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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

移りゆく季節

2014-11-25 16:04:02 | 14
3年 大竹翔子

 日を追う毎に、秋から冬へ季節が移り変わっていくのを感じる。早朝は吐く息が白くなり、肌寒い季節となってきた。
 私は6月から山梨県の乙女高原で訪花昆虫の調査を行うことになった。11月23日に、その乙女高原で毎年恒例の草刈りの活動がり、参加した。これまで毎月2回調査に通ったが、この草刈りが今年最後の乙女高原来訪となった。
 今シーズンを振り返ると、調査をしていて驚いたのは季節の移り変わりの速さである。6月のことを思い出すと、キンポウゲやミツバツチグリなど小さな黄色い花を咲かせているほかには花はなく、他の植物も枯れ草の中に緑が少し出て来たという感じだった。



6月のススキ群落


調査をする筆者


ミツバツチグリ

 ところが、夏になるとススキがぐんと伸び、シラヤマギクやタチフウロ、クガイソウといった虫媒花が色鮮やかに咲いた。そして、マルハナバチやアサギマダラといった昆虫も活発に活動し、賑やかであった。


7月のススキ群落


シラヤマギク


タチフウロ


クガイソウとマルハナバチ


ヨツバヒヨドリとミドリヒョウモン


ノアザミとセセリチョウ

 それから秋が近づくにつれ、高さ2m近くにも生長したススキが茶色くなって銀色の穂を揺らすようになり、色とりどりの花は少なくなった。あれだけいた昆虫が少なくなり、ルリハムシの仲間やハチにしか会えなくなった。
ひとつの調査が終わって、2週間経ちまた訪問するたびに、咲く花の種類も、訪れる昆虫の数も、ススキの丈も、空気のにおいも何もかもが変わっていて、毎回新鮮な気分を味わった。これほどまでに季節の変化を感じたのは初めてのことだった。


秋のススキ群落

 気がつけば、手帳に年末年始の予定が書く時期になっている。寒くなってきたが、外に出て散歩やサイクリングがてら、葉の落ちた木々を眺めるのもよいかもしれない。手が悴んだら、炬燵に入ってミカンを頬張るのもよいかもしれない。そんなふうに季節になぞって日々を送ることができたら素敵だなぁ。

わかりやすい文章

2014-11-18 22:41:44 | 14
高槻成紀

 私が初めて本を書いたのはシカの生態学の野外調査を記載した「北に生きるシカたち」である。それは専門的な内容であるから、読者対象は研究者や学生を想定していた。その後、生態学の専門書などをいくつか書いた。前者は研究成果だけでなく、自分が野外調査で体験したこと、シカの生態を解明してゆくおもしろさなどを自分のことばで書いたが、後者は硬い言葉で正確な文章が求められるので、書きぶりは大いに違った。自然科学の研究者は日常的に英語の論文を読み、英語で論文を書くから、いつでも頭の中で英語と日本語を往復させている。専門的なことばを同業者で話すときは単語も英語のほうが便利だということも多い。ただ、それだけでなく、文章の組み立て、主語や時制を明確にすること、骨組みから書いて、詳細は付け加えるように書くなども英語の影響を受けているように思う。
 その後、中高生を対象にする本を出した。とても楽しい作業だったが、大変でもあった。専門書であれば、専門用語を使うことができるが、中高生ではそうはいかない。かといって、生態学の内容を伝えることに「手抜き」をするつもりはなかったので、言葉の選択には苦労した。
 思いがけないことに、私の文章が中学生の国語の教科書に採用されることになった。私にとって学校の「国語」という科目はよくわからないものだという印象がある。新学期に教科書を開くと、決まって詩が載っていた。もちろん好きな詩もあったが、何を学べばよいのかわからなかった。作者が感じたことを共有するということなのだろうか。試験問題として出されて、自分の感じ方を書いたら不正解になり、納得いかなかった。中学生くらいになると、教科書に載ったおもしろい文章に出会うと、原作を図書館で借りて読むようになった。それらの多くはいわゆる文学作品だから、何を言っているのかよくわからず、だから試験問題になるのだと思った。だが、その後私が読むようになった自然科学の文章は論理的でわかりやすかったので、高校までにこういう文章の書き方を教えてほしかったと思った。
 私は中高生を読者に想定したときは、ひとことでいえばわかりやすさを最重要と考えた。そのために重要なことは、何を伝えるかが明確になっていることである。その伝えたいことを的確に伝えるには、どういう入り方をし、どう組み立てて、どう結論するかを考える。それはやはり英語的で自然科学的な発想なのだと思う。同時に無意識におこなっているのは、心の中で文章を「読んでいる」ことだ。要するに内容は正しくても、聞こえる言葉として流れや響きがよいものにしたいという思いがある。
 私が文章を書くときに心がけているのはその程度なのだが、そうして書いた文章が国語の教科書の文章の書き方のモデルとして採用されたというのは、驚きでもあり、喜びでもあった。子供たちが正確でわかりやすい文章を書くことに役立てるとすれば、本当にありがたく、嬉しいことである。

