ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ラグラン行:ナルアワヒア

2015-11-17 | 旅行
旅行記は人気がない
このブログでは動かしがたい事実(笑)


なのに1、2泊の旅行に10本(=10日)とか書いてしまうので
連載が進むと1日の訪問者数が100人単位で減ったりします


でも、そもそも自分のために残している記録なので
またまた旅行記いっちゃいます。


やっと終わったラッセル&ケリケリ旅行が8月
香港と日本に里帰りしたのが9月
(※日本滞在記にはとんと興味がない私
今回のワイカト西海岸、ラグラン旅行は10月でした。


まっすぐ行けば2時間で着く距離ですが、まずはここへ。

なにもなさそうなナルアワヒア
マオリの里です。


通りもほんのこの一角だけ。



それなのにイウィ(部族)のラジオ局

ラジオ・タイヌイぃぃぃ
その存在が濃すぎてウケました。


タトゥー屋

生活必需品より、そっちですかい(笑)


こんな床屋でカットしたら

みーんなイケイケなマオ(リ)ちゃんスタイルになりそう


病院はなくても薬局はある?



唯一日用品を売っていそうな場所がチャリティーショップ

寄付の品を売っているだけなのに、この物々しい鉄格子
そこまでやらなきゃダメなもの?
恐れをなして今回はスルー(笑)


ナルアワヒアに立ち寄ったのはここに来るためでした。

マオリ王の公邸やマラエがあるトゥランガワエワエ


物見やぐらがあるから、ここが正門?



クルマの通り抜けができるのはここだけのよう?



他にもいくつか門があって



どこが正面なのかよくわからない



横に長~~~い敷地



ここは王専用の門だったりして?



すぐ後の建物がやたらに赤くて

立派です。


三角屋根の建物は



大勢のマオリの戦士に守られています。

ここが公邸なのかな?


ママクと呼ばれる巨大なシダの茎でできた塀



間に挟まった赤い飾り柱が可愛いです。

大事な場所だからなのか、後から補強したのか2本1組は珍しい


裏手はこんな風に広々していて行事の時には観光バスで入れそう。



ホールらしい大きな建物がいくつもあります。

レガッタのときは、ここがゲストで埋まるんでしょうね。


公邸の裏はたゆたう

ワイカト川


ここで毎年マオリ王主催のワカ(カヌー)によるレガッタがあり

正式名称はトゥランガワエワエ・レガッタ




このマラエ(マオリの集会場)らしい屋根は?


やっぱりマラエ

トゥランガワエワエ・マラエ
(※なんでもトゥランガワエワエ!笑)


マオリ王とは1858年にワイカト族ポタタウ・テ・フェロフェロ首長が
即位して擁立され、現在の王はその子孫の第7代王ツヘイティア・パキ


王と言っても全国のマオリが選んだわけではなく、一部有力マオリが
英国女王に対抗するために担ぎ出したようなもので、昔も今も
この周辺の部族ワイカト・タイヌイ族の長老的な存在です。


そのため国も地位を承認していなければ、他の部族とも無関係に近く
かつて一度も全国規模の民族統一運動に至らなかったマオリらしく
なんと言ってもイウィ(部族)、ファナウ(一族)、マラエ(集会場)
なんですわ。


この散り散りなところがマオリの弱さであり、また強さでもあり
西洋的な価値観と完全に相容れない独自なものに感じます。
権勢を極めた勢力が滅んでも、一族は営々と続いていくわけです。


王を擁立したばかりに、マオリは植民地政府への反逆を企てたとされ
1860年から始まったワイカト戦争という名の一方的な英国軍の侵攻で
1863年にオークランド以南ハミルトンを丸々含む広大な領土を没収され
1921年になってごく一部のナルアワヒアの地が部族に返還されました。


マラエはその後に再建されたもので

彫刻の感じも今のものとは違います。


望遠で撮ってみたらマラエのドアに

Pare waikato(ワイカト族)1927年の表記


没収から60年超。悲願の復帰だったんでしょうね。

この門も古そうで、マオリが崇めるタニファが彫られています。
門が開いていたので敷地内もチラ見(笑)
さすがに写真は遠慮しました。


公邸の隣はマオリ文化施設のテコハンガレオ

幼児施設のプランケットも兼用しているようです。
なかなか立派な2階建て。


この辺りにはハトがたくさん飛んでいて

特に真っ白なハト多数。


でも、こんなカップルもいて

白いコとハーフのコ(笑)


このいろいろアリなところがNZらしくて

なんだかほっこり


先住民族の例に漏れず、マオリの歴史は苦難の歴史で



マオリ王もなんとも中途半端な地位ながら



今はこんな形に静かに落ち着いていて

経緯はともあれ、これはこれでいいものだなと思いました。


目の前は大きな公園



「何面あるんだろう?」というほどのラグビーグランド



帰り道に見かけたNZ初の公式の旗、統一部族旗

こんなところで目にするとは
NZが植民地となったワイタンギ条約締結の6年前の1834年に
ベイ・オブ・アイランドのマオリ首長たちが選んだ旗

植民地化以前の主権を主張しているのでしょうが、
今はまさにNZ国旗そのものを変えるか否かの国民投票の目前。

そんな時に目にしたボロボロの古(いにしえ)の旗。
擁立したのがマオリ王でなくタイヌイ王だったらどうなっていたのか?


植民地政府はどんな口実を使ってでも領土を没収したでしょうから
マオリの苦難の道は変わらなかったにしても・・・・


来年のレガッタは

来てみようかな?


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(つづく)

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