ご無沙汰しておりました。
3ヵ月以上放置してしまい
申し訳ありませんでした💦
その間もご訪問くださった
皆さまにお礼申し上げます。
このブログでは何度かあった
ブランクですが息を吹き返し
またまた再開します。
2018年5月の初アデレード![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/wakaba.gif)
かれこれ2年前の話ですが
なんとか終えましょう(笑)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
=============
3日目は大雨の中、市内から
クルマで30分ほどのドイツ村
ハーンドルフへ。
雨で動き回れなかったので
ハーンドルフアカデミーへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/6a/29cde10d43da97779dc012ab3ac835aa.jpg)
1857年創立の黄色い壁が目立つ
観光スポット内の博物館へ。
なぜオーストラリアの片田舎に
ドイツ語名のドイツ村ができた
のかは、1839年に遡ります。
キリスト教プロテスタントと
して迫害を受けたルター派、
ルーテル教会の教徒は19世紀に
アメリカへ大挙して移住し、
南オーストラリアへも牧師に
率いられた教徒が1838~1839年
にかけ4隻の船で移住しました。
1900年までに実に1万8,000人
が移住してきたそうです。
4隻のうちの1隻、ゼブラ号の
キャプテン・ハーンは危険で
困難に満ちた17週間の航海を
仕切り、到着後も移民たちの
土地の取得に向けて奔走し、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e2/899daa0acc3dd528accce6bd31c929fc.jpg)
(※キャプテン・ハーン)
その功績を称えてこの地は
ハーンドルフ(ハーン村)
と命名されたそうです。
移住当初の茅葺の家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/e6/9ac53714abcbce457b9b2042a4c84b54.jpg)
作業場のスケッチ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/99/f6e3529195ce65816fb8d9789a299536.jpg)
1910年
小さな博物館の中には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ef/5bd2f99746b0e06fe505ea58c08573ea.jpg)
さまざまな物が所狭しと
展示されていました。
重厚なオルガン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/58/d86a047633c129f7b6cc74dfd82bcdf8.jpg)
家の建て方が確かに
イギリス人と違います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/1c/fa8860e1866eec8a7893af568bc26e51.jpg)
現代なら自動車修理工場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/01/2122c46549f229467a1e0a3061111a14.jpg)
「技術のドイツ」
だったらしいです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
1854年に創業した製粉所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/56/c5ee393a37903f98d4f986610f624e66.jpg)
オールドミル
1970年以降はレストランに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/2f/55d21d2fed8aa484c256ff0b96eb83cf.jpg)
現在はホテルでもあります。
1885年には村を挙げての
計画で子どもたちが300本
の街路樹を植えたそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/c6/951339f4b06e71f820ec2b7c256f6e23.jpg)
違いを楽しめるように
あえて様々な樹なんだそう。
移民たちはドイツ語を話し
ドイツ語教育にも力を入れて
いましたが、第一次大戦の
勃発でドイツ系移民は敵性
外国人とみなされ、300人の
男たちがトレンス島に強制
収容されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a7/3ba950e4d9ed6e31d8a7ea4ac51a7053.jpg)
厳しい環境だったそう。
1916年にはドイツ語の
地名の使用が禁じられ
村はアンブルサイド
に改名、ドイツ語姓も
シュミット→スミス
(※どちらも鍛冶屋の意)
シュナイダー→テイラー
(※どちらも仕立屋の意)
などに改められました。
1917年にはドイツ語学校
閉鎖、文化的催しも禁止。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/fa/f97c34efaec7906583d8a40d4f2405f1.jpg)
ルーテルスクールの生徒。
手描きのオーストラリアの
コートオブアームズを掲げ
愛国心を示していたのか。
現在のコートオブアームズ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/8b/f9ab268043d03f41692f9d1eb5bee688.png)
1935年に村はハーンドルフに
再度改名されたものの今度は
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ca/015ed10743ce6c177ea12f2bdc707a56.jpg)
第二次大戦が待ち受けていた
という苦難の歴史の連続![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
ここで一番感動したのが
手書きの土地の登記書![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0190.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/22/ba38c50525ffbbf91e962d1bb7d4fd3b.jpg)
氏名・職業・出身地が丁寧に
几帳面な字で書かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ec/885c61917c0aec02c72a8ce1893eaf7a.jpg)
未亡人
靴職人
石工
庭師
小作農
日雇い
羊飼い
粉挽き
・・・
・・・
・・・
昔々の話として童話の中に
出てくるような多数の職業。
村ごと引っ越してきたのが
急に実感できました。
さまざまな人々の横顔が
古色漂うその職業から、
200年近い歳月を越えて
急にリアルなものとして
目の前に迫るようでした。
黒衣も異文化を醸しだし
小さいながら見応えある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b2/4512735fcc0831cdc26aec9d2e94d62b.jpg)
雨宿りには上出来すぎる
