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見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

神と髪と上

2024-08-26 14:56:25 | 古代のこと

夏枯れ(>< お魚がありません。
小さいのでちょっと躊躇しましたが、久しぶりにエノハ。
煮付けましたが、身を外すのが面倒だしちょっぴり(^^;; 美味しいけど、、


分かり易く伝える
筒井功著「縄文語への道」に“神と髪と上“という節があり、興味深く読みました。
著者は、言語学者ではなく元共同通信の記者、現場を踏むことに慣れているし、どう分かり易く説得力のある伝え方ができるか、よくわかっているよなあ。
得てして、専門家と言われる皆さんは、視野が狭くなりがちだし、一般読者に分かり易く伝えるというのが苦手なのかなあと感じています。

もう一冊、やはり専門家ではないようですが、この本と対極にあるような、独りよがりで説得力の全くない本を借りてきたのですが、1/5も読まないで閉じました。
いろんな人がいるよなあ、よくこんな本を出版するわ!そして、出版社って矜持ってものがないのかなあ?と。

本題からズレましたが、以前、欧米では床屋って医者よりもステータスが上だったと聞いたことがあります。
また、米軍では斥候としてインディアンが起用されたが、軍規によって髪を切ると直観力が衰えて使い物にならなくなったとも。
洋の東西を問わず、“髪は神“と考えられていたんでしょうか?

旱魃に髪を燃やす
オーストラリアのいくつかの部族では、旱魃の時に妖術師が人の髪を燃やした。平素は燃やすことはなかったが、それは洪水を恐れてのこと。また、川の水位が下がると、水の量を増やすために川に人の髪を入れたと。
ニュージーランドでは、刈られた髪は大地の神聖とされる場所に置かれた。酋長の刈られた髪は丹念に集められ、埋葬地に安置された、等々。
日本では、人の髪を燃やすと蛇が集まってくるという俗信が各地にあった、蛇は竜とともに水の神を象徴するからなんですね。

埼玉県草加市の毛長神社は「女性の髪」をご神体としているそうですが、そういう伝承を持つ寺社は全国で少なくとも10カ所はあるのだとか。
髪への信仰があるわけだから、神の霊力を守り、強化するための呪具であった櫛が特別視された。記紀には、伊弉諾は追ってくる黄泉醜女に向かって髪に差していた櫛を投げて追跡を防いだと、櫛の呪力を頼ったんですね。
考古遺跡、特に縄文遺跡から櫛が豊富に出土しているのですが、木製品が良く残っている、それは、黄金や鉄と並ぶ貴重品の漆が惜しげもなく使われているから、櫛にはそれだけの思いが込められていたんですね。

また、縄文の出土品には長い髪の毛を彫った礫や土版などがたくさん出土しているのだとか、あちこち見たけどそこまでは見なかったなあ(^^;;
おっぱいを象った土偶はたくさん見たけど、、、
おっぱいと同様、髪って神として大切に扱われ、礫や土版はお守りのように持たれたのだろうと。
髪は神として、ひいては上も語源を同じくしているのだろうと。


神奈備山・天宮山を遥拝したという

2024-08-19 16:27:19 | 古代のこと

戦いを好まなかった、だから目立たぬように生きるのが出雲人に染み付いた生き方?
派手さはなく、冴えないと言えば言えるのでしょうが、そういう生き方の範を示してきた出雲の先人たちを誇りにさえ思います。
そんな出雲の先達たちの歴史をもっと知りたい、もっと知りたいと乱読、積読の日々ですが、何と言ってもフィールドワークが一番。

活字などの情報は正しいのか?錯綜する情報の中で、本当の歴史とは?
新たなものを掘り起こすことなど到底できませんが、現場と突き合わせ、五感で感じることで見えてくるものがある、だからフィールドワークって面白い。
今日は、広瀬町山佐に出かけてきました。

ダムに水はあります!
折角来たのだからと、ちょっぴり気になっていた山佐ダムの水量をこの目で確認(笑
だって、あの雑草たちでさえ青息吐息のお天気続き、我々が干上がることはない?
なんて思って、でも、ダムの水は減ってはいるけど結構あります。杞憂でした。


