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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

土の中の絵の具

2015-03-01 21:26:54 | 15
平成22年度卒業 奥津憲人

 このエッセーシリーズの名称である「Observation」は「観察」という意味である。語源は「監視する」というラテン語らしいが、「注意を向ける」という意味もあるらしい。人が森や草原を「観察」するとき、どんなものに注意を向けるのだろうか。最近の私は耳を澄まして鳥の鳴き声を聴き、鳴いた鳥を探す。または地面を見ながら何か落ちていないか、どんな花が咲いているかを探す。そういう意味では私はかなり細かいものに注意を向け、様々なものを見ているように思う。
 しかし、人によって見えるものは違うだろう。私のように小さいものに注意を向ける人もいるし、大きな木々に目を向ける人もいる。かとおもてば生き物ではなく、川や空を見る人もいるだろうし、森の空気だけを感じる人もいる。このように、同じものでも見える・感じるものが違うのはなぜだろうか?
 私は大学で生態学を学んだ。だから自然を見るとき、生物の生活や、他の生物や環境とのつがなりを考える。木を見ればどうしてその木がそこにあるのか、花を見ればどんな昆虫がいるか、動物の糞を見れば何を食べているのか、そんなことが頭をよぎる。単に風景としてではなく、一つ一つの生物の営みとして、そのつながりによって生まれた、ある意味では完成されたシステムとして自然を捉える。それは、そのシステムにおもしろみを感じ、知りたいと思うからだ。私が自然に対してそういう捉え方をするのは、背景知識として生態学的な知識をもっているからだと言える。
 ところで、私は現在教員として中学生~高校生に理科を教えている。生徒に聞いてみると、ほとんどの子が「森」に行ったことがないという。だから自分の周りには自然はあまりない、と思っている。そんな中、中学生の移動教室で軽井沢に行くことになったため、野鳥の鳴き声を紹介した。また、スキー教室に行くときには、雪に残る動物の足跡を紹介した。そういうことを知ると、思ったより自然は身近であり、ありふれているということを知ってほしかったからだ。
 私のその企みはうまくいったようだ。軽井沢では野鳥の鳴き声を聞いて「この声はミソサザイですか?」と言う生徒がいたし、スキー教室では「ウサギの足跡がいっぱいあった!」と言う生徒がいた。どうやらこの生徒たちは自然に目を向けてくれたようだ。


