという感覚です。
 アイヌ文化も北アメリカ先住民も自然科学を理解していなかった、生態系におけるサケの機能を解明したことと、こうした民族がサケを大切にしていたこととは偶然の一致にすぎないという見方はあるでしょう。しかし私は生きることが自然とともにあることで、生きるためにはほかの命をいただくことだということをつねに感じていることなしに、そのような自然感をもつようになれないと思います。アプローチが自然科学であれ、サケを食料にしていたことであれ、自然の大きなつながりを実感するという境地に到達することに違いはないと思います。


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