【主の御名によって祈る】
セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのころ、人々は主の名を呼ぶことをはじめた。
創世記4章26節 ー新改訳2017ー
セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は主の御名によって祈ることを始めた。
創世記4章26節 ー新改訳第三版ー
人の心の欲は際限がない…創世記4章17~24節には、カインの子孫が記されますが、早くも人の持つ野心と欲望が露骨に現われます。カインは町に自分の子にちなんだ名をつけ(17節)、レメクは一夫多妻を行ない(19節)、レメクの子トバル・カインは「青銅と鉄のあらゆる道具を造る者」とあり、農耕具や武器を製作したことでしょう(22節)。そもそもレメクは剣の歌(23~24節)を放言します。77倍の報復をするとは創造主の心と明らかに反し、神を畏れず、自分の力を神とするふるまいです。
神の前の謙虚さ…人々の心が急速に悪に染まるなか、アダムにいま一人の子が与えられ「セツ」と名づけられます。その名の意味は「授かる」ですが、セツ自身もまた、いのちは創造主である神から授かったものとして神を敬って生きました。なぜなら、セツは自分の子に「弱い者」という意味のエノシュと名付けます。セツが弱さと罪深さを知っていたからこその命名でしょう。
謙虚な者は祈り、祈る者は力強い…その自分の弱さを認めて神の前に謙虚な者だからこそセツと周囲の人々は、主の御名で祈ることを始めました。逆説的ですが、己の弱さや虚しさを知らなければ人は祈ることができません。しかし、謙虚な祈りは全能の神の御手を動かす圧倒的な力であり、祈る者こそが真に強いのです(ピリピ4・6、Ⅱコリ12・9)。
3月13日 礼拝
黙 祷
賛 美 494 いざみなきたりて
主の祈り
交 読 詩篇42篇1~11節
祈 祷
使徒信条
賛 美 465 罪ふかきこの身を
説 教
創世記4章17~26節
主の御名によって祈る
賛 美 392 神はひとり子を
献 金
感 謝
頌 栄 376 父 御子 御霊の
祝 祷