 大きな鳴き声で鳴くが、体はとても小さいミソサザイ。見つけづらい鳥だが、鳴き声を聴いた生徒はしっかりと姿を捉えていた。

 ところが、一人の生徒の質問を聞き、私は自分自身も自然を「見たつもり」になっていたと思った。それはウサギの足跡を見たときの、
「何でこんなにたくさんの足跡が残るんですか?」
という質問を聞いたときだった。それに対して私はすぐに
「それは冬で餌が少ないから、いろいろ探し回っているんだ」
と生徒に答えたが、直後に私は思った。そういった素朴な疑問を、私は思いつくだろうか?
 私は「理科」という科目で最も重要なことは「なぜ?」と疑問を見出す力だと思っている。「なぜ?」は学ぼうとする原動力であり、科学が発展するスタート地点にもなるからだ。子どもはその力を持っている。しかし、私は「森には当然ウサギの足跡くらいあるものだ」と不思議には思わず、「足跡が多い」ということにすら気がつかなかった。これは知っていることが見るべきものを見せなくしている例だと私はそのとき感じた。
 「知る」ということは、注目すべきものが増えることになる。現に植物の名前を覚えれば、どういった場所にその植物が分布しやすくて、どこを探せば生えていて、どんな場所に生えていたら貴重なのかを探すことができる。一方で、「知っていること」については注目しないかもしれない。一目見ただけで「こういうものだ」と判断し、詳しく見ないこともある。だからこそ、「なぜそこにあるのか?」「なぜこんなに大きいのか?」といった素朴な疑問はなかなか思いつかないものになってしまう。「知る」ことで見えるものも増えるが、見えなくなってしまうこともあるのだと思った。
 手帳のメーカーで有名な高橋書店では、「思わずメモしてしまう身近な人の名言」を募集して大賞を決めている。その第14回手帳大賞の受賞作品に、こんなものがある。
「土の中に 絵の具があるのかな」
(http://www.takahashishoten.co.jp/techotaisyo_16th/archives14.htmlより引用)
この言葉は、受賞者の4歳の男の子が、色とりどりの花が咲く花壇を見たときに言った言葉だそうだ。既成概念のない子供ならではの、自然に目を向け、知ろうとしている姿勢が感じられる。その子には花の色と、自分が知っている絵の具とが連想されたのだろう。
 知っているから見えるもの、知っているからできる発想。知らないからこそ見えるもの、知らないからこそできる発想。どちらも大事だが、なかなか相容れないものである。できる限り「初心忘れるべからず」を意識し、たまには「常識」を捨てて、素直に自然に目を向けることも必要だろう。人によって見え方は違っていても、自然の姿は変わらない。どういう見方をするかは人それぞれだが、そこに自然がある事実に変化はない。これからも私は自然を「観察」し続けていくだろう。その時にはいろいろな視点から見て、真摯に、そして素直に自然と向き合っていきたいと思う。

学生時代にしてほしい観察

2015-03-01 18:27:22 | 15

平成24年修士修了 海老原 寛

 私は現在、野生動物の保護管理に関わる仕事をしている。現在の日本には、本当に多くの野生動物問題が生じている。それは農業被害のように動物が人間に迷惑を与えていることもあれば、外来種問題のように人間が動物に迷惑をかけていることもある。本当に終わりの見えない、途方もない問題であるように思える。それでも、そんな途方もない問題に力を尽くしている人はたくさんいる。その人たちの情熱はとても素晴らしく、尊敬できない人がいないくらいである。それほど社会の認知も大きい問題であるためか、その解決に貢献したい!という情熱を持った若者も多く、それを目的として大学に入学することも多いのかもしれない。学会に参加すると、このような野生動物問題に関する研究が数多く並び、学部生がそのような研究を一生懸命に発表している姿もよく見かける。先日出会った学部3年生も、「来年から研究を始めるんです!野生動物の被害問題の研究をしたいです!」と言っていた。若者も含めて、本当に多くの人々が野生動物問題の解決を目指して活動しており、野生動物と人間の未来は明るいなと思う。
 でも私は、大学時代では生き物のおもしろさ、尊さを知ってほしいと思う。生き物がどんなに懸命に生きているか、どんなに素晴らしいかを調べて知って欲しい。野生動物の問題を解決することは、人間のためでもあるが動物のためでもある。その動物のことを尊敬できずに、野生動物問題に関わることは良いことではないと思う。野生動物は、決してただの敵ではない。
 そんなことを言っている私も、学生時代は「ニホンザルの農業被害」について研究していた。誰かから私の研究について聞かれても簡単にそう答えている。しかし、私の中で本当は少しだけ違うと思うものがある。私は「農地を利用するニホンザルの群れの生態」について研究しているつもりであった。はたから見れば、「農業被害を減らすためにおこなう研究」をしていると思われていると思うが、私は「農地という環境を自らの生活に取り入れたサルという動物の研究」をしたという気持ちでいる。
 私はサルが好きだ。好きだからこそ、サルのことをもっと知りたい。一方で、サルが好きだからこそ、サルが嫌われる原因である農業被害をなくしたい。そこで思いついたのが、このような研究であった。
 野生動物問題に関わりたいと思えば、社会に出ればさまざまな形で関わることができる。野生動物問題を解決に導くために尽力するのは、私たち社会人の仕事だ。私たちに任せておいてもらっていい。それよりも学生時代は生き物のことをしっかり観察して、生き物のことを学ぶことが大切だと思う。学生時代に培った観察力が、絶対に将来に活きてくる。逆に言えば、社会人になってしまえば、日々の忙しさに追われ、生き物をしっかりと観察する機会が少なくなってしまう。私自身学生時代に戻りたいと思うことが多々ある。そうならないためにも、学生時代はしっかりと生き物に向き合う時間を大切にしてほしいと思う。
 私は麻布大学の野生動物学研究室で、本当に良い経験をした。生き物をしっかり観察することを学んだ。麻布の野生研は、本当にさまざまんな人がおり、さまざまな視点でさまざまなな生き物を観察している。自分の対象動物をしっかり観察することはもちろんだが、他の室生が対象としている生き物のことも学ぶことで、興味や視点が広がったように思う。サルだけでなく、シカなどの他の哺乳類はもちろん、植物、鳥、虫などを学べたことは大きかった。それと同時に、他の人の観察の着眼点を学べたこともとてもおもしろかった。これは麻布の野生研でしか得られなかった財産のように思う。
 高槻先生が退官を迎え、今後はさまざまな生き物を対象にすることが難しくなってしまうかもしれない。しかし、生き物をしっかり観察するということに関しては、南先生も妥協を許さない人である。私は麻布の野生研に6年間もいたが、やがて誰一人室生がわからなくなってしまうときが来る。だが、麻布野生研の良さは変わらないと思う。これから私たちの仲間になる人たちには、そんな室生でいられることを最大限利用して、生き物をしっかり観察する眼を養っていってほしいと思う。そして、いつかどこかで話をすることがあったとき、「やっぱり麻布の野生研だったか」と思えるような後輩が育っていてほしいと願っている。

