東大中退中村泰
中村泰(なかむら・ひろし)服役囚は、3件の銃撃事件への関与で刑に服している。この中村が「真犯人」として関与を取りざたされているのが、1995年3月30日に発生した、国松孝次警察庁長官狙撃事件である。
オウム真理教関係者や北朝鮮スパイなど、様々な犯人説が論じられながらも結局、時効となり迷宮入りしたこの事件で、最も詳細な「自白」をしているのが中村泰・服役囚なのだ。そんな中村の関与が取りざたされる事件を国松長官狙撃事件以外にも、振り返ってみたい。
国松孝次警察庁長官狙撃事件で、自ら「真犯人である」として詳細な供述をしたのが中村泰(なかむら・ひろし)服役囚だ。1930年生まれ、既に85歳になろうとしている。
国松長官狙撃事件で、警視庁はオウム信者だった警視庁巡査長を皮切りに複数のオウム関係者を取り調べた。しかし、オウムとの関連ははっきりせず、更に現場で見つかった物証などから北朝鮮のスパイ関与説も取りざたされた挙句、そのまま時効となり、迷宮入りした。
しかし、今、この国松長官狙撃事件への関与を認めている男がいる。それが、中村泰服役囚なのだ。中村は、2001年に起きた三井住友銀行の現金輸送車襲撃事件と、旧UFJ銀行都島支店強盗殺人未遂事件でそれぞれ無期懲役、懲役15年の判決を受け、服役中の身だ。しかし、実は彼が「無期懲役」を言い渡され、服役するのはこれが初めてではなかった。
1956年、彼の名が初めて新聞沙汰になった事件がある。「山川治男巡査殺害事件」だ。当時26歳だった中村は、元々信用金庫や事務所に侵入し「金庫破り」をしていたが、この日も都民銀行三鷹支店に侵入を試み、失敗した。その帰りに車で休憩中、警視庁の山川治男巡査から職質を受け、とっさに銃撃し殺害・逃走した。これが、事件の全容だ。
この事件は、中村が東京大学を中退したという経歴も話題となり「東大中退テロリスト」と呼ぶ人もいる。この事件で無期懲役を言い渡された中村は、服役態度が評価されてか1976年に出所しているのだ。その後26年の時を経て、2002年のUFJ銀行都島支店の事件で逮捕され(当時72歳)、2001年の三井住友銀行事件への関与も発覚し、今また無期懲役の刑に服している。
しかし、彼が関与を疑われている事件はその3件だけではない。他にも、6件の未解決事件への関与が取りざたされているのだ。
▼中村泰・服役囚の関与が取りざたされた、6件の未解決事件
◎1988年4月3日 金融業者夫婦射殺事件(石川県金沢市)
→金融業の堀義盛さんと妻の信子さんが射殺された事件。2003年時効成立。
◎1995年3月30日 国松警察庁長官狙撃事件(東京都荒川区)
→国松孝次警察庁長官が自宅前で狙撃された事件(後述)。2010年時効成立。
◎1995年7月30日 八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件(東京都八王子市)
→閉店後のスーパーでスタッフ3名が射殺された事件。88年の金沢射殺事件(上記)と同一拳銃使用の疑いも。
◎1997年8月4日 大阪厚生信金深江支店強盗事件(大阪市東成区)
→男が男性職員に拳銃を突きつけ、220万円を奪い天井に発砲。4年後の2001年にも同じ支店で強盗事件発生。
◎1999年3月5日 三和銀行玉出支店現金輸送車襲撃事件(大阪市西成区)
→男が支店前の現金輸送車を襲い、警備員を銃撃する強盗事件。
◎1999年7月23日 東海銀行今里支店現金輸送車襲撃事件(大阪市東成区)
→3月の三和銀行事件と同様、現金輸送車の警備員が銃撃される。4500万円の被害も。
「オウムでも強盗でもない」?国松長官事件を「自白」
現在服役しているのは銀行強盗事件の裁判で有罪になったためだが、それ以外にも銀行や金融業者を狙った事件で名前が取りざたされている。その理由は、生活苦とされている。1976年の出所後、資産家だった父親の遺産をもとに商品先物取引で食いつないでいたが次第に生活が苦しくなったようだ。
これらの未解決事件には、もう1つの共通点がある。それは、拳銃だ。いずれも、拳銃により人を脅したり殺したりする手口が共通している。 更には、狙撃事件の場合、その命中率の高さも共通しているのだ。中村については一連の捜査で、拳銃への執着が異常に強く、射撃の腕もかなりのものだったこと、それが高じて東京や大阪の貸し金庫などに十数丁の拳銃や実弾数百発を保管していたことなどがわかっている。
