あっ、全部食べてしまってた~(^^;;
今日のお昼、エネちゃんが自家製納豆を持ってきてくださいました。
学生時代に衝撃の出会いを果たし、以来ずっと親しんできたし、学生生活をサポートしてくれた納豆ですが、こんな食感と味は初めてです。
塩味のないクリームチーズのようと言えばいいのか?市販のものにはない奥深い味。
そうだ!ブログネタ、、、時すでに遅く全部消費済み、カラだけでも、、、
一緒にランチをと声を掛けながら、いけずごの運営費カンパをお願いする(^^;;
我ながらたいしたものですが、来てくれる旧知の皆さんが嬉しい。
そんな皆さんとの楽しいランチと歓談が終わってから雪で倒れた竹の片付け。
自然の力は常識を簡単に超える
抱えきれないほどの竹を7,8回も持ち出したでしょうか、焼却炉周りの駐車場が竹で埋め尽くされた感じ。
かなり管理していたつもりですが、よくもまあ、これだけ折れてくれたもの、自然の力はこっちの常識など簡単に超えるものですね。
あっ、そう言えばコロナも一緒か!
明日は、駐車場確保のための竹の焼却が待っています。
こういうのを慈雨っていうのでしょうね。
天気予報にはなかったから、あわてて洗濯ものを取り込んだけど、嬉しい嬉しい雷雨でした。
夏はこうでなくっちゃ(*^^*)
今日の夕方、自宅近くの水やりを予定していたけれど、ひとまずそれも順延。
お陰で、ちょっぴり時間にゆとりが。
カタカムナ勉強会で800年周期説そんな昨日、久しぶり、いや本当に久しぶりにカタカムナの勉強会。
以前にも話題に出ていたっけ?東西文明が800年周期で盛衰を繰り返す。
それによると、2012年に西洋から東洋に好調期が移ったと言われているようです。
以前、NHKの番組で地球の生物は5回の大量絶滅期を経験してきたことが紹介されていました。
講師の芳賀さんは、これからの800年は6度目の大量絶滅期が訪れるかもしれない、それは、人の手によるものであり、人類は絶滅する危機にあると。
それを乗り越えることができるかどうか、我々の手にかかっている、我々の世代は大丈夫だけど、カタカムナの叡智を駆使できる人を増やし何とかしていきたいものだと。
今日のFBに、忌部町のカラカラに干上がったため池の写真を掲載している方があり、地球がこうならなきゃいいけどと。
地球全体が干上がるかもしれない近未来を意識の中において、日々の暮らしを考えながら行動していきたいものです。
昨日の予感、やはり!でした。
朝、新庄に着くと昨日採って帰ったヤマモモの選別、ジャムと酵素ジュースづくりでした。
選別と洗いは午前中に終わりましたが、、、
やはり、最難関は種を分ける作業。
一度煮てから(もちろん水は入れずに)種を取り出す作業をするのですが、ここが鬼門中の鬼門。
簡単には種と果実が離れてくれないのです(^^;;
と、ここまで書いたら「お風呂が入ったよ~~」と呼ばれたので、、、
居間に行くといつものようにTV がついていましたが、そこでニュースの画面にくぎ付け、熊本の球磨川があっちでもこっちでも氾濫、河川沿い一帯大変な事態。
こんな能天気なブログを書いている場合じゃないかもと思いながら、、、
大きな流れを変えるのはヒト?
きっと自分たちで招いている災禍でしょうから、この星の大きな流れを変えられるのはやはりヒト?
