医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



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相思相愛の恋愛

2015-07-26 06:39:00 | 創作欄
相思相愛の恋愛
高校生の間では、徹と百合子の恋愛は理想のカップルと想われ、同窓生たちの衆目、憧れの対象のカップルでさえあった。
校内1のイケメンと美女の恋愛は、映画に描かれた物語さえ連想させた。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の恋物語は、形を変えてアメリカ映画の「ウエストサイド物語」にも再現された。
世代は違っていたが、徹と百合子の恋の世界は「ウエストサイド物語」を連想させた。
徹の父親はヤクザであり、百合子の父もヤクザで、新たに開発された土地と公共事業の利権を巡り対立し、抗争問題に発展したのだ。
その抗争問題は、徹と百合子の恋の世界に大きな影を及ぼした。
最初のきっかけは、百合子の兄が徹の父親の運転手兼用心棒であった多田勝則に射殺されたことだった。
報復として徹の父親の義弟が取手競輪の帰りに、駐車場で射殺された。
ヤクザの世界は理不尽である。

政治家の言葉と責任

2015-07-26 00:47:50 | 政治・社会・経済問題
政治家の言葉は格好がよいほどに、勇ましく。
雄々しいほどに、喝采を受ける。その裏に潜む魂胆や真の意図は、勇ましいほど隠れて見えにくいものだ。
それは、歴史の事実が証明している。
1959年11月、当時の厚生省は水俣病の原因はチッソの工業排水に含まれた有機水銀の疑いが濃いとして、周辺海域の漁業禁止などの対策案を閣議に提案した。
これに対し、翌年首相になる池田勇人通産相が、有機水銀は科学的根拠に乏しい、チッソの操業を止めたら経済成長を止めることになると猛反対し、有機水銀説を抑え、何の対策も取らなかった。
その結果、水俣病が急増し、劇症による死者が相次いだ。
政策決定の作為的な失敗だったにもかかわらず、時に岸信介首相も、池田勇人通産相も責任が法的に問われることはなかった。
官僚も責任を問われなかった。
後に刑事裁判で有罪判決を受けたのは、チッソの工場長までだった。
これがこの国の責任の取り方なのだ。
安倍晋三首相は、安全保障関連法案が施行され、集団的自衛権の行使をしても、自衛隊員に死者が出るリスクはないと発言している。
戦争とはそんな甘いものではない。
日本のどこかにミサイルを打ち込まれれば「国家存立の危機」ということで、日本の自衛隊も打ち返すだろう。
そうなると住民にも死者が出るのは避けられない。
安倍首相は、そういう事態に対し、あるいは住民の犠牲に対し、どんな責任の取り方をするのか。
国会での議論は、まるで進んでいないのではないか。
作家・柳田邦男さん
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責任を取らない政治家・軍人たち。
東京裁判は、その是非はともあれ、「責任」を取らせたのだ。

日本人の精神構造の原型

2015-07-26 00:40:05 | 受けとめる力
日本人の精神構造の原型を鎌倉時代などに見ることができるのではないだろうか?
例えば、幕府にとっては許しがたい存在であった日蓮聖人を抹殺しなかったことだ。
ある意味で僧侶は学問があり、民衆に慕われている徳のある存在である。
仏教に流れる慈悲の思いは、鎌倉幕府の権力側にも浸透していたであろう。
同じ仏教に対する見解(立ち位置)の相違だけで、仏の使いである日蓮を殺していいものか、という迷いも幕府側にはあっただろう。
無難な道は、殺さず島流しである。
鎌倉の民衆への日蓮の影響力を失くすことになると期待したはずだ。
そして、何時までも日蓮を佐渡に島流し状態にして置くことへの後ろめたさも幕府側にあっただろう。
なぜなら、幕府の権力者たちも仏徒であったのだ。
幕府の要人たちの慈悲の思いから日蓮は赦免され、鎌倉へ戻れたのではないだろうか?

教育の基本は何か?

2015-07-26 00:37:13 | 伝えたい言葉
教育の目的は、子どもの幸福の実現である。
そして、その基本は、子どもの個性を深く尊重し、子どもたちがより自分らしい進路を選択し、より充実した人生を築いていけるように援助することであるといえる。
戦前の「戦時教育」は、国民に当時の体制に沿った価値基準を植え付けるものであった。
1956年(昭和31年)以降、文部科学大臣名で出される「学習指導要領」に忠実に従うことが強く求められている。
これまでの教育は各時代における国家的統一や規制によって、政治的、経済的な判断や措置に強く左右されてきた。
今まで人類が歩んできた価値基準は「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」であった。
これを「人道的競争」へ転換する必要がある。
政治・経済の人間化・人道化が求められる。
それはブラック企業の対局にある基本精神・理念・哲学なのである。
その人の持てる可能性を最大限に開き、価値ある生き方ができるかどうかが重要であるとの視点だ。
人道の道を学び、心を磨く。
そして地球社会全体の平和、繁栄のために確かな貢献をしていく人材の育成が期待される。