天宮山の遥拝地
さて、今日の目的は、弥生の時代、出雲の長達が葬られた天宮山(天狗山)、魂が眠るまさに神奈備山の東の遥拝地であったという山狭神社。
天宮山を挟んで西からは熊野大社が遥拝の地だったとも聞きます。
八雲の地から葬地である磐座には1時間ほどの登山が必要ですから、祭礼の時でもないといつでもという訳にはいかないし、年寄りにはきつい。
ことあるごとに
神奈備山である天宮山を遥拝したんでしょうね。ただ、天宮山は見えないけど。

そうそう、出雲国風土記にも所載されている山狭神社ですが、特に下山佐の方は土地のエネルギーが凄い。
参道脇の巨木、尋常ではありません、凄い場所を遥拝の地としているよなあ。
それと拝殿を飾る彫り物が凄い!精緻です、匠の技ですね。







蜻蛉日記

2024-08-03 19:21:08 | 古代のこと

友人が、知り合いの方の叙勲の祝いに出席するんだとか。
僕は、それって?と、特に政治に携わる者は必ず褒章や叙勲の栄に与れるのですが、それって、自分の功績ですか?って。
あっ、そこも含めて人の資質と言ってしまえばそうだけど、どれだけの人たちの支えがあったからなのか、、、

蜻蛉日記
「日本女性史 第1巻 原始・古代」(女性史総合研究会編)を読んでいるのですが、1982年発刊で文字が小さいうえ、玄人筋のための本?でやたら学術的、ってことで?ルビと言うものがない。
古典が苦手だったので、ハードルが高い上、興味のないテーマも多く、スルーしようとしていると、ここ面白!なんてことがあり(^^;;

“王朝女流文学の形成と背景~蜻蛉日記の場合”というテーマ、仮名文字がどう定着してきたのか、興味あって読み始めましたが、ルビのない和歌が数ページも続き、一々の解説が???で、す~~と流して、、、
いよいよ本題の「蜻蛉日記」を著した藤原道綱母の背景や経歴などに入ってくると、俄然面白い。
それで、ほぼ流した最初の数ページに戻り改めて読んだりして。

日記、道綱母の矜持?
道綱母、藤原兼家の2番目の夫人(たぶん)、しかも恐ろしいほどの才媛に名前がないことはないと思うけど、記録がないにしても、女性の扱いってこうなの?
和歌の達人とのことですが、普通女官たちが手にしたと言われる歌集はなく“日記”、ここに道綱母の矜持があるようにも思います。
ネットで兼家を調べていて“光る君へ”が!見たことないけど、道綱母は紫式部と同時代の女性なんですね。

それにしても、兼家って、栄華を独り占めした藤原一門にありながら、栄耀栄華への執着が凄い!
まあ、天皇を取り巻く人間模様も同様で、権謀術数は言うに及ばず、兄弟で殺し合うことさえ少しも厭わない凄い世界です。
それと褒章や叙勲を望む心持が重なって見えてしまう(><

縄文ユートピア論がありますが、本当にそうも思ってしまいます。


たそがれどき~誰そ彼?

2024-07-30 10:17:26 | 古代のこと

「誰(た)そ彼(かれ)と 我(あれ)をな問ひそ 九月(ながつき)の 露に濡れつつ 君待つ我(あれ)を」
あの人は誰なんだ?何て聞かないで、秋深まる9月の露に濡れながら、あなたを待っている私のことをーー

夕方になると、薄暗さからそこに立っていても誰かわからなくなるので、中世以降、夕方のことを「たそがれどき」と言うようになったとのこと。
それは、万葉集のこの歌の「誰そ彼?」なんですね。

上野誠著「万葉集から古代を読みとく」の冒頭、著者は、新海監督のアニメ「君の名は?」こそこの歌の「誰そ彼?」だと。
歌が語り継がれ、歌い継がれて、日本であれば日本人らしい心象風景が民族の情緒として心に焼き付けられていくのでしょうか。
もう一度「君の名は?」を見たいなあと。

古代の少年
昨日、青谷上寺地遺跡を訪ね、1800年前の少年に会ってきました。
彼の頭骨には2カ所ほど穴が開いていました。
200体近くの人骨が散乱する中で、19体は殺されたであろう痕跡があったとのことで、そのうちの一体が彼だったのかなあ?

