今日は、古代出雲の勉強会、古事記と杵築大社というようなテーマで学び合いましたが、早々に切り上げて妻木晩田遺跡でフィールドワーク。
良いお天気にも恵まれて、ちょうど桜も咲き始め、今夕は遺跡ではライトアップイベントだとか。
子どもさんを始め、多くの皆さんがいらっしゃっていました。
個人的には一度行っているのですが、確か、四隅突出型墳丘墓は見た記憶がなく、一番はそこかな?
それと、妻木晩田遺跡はなぜここだったのだろう?
あったであろう潟湖との位置関係や、日本海を舞台に繰り広げられた交流の文化や生活などを現場とミュージアムで追体験したいとの思いと。
ちょっとびっくりは、全体の面積170haは吉野ヶ里遺跡の40haをはるかに凌駕する国内最大規模だとか。
そうそう、四隅突出墳墓、出雲の西谷古墳群や安来の仲禅寺古墳群、富山、福井も見てきましたが、何れも墳丘は数mの高さがありましたが、ここはわずかに土が盛られているだけ、葺石がなかったら墳丘と確認できるかどうか?
弥生中期から晩期、2000年くらい前ですが、ほぼ他の四隅突出墳墓と同じ時期だったような、地域による築造の違い、これはこれでとても面白い。
発見された建物跡は900棟以上とのことですが、盛期には200人程度の集落ですから、3~40棟程度の竪穴住居と幾棟かの高床式倉庫があったのかな?
縄文中期の信州の井戸尻遺跡では、竪穴式住居の入り口と集落の入り口は冬至の太陽の昇る方向に作られていると記憶していますが、そういう規則性は全くなし、時代によって祭祀の考え方・生きる規範が違ってきた?それとも地域性?
遺跡展示館には時代をまたがる3つの住居跡がわかるように展示されていますが、一つは建て替えただろうと考えられる隣り合って柱穴がある建物跡や、古い跡の真ん中に新たに作られたものなど、面白い!
自分の中での大きな関心事がまだあって、それは、鉄文化がどうだったのか?
弥生時代を通しての遺跡ですから、当然鉄器は使われていて、たくさん出土しているようですが、砂鉄などから生産していたのか?
展示からは製鉄遺跡にふれるものはなく、原料を大陸から輸入して加工していた、そんな感じでしょうか?
狸の皮でふいごが作られていた、そんな痕跡があってのことだと思いますが、かなり興味をそそられるものでした。
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