最終講義を拝聴して ― あれはカラタチ?ー

2015-03-01 16:46:37 | 15
岸本真弓

 最終講義お疲れさまでした。懇親会でもお話をしたかったですが、たくさんの方々が先生とのお話を楽しんでおられる、また待ち望んでおられるよう入り込めず残念でした。
 最終講義は大変楽しく拝聴いたしました。先生の研究に対する情熱と姿勢、そしてそのバックボーンとなる幅広く深いご見識は存じ上げているつもりでしたが、お子様の頃からのものなのだということを再認識できたのは、最終講義に出席させていただいたからこそと、大変嬉しく思いました。時に私さえも胸が詰まり涙腺が緩む時もありました。いかに、お心のこもった講義であったかということだと思います。
 懇親会でお話ししたかった、最終講義にあったお話で思い出したことをひとつ。私も時代的にか、虫取りに興じた子供時代を送っています。
小学校2年生までは兵庫県高砂市の海岸近くにあった父の会社の社宅に住んでいました。その頃は周囲に自然があまりなく、学校でカタツムリをとって持ってくるようにという宿題に難儀したことを覚えています(夢の中では見つけたらしく、寝言で「おった、おった、でんでんむし」と叫んだそうです)。ささやかな虫取りの対象はチョウの幼虫でした。家の近所にはモンシロチョウのアオムシしかおらず(? いたかもしれないけれども気づかず?)、唯一アゲハチョウの幼虫がいるのが、特定の場所で、今でもはっきり覚えていますが、少し離れた幼稚園の近くの古い集合住宅の生け垣でした。その生け垣には棘があり、暗い緑色でした。その生け垣に行ってはアゲハチョウの幼虫を探すのですが、棘がいたくて奥までは見れないのを悔しく思っていました。小学校3年生になって田舎に転校し、生物が多種多様にいるようになり、アゲハチョウの幼虫を捕ることはなくなりました。
 最終講義で、はっとしました。あの棘のあった生け垣は、あれはカラタチだったのではないか、と。植物までちゃんと調べてチョウの種類との関係性を幼い頃から見極めた先生と、棘がある生け垣にアゲハの幼虫がいるというだけで終わっていた、その差が、今の先生と私の差なのだなあ、と深く思った次第です。

