ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

アデレード行:バロッサ博物館

2020年04月07日 | オーストラリア:アデレード

散策する場所はなさそう
とクルマに戻ろうとした時
目に入った古色蒼然な建物

周囲に建物がなく、まるで
時代から取り残されたよう
にぽつんと建っていました。


名前はなくても「博物館」
という小さな看板があり、
電信局と書かれたドア
から入ってみました。


地元の歴史愛好家が1963年
に設立した歴史トラストが
運営するバロッサ博物館


案の定お客は私たちだけ。
ドイツ語訛りが強い英語
を話すスタッフがいて、
バロッサを開拓したドイツ
系移民の気概を語ってくれ
参観させてもらうことに。


いきなり見事なお城の模型
ヴァルトブルク城
立派な城壁を持つ世界遺産。

カール・ロウナーという
家具職人が1887年に作製
したものを曾孫が1992年
に寄贈したそうです。


マルティン・ルターはローマ
教皇に破門された後、1521年
にこの城に10ヵ月こもって
新約聖書のドイツ語訳を完成
させたそうで、ルター派には
重要な意味のある城でした。


バロッサもまた本国での迫害
を逃れて来たルター派教徒に
より開拓された場所でした。


ただし、時期は1830年代の
ハーンドルフ
より一足遅く
1842年に始まり、1860年代
まで断続的に続きました。


移住者のほとんどは農家か
自営業者で自給自足の生活
が中心だったそうです。

簡素で端整な暮らしぶり
手前はベビーベッド


伝統的なドイツの荷馬車



鍛冶屋といういにしえの
職業の重要さが伝わって
くるような鉄製品の数々



大小さまざまな品を手で
打って造っていたのかと
思うと、英語だとスミス、
ドイツ語だとシュミット
(鍛冶屋の意)という名字が
多いのが納得できます



木工も重要な職業でした。



木と鉄だけでできた車椅子

実用品であっても美しい


ここでも黒衣の多さに
イギリスとの違いを感じます。



ココ・シャネルが「発見」
する前からドイツ人は黒の
美しさを見出していた

モノトーンなのに華やか。


当初の主要商品作物は
小麦と果実だったそう。



ここは1843年に建設された
製粉所で10年間使用され、
1870年の洪水で壊れて以降
人気のピクニックエリアに。



移民の中には本国でのワイン
生産の経験者もいたものの、
この地がワインの産地として
名を馳せるには紆余曲折と
長い年月がかかりました。



2回の大戦中の敵性外国人
扱いやドイツ語教育や地名の
禁止などはハーンドルフと
同じで、戦後のドイツ語の
地名復活には歴史トラストの
働きかけもあったそうです。


手動洗濯機

やっぱり「技術のドイツ」(笑)


華やかさはなくても
木目が落ち着きます。

こんな暮らしが好き


木材の種類は違っても

我が家の家具に似てる


我が家のは机代わり。

どちらも用途は配膳台。


ため息が出るような
見事なベッドカバー



保存状態も素晴らしい。

どれぐらいかけて
編み上げたのか。


移住を通じて生活を一から
築き上げるのは、いつの
時代であっても同じこと。



やってきた国、時代、理由
は違っても共感を覚える事
も多く見入ってしまいます。



この建物も歴史的建造物で
バロッサの生き証人でした。

1866年に電信郵便局として
建設され、今は町の歴史を
伝える大事な場所でした。


コメント
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