最近読む本、やけに当たってないか?
2回目を読み始めて終盤に差し掛かりながら、ついつい浮気心が出て本棚から取り出した本、昨年出版された本でしたが、おっと~~!
直ぐに読み終えて、隣にあった本を取ると同じ著者でさらに新しい本。
今度、あるテーマで鼎談を企画しているんですが、どストライクじゃないけど、この視点があればさらに深まりそう!引き寄せた?その本も読み終え、2回目の本を最後までと思ったら、新庄に置いたまま。
アルコールがないと日も夜も明けない最近の自分、そこまでの中毒じゃないけど、ちょっとでも本を開きたい自分、本棚を見渡して手に取ったのが佐藤優と宮家邦彦の対談「世界史の大転換」。
トランプが大統領になる直前に上梓された本ですが、読み始めると、まさに時宜にあった本かもと思いながら、読み進めています。
コロナとこれからの世界を考えるうえで、押さえておきたい視点のように思えます。
こういう視点、計画中の鼎談でもぜひ踏まえておきたいなあと思いながら読んでいます。
なぜか?改めて読み進めている本が手元にあるのに、本棚に気になる本が目に留まって手に取りました。
姜尚中の「トーキョー・ストレンジャー」、いつのどんな本なのか、全く分からないまま前書きを読み始めると、、、
3・11の直後に上梓された本、本文はファッション誌「BAILA」の連載に加筆訂正したものだとか。
その本文は一行も目を通していないのですが、前書きが妙に心に染みて、、、
3・11後の東京はいったいどうなるのか、、
それでも、私は悲観も楽観もしない。
ただ、高慢なトーキョーでも、委縮したトーキョーでもあって欲しくないと願うだけだ。
よそ者にさりげなく目配せし、そっと抱きかかえるようなトーキョー。
それが私の願うトーキョーの未来だ。
もしかして、トーキョーはやっとそんな都市に近づきつつあるのかもしれない。
今ほど、暗がりの中で人のぬくもりが恋しいときはないのだから。
さて、3・11後のトーキョーは彼の夢想したトーキョーに近づいたのか?
彼のそんな思いは、どんな行く末を辿ってきたのだろう?
僕には、ひょっとして元の木阿弥だった?そう思えてならないのです。
そしてこのコロナ禍、歴史は繰り返す、そんな言葉は戯言さ!と胸を張って言えるといいなあと思いながら前書きを読み終えました。
へえ、こんなに毛色の変わった名所旧跡案内があるんだ~!
いつの頃からか、出雲に生まれ、育ったことに特別の感慨を持つようになりました。
それは、幕末から明治期、日本を垣間見た西洋人が残した記録を渉猟した渡辺京二の「逝きし世の面影」、そこに記された心豊かな地がこの出雲には残こり、受け継ぐ我々の姿勢次第で世界の民の範たる地域になるとの確信に端を発しています。
大陸の玄関口であった日本海側の地域にはそのようなところが多そうですが、僕は、出雲こそという思いを特に強く感じているのかなあ?
なぜなのか?自分でもわかりませんでしたが、昔日の出雲がとっても気になりだし、出雲のルーツのようなことにアンテナが反応しだしました。
最初のきっかけは何だったのか?古事記1300年で何冊かの本を手に取ったこと?いや、もっと思い当たる節もありますが、次に訪れた決定的なことは“カタカムナ”に出会ったことじゃないかと思います。
そして、なぜか、紀元前2~3世紀ごろから栄えたと言われる出雲国のことを知り、全く興味のなかった記紀との齟齬に興味を覚え、何人かの人や出会いそうもない本との出会いもありました。
聞けば聞くほど、知れば知るほど、行き詰った世界のタグボートたる地域・出雲、そんな確信が強くなっているこの頃ですが、そんな時にもっと深く知ろうと思って何冊かの本を注文しました。
かなり待ったかな?やっと届いた中で、注文した時には一番手に取りそうもないと思っていたこの本が、なぜか呼ぶんですね。
あっち読み、こっち読みしているのに手放せない、で、冒頭の一言。例えば、美保関神社って拝殿はとても開放的で、本殿の千木は左が大社式の縦削ぎ、右が九州物部式の横削ぎが備わっているというのですが、それって、かつての恩讐を超えて手を取り合おうとのメッセージが込められているとか。
その本は、勝友彦著「山陰の名所旧跡」ですが、2000年も前のことでこの地の人の間にも未だに心の奥底で尾を引いているものがあることが随所に垣間見える。
ただ、その本から伝わってくるメッセージは、美保神社の千木などに込められた思い、恩讐を超えて和合し本当に豊かな日本の国を作り行こうということ。
知っておくって、とても大切なことかもしれません。
これで、いぶし銀人間製造からから解放される?