 もうひとつ、ついでといってはなんですが、『唱歌「ふるさと」の生態学』を読んで。内容については、先生のあまりの博識と洞察の深さにただただ感銘を受けたのですが、唱歌好きの余談を少し。講義が終わった時に少しお話ししましたが、私も大変唱歌が好きです。
実は大変な音痴なので決して人前で歌いませんが、車の中などでは大いに歌っております。子供の頃、家に同様・唱歌のレコードがあったのと、母がよく口ずさんでいたからかもしれません。(そうそう、昭和9年生まれ京丹後育ちの母は子供の頃、学校総出で山狩りをしてウサギを捕ったと言ってました)唱歌の何か好きといって、流れるような日本語の美しさが好きです。子供の頃は意味もわからず口ずさんでいたようにも思いますが、簡潔でそして美しい。情景が目に浮かぶ。『唱歌「ふるさと」の生態学』は大変専門的でしたが、是非もっもっと軽くてわかりやすい、小学生が楽しめるような、そして唱歌とにほんの里を愛おしめるようなご本を書いてください。自分がそういう本を書いてみたいと思いますが、能力的にも時間的にも到底できそうにもありません。

 私が口ずさむもうひとつのものは、校歌です。先の高砂時代の高砂小学校の校歌が一番好きです。メロディをここでお示しすることはできませんが、とても溌剌としていて気持ちのよいメロディです。
歌詞は
~~~~~~~~~~~~~
八重の潮路のはて遠く
ながめはるけき瀬戸の海
大船小船荷積みする
港の岸の波の音
新興の市高砂の
学びの舎につどふ子よ
つねに正しくすこやかに
守れわれらのこの舎を

流れゆたけき加古川を
海に迎ふる播磨灘
砂浜白く空高く
吹くは千歳の松の風
伝統の市高砂の
学びの園にあそぶ子よ
いつもやさしくおほらかに
歌へわれらのこの園を
~~~~~~~~~~~~~

 私が小学生だった頃には、海岸のほとんどに工場が建ち、船が荷積みする港はなかったと思いますが、遊びに行っていた岩場の海岸や、砂浜の先には広く(瀬戸内なんですが、子供にはそう見えた)穏やかな海がひろがり、違和感なくこの校歌を受け入れていました。
校歌にも、その地域の懐かしい情景や、地域の大人たちが大切にしてきたものが謳われているのだなあと、『唱歌「ふるさと」の生態学』を読み、気づいた次第です。