博物館でした。
3ヵ月以上放置してしまい
申し訳ありませんでした💦
その間もご訪問くださった
皆さまにお礼申し上げます。
このブログでは何度かあった
ブランクですが息を吹き返し
またまた再開します。
2018年5月の初アデレード
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/wakaba.gif)
かれこれ2年前の話ですが
なんとか終えましょう(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
=============
3日目は大雨の中、市内から
クルマで30分ほどのドイツ村
ハーンドルフへ。
雨で動き回れなかったので
ハーンドルフアカデミーへ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/6a/29cde10d43da97779dc012ab3ac835aa.jpg)
1857年創立の黄色い壁が目立つ
観光スポット内の博物館へ。
なぜオーストラリアの片田舎に
ドイツ語名のドイツ村ができた
のかは、1839年に遡ります。
キリスト教プロテスタントと
して迫害を受けたルター派、
ルーテル教会の教徒は19世紀に
アメリカへ大挙して移住し、
南オーストラリアへも牧師に
率いられた教徒が1838~1839年
にかけ4隻の船で移住しました。
1900年までに実に1万8,000人
が移住してきたそうです。
4隻のうちの1隻、ゼブラ号の
キャプテン・ハーンは危険で
困難に満ちた17週間の航海を
仕切り、到着後も移民たちの
土地の取得に向けて奔走し、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e2/899daa0acc3dd528accce6bd31c929fc.jpg)
(※キャプテン・ハーン)
その功績を称えてこの地は
ハーンドルフ(ハーン村)
と命名されたそうです。
移住当初の茅葺の家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/e6/9ac53714abcbce457b9b2042a4c84b54.jpg)
作業場のスケッチ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/99/f6e3529195ce65816fb8d9789a299536.jpg)
1910年
小さな博物館の中には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ef/5bd2f99746b0e06fe505ea58c08573ea.jpg)
さまざまな物が所狭しと
展示されていました。
重厚なオルガン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/58/d86a047633c129f7b6cc74dfd82bcdf8.jpg)
家の建て方が確かに
イギリス人と違います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/1c/fa8860e1866eec8a7893af568bc26e51.jpg)
現代なら自動車修理工場
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/01/2122c46549f229467a1e0a3061111a14.jpg)
「技術のドイツ」
だったらしいです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
1854年に創業した製粉所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/56/c5ee393a37903f98d4f986610f624e66.jpg)
オールドミル
1970年以降はレストランに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/2f/55d21d2fed8aa484c256ff0b96eb83cf.jpg)
現在はホテルでもあります。
1885年には村を挙げての
計画で子どもたちが300本
の街路樹を植えたそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/c6/951339f4b06e71f820ec2b7c256f6e23.jpg)
違いを楽しめるように
あえて様々な樹なんだそう。
移民たちはドイツ語を話し
ドイツ語教育にも力を入れて
いましたが、第一次大戦の
勃発でドイツ系移民は敵性
外国人とみなされ、300人の
男たちがトレンス島に強制
収容されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/a7/3ba950e4d9ed6e31d8a7ea4ac51a7053.jpg)
厳しい環境だったそう。
1916年にはドイツ語の
地名の使用が禁じられ
村はアンブルサイド
に改名、ドイツ語姓も
シュミット→スミス
(※どちらも鍛冶屋の意)
シュナイダー→テイラー
(※どちらも仕立屋の意)
などに改められました。
1917年にはドイツ語学校
閉鎖、文化的催しも禁止。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/fa/f97c34efaec7906583d8a40d4f2405f1.jpg)
ルーテルスクールの生徒。
手描きのオーストラリアの
コートオブアームズを掲げ
愛国心を示していたのか。
現在のコートオブアームズ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/8b/f9ab268043d03f41692f9d1eb5bee688.png)
1935年に村はハーンドルフに
再度改名されたものの今度は
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ca/015ed10743ce6c177ea12f2bdc707a56.jpg)
第二次大戦が待ち受けていた
という苦難の歴史の連続
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
ここで一番感動したのが
手書きの土地の登記書
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0190.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/22/ba38c50525ffbbf91e962d1bb7d4fd3b.jpg)
氏名・職業・出身地が丁寧に
几帳面な字で書かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ec/885c61917c0aec02c72a8ce1893eaf7a.jpg)
未亡人
靴職人
石工
庭師
小作農
日雇い
羊飼い
粉挽き
・・・
・・・
・・・
昔々の話として童話の中に
出てくるような多数の職業。
村ごと引っ越してきたのが
急に実感できました。
さまざまな人々の横顔が
古色漂うその職業から、
200年近い歳月を越えて
急にリアルなものとして
目の前に迫るようでした。
黒衣も異文化を醸しだし
小さいながら見応えある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b2/4512735fcc0831cdc26aec9d2e94d62b.jpg)
雨宿りには上出来すぎる
博物館でした。