学芸員の方から、殺されたであろう人たちは1800年ほど前、同じ時期だったと教えて頂きました。
ちょうど、記紀で書かれる国譲りの時代、弥生時代の終わり頃で田和山遺跡で殺傷された人骨と同じような時期だったのでしょうか?
大国主と八上姫とのロマンス譚があるように、因幡・伯耆の地は出雲との強い結びつきがあったのだろうと思うと感慨深いものがありました。

古代は面白い
弥生の時代の出土品、鉄器や盾などは縄文にはなかったものですし、準構造船のように鉄器出現で大きく進化したものもありますが、道具類は縄文と大きな変化はないように感じます。
大きな変化とすると、おしゃれにこだわった?特に宝飾品は種類も数も格段に増えていますね。

土器などは様式の変化(強度も含め)はあるけど、用途などの基本は大きく変わっていないのかな?
ただ、文様や形へのこだわりは縄文は凄いし芸術家揃い!
ってなことを勝手に想像して楽しんできました。古代は面白い!

 


縄文は凄い!面白い!

2024-07-03 13:33:32 | 古代のこと

本体価格1,600円の本が、税込み5,226円(@@
8年前に出版された本ですが、電子書籍は定価であるものの、単行本はこんな値段。
ついついこんなところに目が行ってしまって、、、

この値段の訳、装丁が可愛いし、雑誌仕立てでとても分かり易いこともありますが、時代感性の鋭い女性たちが縄文的な生き方に共感しているのかなあ?
この本、誉田亜紀子さんの「ときめく縄文図鑑」、ここのところ縄文にはまり気味で、今日も図書館で縄文関係の本を3冊、そのうちの1冊がこれ。
著者は、はじめにで「日々を丁寧に暮らす彼らが、ちょっとうらやましくもなったりするかもしれません」と。まさに!

古代の出雲人は争いが嫌いで、「言向け」とうように、言葉で仲間を増やしてきた、また「めだたないように生きよ」と言い伝えられています。
そして、女系社会で女性が大切にされ「まつりごと」の主役は姫巫女だったと。
これは、まさに縄文的な社会だったように思います。

縄文期は争いが少なかった?
今日返した本の一冊が戸谷学著「縄文の神~よみがえる精霊信仰」。
縄文人は森には神が住む、神が降りてくると考え、森や木を「ヒモロギ」と言って崇敬し、神と共存したが、欧米は森には魔物が住むとされ、石やレンガによる強固な建物で外界と遮断し、魔物と対峙する征服する思想で正反対。
また、縄文人の信仰は、磐座、甘南備、神籬(ヒモロギ)、光など、森羅万象に神が偏在するという考え方で、社殿など必要としなかった。
後世、仏教の伽藍設置に対抗して社殿を設けたことで、そこに置くための拝む対象物(人工物など)が必要になり現在の姿があるが、ある意味本末転倒と言える。

やっぱり!縄文期は争いが少なかったようで、縄文遺跡の人骨を調査した結果によれば、暴力での死亡率は1%台、欧米やアフリカなどは10数%!古の出雲人と同じだ(*^^*)

これもそうだよな!柳田国男は、「文書によって郷土の過去を知ろうとすれば、もっとも平和幸福保持に努力した地域は無歴史となる」と。
文書に残された地域の歴史って、災害や飢饉や一揆などの事件が中心になる、だから、民俗学はフィールドワークで資料収集し解析すべきだと、ガッテン!

戸谷学著「縄文の神」、最近読んだ本の中でも秀逸と思った1冊です。
縄文時代の人の生き方、考え方を学ぶ時代なのかも。