医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



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統一地方選挙が激戦と伝えられている記事のタイトルを入力してください(必須)

2015-03-30 08:26:05 | 雑記・断片・映像
昨日は、利根川の向う岸の小堀の赤尾宅(仮称)で午前9時からのも集まりもあったが、
老人会の人3人で午前9時30分に集合して、牛久へ向う。
統一地方選挙が激戦と伝えられているので、支援活動である。
まず、佐々田さん(仮称の)派遣先である刈谷町の拠点宅へ寄って資料を入手。
その近辺を回る。
確認するとすでにポスティングをしていた。
対話ができた人は一人のみ。
当方の次男の取手一高の父兄のお父さん。
あとの4軒は不在。
「花見にでも行っているのではないか」と大森さん(仮称)
木蓮、コブシが咲く広い道路の牛久地区の街路中や公園や溜池に桜が見られて、土手の垂れ桜も満開であった。
紫色の木蓮も目立った。
猫柳も咲いている。
上柏田の選挙事務所へ向うが、まだ告示前なのでポスターや看板もなく、電話をかけて場所を確認したら、病院の裏コンビニの並びであった。
係りのご婦人が道まで出迎えてくれた。
お茶をいただき、地図をコピーして回る場所を確認。
友人の中田さん(仮称)の住所を電話帳で確認。
「10分で戻りますから」とその電話帳はわざわざ係りの人が自宅まで帰り持参していただいた。
だが、友人の名前がない。
亡くなってしまったのか?と懸念された。
母親の介護のために早期退職した人で、東京・京橋の製薬企業に勤務していたのだ。
上柏田を回ってから田宮町へ行く。
旧住所で分かりにくかった。
移転している人もいた。
ところで、選挙事務所の近くの病院に友人の林さんが入院していたのは2年前、見舞いに行くと「退院しました」ナースがナースステーションで言う。
「介護施設へ戻ったのですか?」「個人情報ですから教えることはできません」
息子の一人は行方不明になっていた。
元の介護施設へは戻っていなかった。
「どこへ行ったのですかね」と気にかけていたが、昨年3月に亡くなっていた。

3月31日は、歯科医院を訪問することにした。











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