そもそも、そんな中村が国松長官事件の「真犯人」として注目されたのは2004年の週刊新潮の報道がきっかけだ。この時はまだ時効前だったが、中村が自ら関与を認める「告白」をしたのだ。これにより、警察でも関連性を捜査する動きがあった。しかし、結局嫌疑不十分ということで不起訴、そのまま迷宮入りしてしまった。中村の「供述」と国松氏狙撃事件の内容に一部、食い違いも指摘されているためでもある。
国松氏は事件で致命傷寸前の大怪我を負ったが、回復し2ヶ月半で公務に復帰した。退任後はスイス大使などを経て、現在もドクターヘリ推進などの活動に取り組んでいる。
吉祥寺・山川巡査射殺事件
【事件概要】
1956年11月、東京・武蔵野市で、不審な車に職務質問した巡査が乗っていた男に撃たれ死亡した。
男は中村泰(当時26歳)。東大中退という経歴で話題となった。彼は70歳を過ぎて、再び事件を起こした。
【山川巡査射殺】
1956年11月23日。勤労感謝の日。
午前6時過ぎ、東京・武蔵野市吉祥寺の市営グランド前に小型自家用車を止め寝ていた男に、若い警官が職務質問した。
「とにかく本署まで来て下さい。時間はそうかかりません」
しばらく質問が続いた後に警官がそう言うと、男は車内からピストルで警官の胸を撃ち、さらに車から降りて左コメカミを撃ち、再び車で走り去った。
亡くなった警官は武蔵野署西荻派出所勤務の新任巡査・山川治男さん(22歳)だった。
目撃者によると、撃った男は25、6歳で、ボサボサ頭に紺のナイロンジャンパーを着ていた。車は薄紺色で同乗者はいなかったという。
さらにこの車は、事件の起こる2時間前、午前4時頃から止められていたことがわかった。これは牛乳配達の人などが目撃している。
また現場に残された薬きょうから、男の使用したピストルは米軍のMPなどが使用する「コルト45口径」のオートマチックと推定された。
やがて犯行に使われた車種が判明し、そこから2人の男が浮上、指名手配された。
「沢井精三」「早川友次郎」という男で、捜査本部では2人が米軍の軍事施設で秘密兵器、軍の移動状況、自衛隊の装備などの機密を集める軍事スパイではないかという見方もあった。
そして1957年2月、沢井精三こと、中村泰(当時26歳)が逮捕された。中村は東大中退であったため、大々的に報道されたりした。
【72歳現役】
事件から46年後の2002年11月22日午前10時半頃、名古屋市西区のUFJ銀行押切支店で、支店に金を運びこもうとしていた現金輸送車に男が近づき突然発砲、見張り役の警備員(当時55歳)が両足を撃たれ、もう1人の警備員が車の陰に隠れたすきに現金約5000万円入りの袋を奪い逃走した。撃たれた警備員は重傷を負い、もう1人の警備員が男を追いかけ取り押さえた。
この男こそ中村泰(当時72歳)であった。
中村は01年10月にも大阪市都島区の三井住友銀行都島支店の駐車場で現金輸送車を襲撃し、発砲により警備員の男性に重傷を負わせたうえ現金500万円が奪っていたことも発覚した。
中村は山川巡査殺しで無期懲役が確定し、1976年に千葉刑務所を出所した。彼が出所してから、現金輸送車襲撃事件を起こすまでの間のことはよく判っていない。
ただ使用された拳銃などから、1988年4月に石川県金沢市で起こった金融業者夫妻殺害事件、95年に八王子市で起こったスーパーナンペイ3人射殺事件、また同じ年の国松長官狙撃事件などの関連について疑われた。
2003年夏、警視庁は三重県内のアジトを家宅捜索し、大量の銃器、実弾を押収した。
中村はこれについて「新右翼の故・野村秋介氏とともに『武装民兵組織』を結成する計画があり、そのための武器を集めていた」と供述した。
2004年、「新潮45 4月号」(新潮社)に中村の手記が掲載された。それは国松長官狙撃事件についてのもので、使用されたであろう銃器の解説や、スナイパーの心理を克明に記していた。
2006年10月23日、三井住友銀行の事件の公判で、検察側は「以前にも警察官を射殺しており、被告の反社会的人格は顕著」として無期懲役を求刑した。UFJの事件では懲役15年が確定している。
2007年3月12日、大阪地裁・西田真基裁判長は「完全犯罪をもくろんだ周到な犯行。被告は昭和31年に警官射殺事件で無期懲役に処せられ、仮釈放を受けた後に本件犯行に及んでおり、更生は期待できない」として無期懲役を言い渡した。中村にとっては2度目の無期判決だった。
同年12月26日、三井住友銀行都島支店襲撃事件についての控訴審で、大阪高裁・森岡安広裁判長は控訴を棄却。
2008年6月2日、最高裁は上告を棄却。無期が確定した。
