観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

人に教えるということ

2013-05-26 22:10:13 | 13.5
4年 小森泰之

 研究室に入りはや1年。新しく3年生が入室し、先輩と呼ばれる立場になった。そうなると、今まで教わる一方であった私に、後輩に教えることも求められるようになってきた。研究室内での作業についてはもちろん、野外で見たものや分からないことも、的確に、しかも理解しやすく説明しなければならない。だが、この「相手に分かりやすく教える」ということは、実際にやろうとすると容易なことではない。
 5月の18~19日、研究室のイベントの一環で山梨県早川町に親睦旅行に行った。昨年と同様、山歩きをして日頃見かけないさまざまな動植物を目にした。私はたまに、見つけた昆虫について聞かれることがあったが、その時は名前やその他簡単な説明をするだけで済んでいた。だが、18日の夜にカジカガエルの説明をしていた時、「大きさはどれくらいか?」と質問されて、私はつい「シュレーゲルアオガエルと同じくらい」などと返答した。直後にこれは大きいミスだと思った。客観的に考えて、シュレーゲルの大きさどころか、そもそもどんなカエルなのかをあまり知らないメンバーも少なくないはずだということを考えていなかった。しかも、確かにカジカガエルの雄はシュレーゲルと同じくらいの大きさだが、雌は雄のほぼ倍の大きさがあることも説明し忘れた。結局、カジカガエルの話はそこで終わり、目的地まで先を急ぐこととなった。
 そのときのことを思い返すと、ものを教える際に気を付けることがひとつ分かったと思う。その後で、ジムグリを捕まえて皆の前で説明する時には、全長やどんな生活をしているかなど、聞かれたことに対し一瞬考えてから的確な返答ができるように心掛けた。ちゃんと全部伝わったかは定かでないが、3年生が熱心にメモを取ってくれていたので解説のやり甲斐があったと感じた。


ジムグリの説明をする筆者(撮影高槻成紀)

 今回の体験で、教えるということは、まず知識を持っていることは当然として、相手の理解の度合いを判断して答え方を変える必要があることを知ることができた。相手が両生類のことをよく知っている人ばかりであったら、上記のような答え方でも問題なかった訳である。さらに、動物について解説するには、その場で言うことの何十倍の知識が必要ということを、昨年の博物館実習で習ったことも思い出した。その点に関して、私はまだまだ勉強することが多いので、今後も多くの生き物について、より多くの知見を得ることに精進したい。そして、願わくはその努力を活かせる仕事に就きたいと思う。

大山のふもとには

2013-05-26 15:18:12 | 13.5
修士2年 山本詩織

 5月の連休のさなか、神奈川県は伊勢原にある大山に登ることになった。地元近くにあり、高校時代にはほぼ毎日眺めていた山だが、これまで一度も登ったことがなかったため、ふと登りたくなったのだ。
 予想はしていたが、私たちと同じような連休の観光客がひしめき、午前10時にも関わらず駐車場はどこも満車だった。警備員にどこか空いている駐車場はないかとダメ押しで聞いてみた。すると、「あぁ、あんたら運がいいよ、ちょっとちょっと」と、見知らぬおじさんに声をかけだしたではないか。そして、そのフリース姿のいかにも人のよさそうなおじさんが、
「おー俺んちに停めてきなぁ、あのもみじがあるとこだから!」と、私たちの車を自宅の庭に停めさせてくれたのである。
 おじさんにお礼を告げ、ふもと行きのバス停まで行くと、警備員が数名立っていた。近くには急きょ作ったであろう喫煙スペースがありお菓子も常備されていた。警備員さんたちも休日なのに大変だなぁと思っていると、友人がタバコのライターを忘れたからと警備員さんに貸してくれと頼んでいた。親切な警備員さんはライターを貸してくれ、友人は至福のいっぷくを味わう。
 バスに乗り込み、下車したところに売店があったので、さっそくライターを買うことにした(友人いわく、空気がおいしい所だとタバコもおいしいらしい)。レジの棚上に売り物と思しきライターを発見したが、値段が書いていなかった。私は売店のおばさんに「ライターはいくらですか?」と声をかけた。すると、「あ、コレもう火がつくか分からないから、ちゃんとつくの選んで持っていっていいよ!」と売店のおばさんは笑顔でライターが入った箱を差し出してくれた。
 なんだか山に登る前から幸先がよく、私たちは登山に向けてより気持ちが高ぶった。
 ふもとのお店をかいくぐると、いよいよ大山登山道が見えてきた。ケーブルカーには頼らず行こうと意気込んで出発したのだが、大山は思っていた以上に壮大で険しかった。登山というか、階段登りであった。気晴らしに周りの景色やヒトの様子を観察していた。登山道沿いのササはシカの食害でハゲあがってはいたが、新芽の出た木々や鳥の鳴き声、赤ちゃんをおぶって登るお父さんの姿を見たりすると心が和んだ。
 頂上に着いたのは14時過ぎ。登った達成感に満たされながら、私が作った不格好なまんまるオニギリと、山道を揺られながらも何とか原形を保っている卵焼きをほおばり、大山から初めて地元の景色を眺める。足の疲れも忘れるような至福の時だった。
 帰りは膝が笑うほど階段を下った。下り終えた時には夕方5時をまわっていて、私たちは庭を貸してくれたおじさんのもとへ急いだ。玄関先でおじさんはまた笑顔で迎えてくれ、私たちは何度もお礼を言って別れを告げたのだった。登山は苦労したものの、最後まで登り切れたのは、ふもとで出会った人たちの優しさに触れられたからではないかと思う。
大山のふもとには 何を見つけられるでしょうか。何と出会えるでしょうか。また行くあなたも、初めてのあなたも。登山だけではない 何かが大山のふもとにはあるかもしれません。