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政治家の言葉と責任

2015-07-26 00:47:50 | 政治・社会・経済問題
政治家の言葉は格好がよいほどに、勇ましく。
雄々しいほどに、喝采を受ける。その裏に潜む魂胆や真の意図は、勇ましいほど隠れて見えにくいものだ。
それは、歴史の事実が証明している。
1959年11月、当時の厚生省は水俣病の原因はチッソの工業排水に含まれた有機水銀の疑いが濃いとして、周辺海域の漁業禁止などの対策案を閣議に提案した。
これに対し、翌年首相になる池田勇人通産相が、有機水銀は科学的根拠に乏しい、チッソの操業を止めたら経済成長を止めることになると猛反対し、有機水銀説を抑え、何の対策も取らなかった。
その結果、水俣病が急増し、劇症による死者が相次いだ。
政策決定の作為的な失敗だったにもかかわらず、時に岸信介首相も、池田勇人通産相も責任が法的に問われることはなかった。
官僚も責任を問われなかった。
後に刑事裁判で有罪判決を受けたのは、チッソの工場長までだった。
これがこの国の責任の取り方なのだ。
安倍晋三首相は、安全保障関連法案が施行され、集団的自衛権の行使をしても、自衛隊員に死者が出るリスクはないと発言している。
戦争とはそんな甘いものではない。
日本のどこかにミサイルを打ち込まれれば「国家存立の危機」ということで、日本の自衛隊も打ち返すだろう。
そうなると住民にも死者が出るのは避けられない。
安倍首相は、そういう事態に対し、あるいは住民の犠牲に対し、どんな責任の取り方をするのか。
国会での議論は、まるで進んでいないのではないか。
作家・柳田邦男さん
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責任を取らない政治家・軍人たち。
東京裁判は、その是非はともあれ、「責任」を取らせたのだ。

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