中村泰(なかむら・ひろし)服役囚は、3件の銃撃事件への関与で刑に服している。この中村が「真犯人」として関与を取りざたされているのが、1995年3月30日に発生した、国松孝次警察庁長官狙撃事件である。
オウム真理教関係者や北朝鮮スパイなど、様々な犯人説が論じられながらも結局、時効となり迷宮入りしたこの事件で、最も詳細な「自白」をしているのが中村泰・服役囚なのだ。そんな中村の関与が取りざたされる事件を国松長官狙撃事件以外にも、振り返ってみたい。
国松孝次警察庁長官狙撃事件で、自ら「真犯人である」として詳細な供述をしたのが中村泰(なかむら・ひろし)服役囚だ。1930年生まれ、既に85歳になろうとしている。
国松長官狙撃事件で、警視庁はオウム信者だった警視庁巡査長を皮切りに複数のオウム関係者を取り調べた。しかし、オウムとの関連ははっきりせず、更に現場で見つかった物証などから北朝鮮のスパイ関与説も取りざたされた挙句、そのまま時効となり、迷宮入りした。
しかし、今、この国松長官狙撃事件への関与を認めている男がいる。それが、中村泰服役囚なのだ。中村は、2001年に起きた三井住友銀行の現金輸送車襲撃事件と、旧UFJ銀行都島支店強盗殺人未遂事件でそれぞれ無期懲役、懲役15年の判決を受け、服役中の身だ。しかし、実は彼が「無期懲役」を言い渡され、服役するのはこれが初めてではなかった。
1956年、彼の名が初めて新聞沙汰になった事件がある。「山川治男巡査殺害事件」だ。当時26歳だった中村は、元々信用金庫や事務所に侵入し「金庫破り」をしていたが、この日も都民銀行三鷹支店に侵入を試み、失敗した。その帰りに車で休憩中、警視庁の山川治男巡査から職質を受け、とっさに銃撃し殺害・逃走した。これが、事件の全容だ。
この事件は、中村が東京大学を中退したという経歴も話題となり「東大中退テロリスト」と呼ぶ人もいる。この事件で無期懲役を言い渡された中村は、服役態度が評価されてか1976年に出所しているのだ。その後26年の時を経て、2002年のUFJ銀行都島支店の事件で逮捕され(当時72歳)、2001年の三井住友銀行事件への関与も発覚し、今また無期懲役の刑に服している。
しかし、彼が関与を疑われている事件はその3件だけではない。他にも、6件の未解決事件への関与が取りざたされているのだ。
▼中村泰・服役囚の関与が取りざたされた、6件の未解決事件
◎1988年4月3日 金融業者夫婦射殺事件(石川県金沢市)
→金融業の堀義盛さんと妻の信子さんが射殺された事件。2003年時効成立。
◎1995年3月30日 国松警察庁長官狙撃事件(東京都荒川区)
→国松孝次警察庁長官が自宅前で狙撃された事件(後述)。2010年時効成立。
◎1995年7月30日 八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件(東京都八王子市)
→閉店後のスーパーでスタッフ3名が射殺された事件。88年の金沢射殺事件(上記)と同一拳銃使用の疑いも。
◎1997年8月4日 大阪厚生信金深江支店強盗事件(大阪市東成区)
→男が男性職員に拳銃を突きつけ、220万円を奪い天井に発砲。4年後の2001年にも同じ支店で強盗事件発生。
◎1999年3月5日 三和銀行玉出支店現金輸送車襲撃事件(大阪市西成区)
→男が支店前の現金輸送車を襲い、警備員を銃撃する強盗事件。
◎1999年7月23日 東海銀行今里支店現金輸送車襲撃事件(大阪市東成区)
→3月の三和銀行事件と同様、現金輸送車の警備員が銃撃される。4500万円の被害も。
「オウムでも強盗でもない」?国松長官事件を「自白」
現在服役しているのは銀行強盗事件の裁判で有罪になったためだが、それ以外にも銀行や金融業者を狙った事件で名前が取りざたされている。その理由は、生活苦とされている。1976年の出所後、資産家だった父親の遺産をもとに商品先物取引で食いつないでいたが次第に生活が苦しくなったようだ。
これらの未解決事件には、もう1つの共通点がある。それは、拳銃だ。いずれも、拳銃により人を脅したり殺したりする手口が共通している。 更には、狙撃事件の場合、その命中率の高さも共通しているのだ。中村については一連の捜査で、拳銃への執着が異常に強く、射撃の腕もかなりのものだったこと、それが高じて東京や大阪の貸し金庫などに十数丁の拳銃や実弾数百発を保管していたことなどがわかっている。
