ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ行:エイプリルフールデー津波

2017年12月19日 | ハワイ:ハワイ島

今回3~4月にかけて初めてハワイに行った目的のひとつは
4月1日の結婚記念日を祝うためでした


私たちは26年前の1991年4月1日に
「上手く行かなかったら、冗談ってことにして別れよう!」
と入籍しました。


その4月1日にハワイで大惨事が起きていたとは

71年前のエイプリルフールの日にハワイを襲った津波で
159人が尊い命を落とし、ヒロだけで96人が亡くなりました。


津波は遠くアリューシャン列島で起きたM8.6の地震によるもので

当時は警報制度が全くなかったため島民には晴天の霹靂でした。
4年間の辛く苦しい太平洋戦争の直後の惨劇でした。


入り口に浦島タロ子がいる



太平洋津波博物館

「4月1日は入館料無料」
というのを目にして、何の知識もないままやってきました。


元銀行だったという重厚な石造りの建物。

その重厚さゆえに難を逃れた津波の生き証人でもあります。


中に入ると4月1日を記念する行事の真っ最中で

一面に展示された古い写真に絶句。


無料につられ、私たちは4月1日の記念日当日に

この大惨事を知りました。


「ハワイでも東日本大震災みたいなことがあったんだ

という貧弱な比較しかできなくても、事の重大さは理解しました。


沖合いに建設されていた長い防波堤がなければ

被害はもっと甚大だったと言われています。


それでもヒロでは500件の家屋や商業施設が全壊し
1,000件以上が被害を受けたそうです。



市民に愛されていた、ぽつんと残ったヒロ劇場

周辺の建物は跡形もなく消えています。


今のヒロはカメハメハ・アベニューより海側には建物がありません。

でも当時は手前の海側にもたくさんの建物がありました。
(※中央を横に走る道がカメハメハ)


それらが瓦礫となってカメハメハ・アベニューに堆積し

右端のヤング・ビルディングは


今でも現役です。



模型の中にあったクレス(KRESS)



これも残っていました。



カメハメハを挟んで海側だったか山側だったかで命運を分けたよう。



この通りは今の



ここのよう。

通りの向こうにはカメハメ・アベニューそしてヤシと海


博物館の中には銀行当時の金庫が残っていて

中でビデオが上映されていました。


海側は津波で壊れた鉄道橋



地震から1年後の1947年の写真



手前の橋は今でも残っており



そこから見えるのは鉄道橋ではなく高速道路。

鉄道は壊滅的被害を受け、後には鉄道ではなく高速道路を
14年をかけて建設し、1960年4月1日の津波記念日に全面開通。


その53日後の5月23日に、ヒロは再び津波に襲われます
なんという皮肉な運命

高速道路の脇にひっそり立っていた灯台のようなものは


津波に襲われた年と波の高さが刻まれた記念塔でした。

1960年に開通した高速道路を襲った津波は1946年のよりも高く
その間にも何度も津波があったんですね。


日本人町があったシンマチ(新町)も甚大な被害を受け

今は公園になっていました。


NZも日本も含まれる環太平洋火山帯の中央のようなハワイ

いつまでも大きな地震や火山の噴火がないことを祈るばかり。


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