一年を振り返って

2015-03-01 15:48:41 | 15
3年 山本 楓

 3月になって、野生動物学研究室に入室してから一年になろうとしています。一年の活動を振り返ると、様々な体験ができて充実していました。
 一番印象に残ったのは、8月は矢野さん・宮岡さん・富永君と一緒に中村先輩のお手伝いでシカの行動調査をしたことです。金華山で山小屋生活をしながら、シカ個体追跡をしたり仁王崎に行ったりと、初めての体験をたくさんしました。オスジカの名前と顔を覚えるのが難しくて苦戦しましたが、シシミヌエやラヌなどよくいるメンバーは覚えられました。いつもは先輩や先生がたくさんいて緊張の連続でしたが、このときは同期の子がたくさんいたので、自然体で金華山を満喫できるました。
 ほかにも、たくさんの調査に行きました。配属が決まって初めての調査は多摩森林科学園でした。金華山しか行ってなかったので、ほかの調査地に行くのはとても新鮮でした。食痕やタヌキのため糞など、痕跡があってとても楽しかったです。この調査がきっかけで、調査のお手伝いも積極的に行こうと思いました。
 5月に行った神津牧場のシカの捕獲調査は、金華山のシカとは違う完全に野生な状態のシカなので、見てすごく感動しました。ライトセンサスでシカを探している時に、ライトで照らしたところにたくさんのシカの目が光っていて、予想以上にシカがいたことに驚きました。
 6月の乙女高原では、刈り取りを行いました。ボランティアの皆さんとサッカー、ワールドカップの日本戦をラジオで聞きながら作業をしたことが忘れられません。一緒に行った矢野さんと蝶を捕まえたり、高槻先生・南先生と丘を登ってシカの被害を見たりと濃い一日でした。
 7月・8月は連続で金華山の調査に行きました。7月は須藤先輩のお手伝いで、昆虫を捕まえたりしました。ピットフォールトラップで捕まえた虫をピンセットでつまんだとき、変な霧状のものを出していて不思議に思いました。いつも調査はシカがメインだったので、金華山の違った一面を見ることができたと思います。また、高槻先生とシカ山を歩かせていただいて、シカへの近付き方を教えてもらいとても勉強になりました。
 9月は京都大学で開かれた哺乳類学会に行きました。ポスター発表や口頭発表を聞き、すごく勉強になりました。自分も学会などで発表できるような研究がしたいと思いました。
 10月は10日間も金華山に滞在することができました。「角切り」というイベント前後のなわばりの様子や、なわばりオスのなわばり防衛の様子を観察することができました。交尾の瞬間も見ることができて、貴重な体験ができたと思います。また、季節ものの行動のデータを取ることの難しさを知りました。
 11月は、南先生と樋口さんと中村先輩とで金華山に行くことができました。今いるシカ個体の性格など、ずっと研究されているからこそ分かるお話まで聞けて、いつもよりじっくり見ることができました。グルーミングが必ず行われるタイミングも教わったので、4年生になったらデータを取るのに使おうと思います。
 11月の後半には初めて浅間山にも行きました。金華山のとげとはまた違うとげ植物があり、カモシカの糞塊を探すのも大変でした。でも、近くでカモシカを見ることができたのが印象に残っています。
 4年生になっても、自分の調査地以外にも足を運んで自然とたくさん触れ合いたいと思います。


いっしょに歩いたアファンの森

2015-03-01 13:23:29 | 15
4年 望月亜佑子

高槻先生
 こんにちは。昨日は最終講義お疲れ様でした。
 パーティの際はつたない司会で申し訳なかったのですが、高槻先生のご退官に花を添えられたならうれしく思います。卒論発表会の際の写真ありがとうございました。また、2年間ご指導ありがとうございました。無事卒論を書きあげ、発表することができました。
 「人工林の研究がしたい」という漠然とした考えしかもっていなかった私が、聞いた人に面白いといってもらえる様な研究が出来たのも、高槻先生のご指導のおかげです。
 高槻先生と森を歩くだけで、研究の話をするだけで、全てが刺激となり、とてもわくわくし、とても楽しかったです。自然は好きだけど何もわからなかった自分に、植物のことや、昆虫のことや、動物のことや、森のことや、ものの考え方のことや、観察する心や、自然に対する姿勢や…様々なことを教えて頂きました。高槻先生と一緒に見たカタクリも、フキに来るハナノミも、ササをかき分けて行った調査も、ヤマネを見つけて喜んだことも、山菜を取って食べたことも、音速で真っ赤になって返ってくる卒論添削も、全部全部忘れられません。


フキに来たハナノミを観察する先生と私(2014年4月、アファンの森で)


土屋さん(右)と(2014年4月、アファンの森で)

 高槻先生最後の学生として、決してほめられた学生ではなかったと思いますが、高槻先生にご指導いただけたこと誇りに思っています。
 岐阜に行っても高槻先生から学んだ「自然の話を聞く姿勢」を忘れずに頑張ってみようと思っています。
 まだ、卒業式もアファンの発表会も控えておりますが、本当に2年間ご指導ありがとうございました。
 ご退官されても、変わらずお過ごしください。そして、また一緒に森を歩かせてください。
 ありがとうございました。