そもそも、そんな中村が国松長官事件の「真犯人」として注目されたのは2004年の週刊新潮の報道がきっかけだ。この時はまだ時効前だったが、中村が自ら関与を認める「告白」をしたのだ。これにより、警察でも関連性を捜査する動きがあった。しかし、結局嫌疑不十分ということで不起訴、そのまま迷宮入りしてしまった。中村の「供述」と国松氏狙撃事件の内容に一部、食い違いも指摘されているためでもある。
国松氏は事件で致命傷寸前の大怪我を負ったが、回復し2ヶ月半で公務に復帰した。退任後はスイス大使などを経て、現在もドクターヘリ推進などの活動に取り組んでいる。
吉祥寺・山川巡査射殺事件
【事件概要】
1956年11月、東京・武蔵野市で、不審な車に職務質問した巡査が乗っていた男に撃たれ死亡した。
男は中村泰(当時26歳)。東大中退という経歴で話題となった。彼は70歳を過ぎて、再び事件を起こした。
【山川巡査射殺】
1956年11月23日。勤労感謝の日。
午前6時過ぎ、東京・武蔵野市吉祥寺の市営グランド前に小型自家用車を止め寝ていた男に、若い警官が職務質問した。
「とにかく本署まで来て下さい。時間はそうかかりません」
しばらく質問が続いた後に警官がそう言うと、男は車内からピストルで警官の胸を撃ち、さらに車から降りて左コメカミを撃ち、再び車で走り去った。
亡くなった警官は武蔵野署西荻派出所勤務の新任巡査・山川治男さん(22歳)だった。
目撃者によると、撃った男は25、6歳で、ボサボサ頭に紺のナイロンジャンパーを着ていた。車は薄紺色で同乗者はいなかったという。
さらにこの車は、事件の起こる2時間前、午前4時頃から止められていたことがわかった。これは牛乳配達の人などが目撃している。
また現場に残された薬きょうから、男の使用したピストルは米軍のMPなどが使用する「コルト45口径」のオートマチックと推定された。
やがて犯行に使われた車種が判明し、そこから2人の男が浮上、指名手配された。
「沢井精三」「早川友次郎」という男で、捜査本部では2人が米軍の軍事施設で秘密兵器、軍の移動状況、自衛隊の装備などの機密を集める軍事スパイではないかという見方もあった。
そして1957年2月、沢井精三こと、中村泰(当時26歳)が逮捕された。中村は東大中退であったため、大々的に報道されたりした。
【72歳現役】
事件から46年後の2002年11月22日午前10時半頃、名古屋市西区のUFJ銀行押切支店で、支店に金を運びこもうとしていた現金輸送車に男が近づき突然発砲、見張り役の警備員(当時55歳)が両足を撃たれ、もう1人の警備員が車の陰に隠れたすきに現金約5000万円入りの袋を奪い逃走した。撃たれた警備員は重傷を負い、もう1人の警備員が男を追いかけ取り押さえた。
この男こそ中村泰(当時72歳)であった。
中村は01年10月にも大阪市都島区の三井住友銀行都島支店の駐車場で現金輸送車を襲撃し、発砲により警備員の男性に重傷を負わせたうえ現金500万円が奪っていたことも発覚した。
中村は山川巡査殺しで無期懲役が確定し、1976年に千葉刑務所を出所した。彼が出所してから、現金輸送車襲撃事件を起こすまでの間のことはよく判っていない。
ただ使用された拳銃などから、1988年4月に石川県金沢市で起こった金融業者夫妻殺害事件、95年に八王子市で起こったスーパーナンペイ3人射殺事件、また同じ年の国松長官狙撃事件などの関連について疑われた。
2003年夏、警視庁は三重県内のアジトを家宅捜索し、大量の銃器、実弾を押収した。
中村はこれについて「新右翼の故・野村秋介氏とともに『武装民兵組織』を結成する計画があり、そのための武器を集めていた」と供述した。
2004年、「新潮45 4月号」(新潮社)に中村の手記が掲載された。それは国松長官狙撃事件についてのもので、使用されたであろう銃器の解説や、スナイパーの心理を克明に記していた。
2006年10月23日、三井住友銀行の事件の公判で、検察側は「以前にも警察官を射殺しており、被告の反社会的人格は顕著」として無期懲役を求刑した。UFJの事件では懲役15年が確定している。
2007年3月12日、大阪地裁・西田真基裁判長は「完全犯罪をもくろんだ周到な犯行。被告は昭和31年に警官射殺事件で無期懲役に処せられ、仮釈放を受けた後に本件犯行に及んでおり、更生は期待できない」として無期懲役を言い渡した。中村にとっては2度目の無期判決だった。
同年12月26日、三井住友銀行都島支店襲撃事件についての控訴審で、大阪高裁・森岡安広裁判長は控訴を棄却。
2008年6月2日、最高裁は上告を棄却。無期が確定した。