納屋の囲炉裏で火を焚く、遠赤効果や炎の揺らぎによる癒し効果?もあって、誰も席を立ちたくないようなのですが、只煙だけはというのがあり、、、
イベントの後、すぐに買いに行ったのが小屋裏に取り付けようと思った換気扇、その他の道具なども買いそろえての作業、取り付け場所の観察不足から、想定外もあって時間は余分にかかったけど、無事に取り付けが完了しました!
いらっしゃる皆さんに喜んでもらえるかなあ。
現場主義は政治に必須じゃ?
現場主義ってことばがありますが、現場をよく見る、よく知っておくって、とかく頭でっかちになりがちな政治の世界では絶対条件だろうと思います。
そうでないと、それでなくても見放されがちなのに、住民の感覚から遊離してしまうことになり、政治不信をさらに増幅させる原因になるんじゃないでしょうか。
今朝の地元紙の三面記事に「増員国会決議案 維新反対で見送り」との記事があり、反対理由の一つが「学校司書AIで代替可能」だったのだとか。
決議案に反対したのは維新だけだったと書かれていました。
維新反対はさておき、学校図書館の問題に取り組み続けた僕としては、正直、よくぞここまで漕ぎつけられたものだと、関係者の努力には感動すら覚えるものでした。
それにしても・・寂し~~い維新
それにしても、維新は取材に対して「人件費増に直結する『司書配置増』は『改革』の名に値しない」「国語力向上に資する学校図書館の機能強化」が必要だと答え、「生徒が望む書物取り出しは、必ずしも『人』が担うべきものではない」とは(@@
一体、学校図書館の現場をつぶさに見た維新の国会議員はあるのだろうか、と思えてならない反対理由であり、取材に対する答えです。
日夜子どもたちと接する学校図書館司書と、貸出やレファレンスが主となる公共図書館の司書の仕事は大きく異なるだろうと思いますが、全く見ようとしていない。
学力至上主義やAIで代替可能とする見識が、学校現場へのパッドの導入であり、小学生にプログラミングを教えるという発想につながっているんじゃないか?
今の子どもたち、もちろん学力も必要だと思いますが、それ以上に豊かな人間性を育むことこそが、学校などのいわゆる教育現場に求められているのではないでしょうか。
そういうことだったのか!
読み始めると、どんどん辻褄が合い、どういうことなんだろうと思っていた疑問が氷解してきたような感じ。
という本が書店に届いたとの知らせで、書店に取りに行き、何気にカウンターを見ると懐かしい“ビブリオバトル”と書かれたチラシが!
現職の時、活字文化推進会議の事務局長から話を聞き、これ面白い!と思い東京都が主催していたビブリオバトルを見に行きました。
猪瀬知事の横柄な態度には辟易でしたが、ぜひ進めようと取り組み始めました。
様々な形で開催してきましたが、高校生の大会は大学生などの力を借りて初回をやっただけ。
それが、教育委員会が事務局となって島根県大会の実行委員会が作られて開催されているなんて。
隔世の感と思ってしまいましたが、順調に進んできたのでしょうか?
とても気になるところですが、活字離れが進む昨今、ぜひ盛んになって欲しいものです。
そうそう、冒頭の話、気になりませんか?
機会があれば、ぜひ紹介したい本ですが、読み終わってからかな?
新庄でちょっとのつもりで開き、ついつい引き込まれて、、、
そんな刹那の今日の夕焼け、素晴らしかったですね。
上の写真は新庄敷地から。
色彩には出ませんが、紅葉に染まった木々が何と言えないいい雰囲気でした。