タヌキが戻ってきたということ

2014-11-08 20:26:05 | 14
4年 椙田理穂

 今月、同期の友達が自主ゼミで「仙台で3年前の津波の被害で失われた海岸に動植物が戻りつつあり、タヌキも戻って来たので糞分析をする機会を得た」という話題を紹介してくれました。仙台の海岸はあの東日本大震災で大津波に襲われたのですから、タヌキは完全にいなくなったはずです。そのタヌキが戻ってきたということは、タヌキが暮らせる環境が戻ってきたということです。タヌキの糞からはテリハノイバラという低木の果実の種子がたくさんでてきたそうです。また、冬にどこから見つけたのか米を食べていたそうです。ともかく、たくましく生きていることがうかがえたということでした。私はその発表を聞いたとき
「たった3年で戻りつつあるのか!」と驚きでいっぱいでした。
 動植物たちは人に助けられた訳でもなく、自らの力のみで生きているー今まで何度も厳しい環境の変化を生き抜いて今があることを考えれば、もしかしたら津波被害も「想定内」なのかもしれません。何もなかったところにまず植物が生え、そこに昆虫などが表れ、その昆虫を食べるために鳥や小動物が来る、こうして徐々に自然が戻っていくのでしょう。私には3年というのは短いと感じられました。何もないところから命をとりもどし、繋いでゆくその生命力は、本当に凄いと思いました。
 このことが印象に残っているところに、御嶽山の噴火や、大型台風など自然災害に関する報道が多くありました。これはこれで自然の偉大な力です。小さな生き物の生命力と、地殻変動や大気の動きなどの大きな自然の力、今月はそうした力に印象づけられる月になりました。