とすれば、この星を愛のエネルギー、慈悲のエネルギーで包み込むしかないのではないか。
そんなことを思いながら、改めてブログの画面と向き合いました。
あっ、もうどうでもいいかですが、写真の真ん中のヤマモモの種、ほぼ1キロありました。
我ながら、よくぞ、でした。
やっと?投入量を超える収穫ができました。
新庄の畑のジャガイモ、秋収穫と春収穫を作り続け、4作目にしてやっと、種芋以上の収穫に(^^;;
いくら自然農的に作ってるとはいえ、さすがに種芋以下の収量はへこみます(><
畑の土が少しは良くなってきたということでしょうから、大いに喜ぶことにしましょう(*^^*)
「小国寡民」まさに島根今日の地元紙、「コロナ×哲学」とのテーマで、「山陰の、世界の、生き方を見つめなおす」というインタビュー記事のトップバッターとして内田樹が登場しています。
内田樹のものの見方、考え方にはとても共感でき、いつも示唆を受けながら著作を読んでいます。
今日の記事、捉え方が少し違うと思うところもありますが、特に、教育論、地方論、政治単位の考え方など、まさにその通りだ!と。
教育論では、「自分で物事を判断し、いくつもの選択肢から最良のものを直感的に選び取れる賢い子どもを育てないといけない。『皆がやっているから』『大人がそう言うから』という子どもは生き残れないだろう」
内田先生が唱えてきた教育論、学び方論なのですが、大きく価値観が変容せざるを得ない今こそ、必須かな?
地方論では、「一極集中はリスクが大きすぎる。『不要不急の人は都市に住まず、地方に離散する』がとりあえず最適解だ」
政治単位では、「都道府県単位で基幹的なものを自給自足できるようにすること。今後は人々が静かに、安全に暮らせる政治的単位が選好されるようになるだろう」
そして、老子は「小国寡民」を理想にしたと。
現職時代、市町村合併を推進し、後に臍を噛むような思いを味わいました。
経済優先、効率化は“人の誇り“を減耗させてしまうよなあと。
“身土不二”という言葉があります。
生まれた大地に根を張った生き方、前時代的かもしれませんが、そこにはコロナに振り回されない暮らしがあるのかもしれません。
島根って、このすべてが備わっている、時代の最先端ですね。
やっと?投入量を超える収穫ができました。
新庄の畑のジャガイモ、秋収穫と春収穫を作り続け、4作目にしてやっと、種芋以上の収穫に(^^;;
いくら自然農的に作ってるとはいえ、さすがに種芋以下の収量はへこみます(><
畑の土が少しは良くなってきたということでしょうから、大いに喜ぶことにしましょう(*^^*)
「小国寡民」まさに島根今日の地元紙、「コロナ×哲学」とのテーマで、「山陰の、世界の、生き方を見つめなおす」というインタビュー記事のトップバッターとして内田樹が登場しています。
内田樹のものの見方、考え方にはとても共感でき、いつも示唆を受けながら著作を読んでいます。
今日の記事、捉え方が少し違うと思うところもありますが、特に、教育論、地方論、政治単位の考え方など、まさにその通りだ!と。
教育論では、「自分で物事を判断し、いくつもの選択肢から最良のものを直感的に選び取れる賢い子どもを育てないといけない。『皆がやっているから』『大人がそう言うから』という子どもは生き残れないだろう」
内田先生が唱えてきた教育論、学び方論なのですが、大きく価値観が変容せざるを得ない今こそ、必須かな?
地方論では、「一極集中はリスクが大きすぎる。『不要不急の人は都市に住まず、地方に離散する』がとりあえず最適解だ」
政治単位では、「都道府県単位で基幹的なものを自給自足できるようにすること。今後は人々が静かに、安全に暮らせる政治的単位が選好されるようになるだろう」
そして、老子は「小国寡民」を理想にしたと。
現職時代、市町村合併を推進し、後に臍を噛むような思いを味わいました。
経済優先、効率化は“人の誇り“を減耗させてしまうよなあと。
“身土不二”という言葉があります。
生まれた大地に根を張った生き方、前時代的かもしれませんが、そこにはコロナに振り回されない暮らしがあるのかもしれません。
島根って、このすべてが備わっている、時代の最先端ですね。