インターンでの体験

2014-10-23 22:10:16 | 14
3年 浅井未有子

 私は、今年の夏休みに地元の自然公園で2週間インターンをさせていただいた。私の地元は新潟県魚沼市で、お米と自然が自慢の場所である。小さい頃から自然に囲まれて育ち、家の中で遊ぶよりも山や林、川の中で遊んだ思い出のほうが多いような気がする。インターンに行った自然公園は、私が幼稚園の頃にでき、家からも近かったことから、小学生、中学生になっても学校の活動や、両親、祖父母と共に度々足を運んでいた。高校生になってからはあまり行く機会もなくなってしまったが、自分が大学で勉強したことを今まで地元のお世話になった場所で生かしてみたいと思い、この場所をインターン先に選んだ。また、元々自然が好きで自然保護や自然の大切さを子供たちに伝えていく仕事に興味があったことも動機のひとつである。
 2週間のインターンでは受付や園内の見回り、工作教室の手伝いなどさまざまな体験をさせていただ胃た。そのなかで、私が一番印象に残ったのは、クマの痕跡調査でした。
 実はこのインターン中にクマが園内に出没した痕跡が見つかり、クマによる植物の食害やどの辺りを行動圏としているかなどを調査することになった。そして、園の方にクマの痕跡と食害の特徴、どのような食物を好むかなどを教えていただいた。クマが出没してから2日目にクマの大きさを推定するため、足跡調査をすることになったが、園内でははっきりとした足跡を見つけることができなかった。私は野生動物が頻繁に出没する道路に石灰をまくことで、足跡を付けることができるという既存研究を思い出し、クマの出没場所に石灰をまくことを提案した。しかし、園の方から「石灰のにおいをクマが嫌がってうまく足跡がとれないかもしれない」という指摘を受け、県職の方の提案で小麦粉をまくことにした。その日から2日程経ちってから見に行ってみると、前日に降った雨の影響で小麦粉が固まってしまい、うまく足跡をとることができなかった。
 そのことは残念だったが、野生動物を対象とした調査や研究というのは、こういうことが起こりやすいのではないかと感じた。野生動物は私たちが望むような行動をとってくれないこともあり、さらに自然や天候が邪魔をすることもある。野生動物を研究するということは、実験室でやる研究よりも失敗することや、自分の思うような結果が得られないことがあるのではないかと思った。私はこれから本格的に卒業研究を行っていくわけだが、この体験を活かして、失敗を繰り返しても諦めず、さらに考え根気よく研究をしていきたいと思う。

ネズミ捕りは奥が深い

2014-10-23 18:24:36 | 14
修士二年 靍田隼人

 私は修士課程2年で研究活動に没頭中だが、その傍ら調査道具の購入や調査費を稼ぐためとフィールドワークの技術向上のため、野生動物調査のアルバイトも行っている。今回はそこでの経験について、特にネズミの捕獲について書きたいと思う。
 今年になって、学部3年の頃からいつもお世話になっているプロの調査屋さんから「お前もそろそろネズミ捕りくらい出来るようになってもらわなきゃなー」と言われ、ひたすらネズミ類の捕獲をさせてもらう機会をいただいた。
 調査は、シャーマントラップという捕獲器を調査範囲内に決められた個数を自由に仕掛けて、調査範囲内に生息するネズミ類を全種捕獲することを目的としてやっている。細やかな手ほどきなどは受けず、とにかくネズミもしくはヒミズの気持ちになりきって通り道や坑道に罠を仕掛けた。すると、ネズミはちゃんとたくさん獲れていた。しかし、獲れたのは全部アカネズミという種類だけだった。しかも、ヒミズ類を狙ってかけた罠にもかかわらずアカネズミが獲れていた。「アカネズミばっかとってもしょうがないんだぞ」と言われ、考え込む。
 その後も試行錯誤しながらやっていくと、いくつかわかってきたことがある。ひとつは、ネズミの種類によって獲れる環境がある程度決まっていること。もうひとつは、環境ごとに、そこに優占している種類がいて(大概アカネズミかヒメネズミ)、罠をネズミの通りそうな場所に散在してかけると優占している種しか獲れないことだ。この二つが分かってからは、優占種以外の狙ったネズミがいそうな環境にまとめて罠をかけることによって、他のネズミがある程度獲れるようになってきた。狙ったネズミが狙った場所で獲れたときはとても嬉しかった。
 少し上達していい気になっていたが、世話になっているプロの調査屋さんが私の代わりに罠をかけると、もっと狙い通りにネズミを捕獲しているように感じた。多分それは経験の違いもあるが、もっと私の考え至っていない事を考慮しているに違いないと感じた。いつもあまり教えてくれないのだが、少し話を聞かせてもらうと、観察もしていないネズミのかなり詳細な行動を想像して罠をかけているようだった。ネズミの研究をしている訳ではないのに、ネズミという生き物のことをよく理解している感じがしてすごいと感じた。
 研究をおこなっていくうえでもこのような経験は非常に刺激になるし、生き物のことをもっと自分も理解したいと感じさせられた。


ヤチネズミ