医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

松原智恵子さんの盗写

2015-07-11 09:13:49 | 雑記・断片・映像
午前3時30分、家を出た。
1分ほど歩いたところで、人とすれ違う。
通称グリーンベルトの脇で、暗いので気づかなかったが、相手がイヤーフォンでラジオを聞いいていたので人が歩いていると寸前で認識できた。
昨日は、久しぶりに雨も降らず真夏日のようでもあった。
出かける新川さんと立ち話をした。
彼は午前3時40分には家を出ていた。
音楽を聞きながら歩いているのだ。
彼らの地区の会合は7月18日と言っていた。
当方の地区の会合は13日の月曜日と16日の木曜日の2回。
老人会は23日。
町内のカラオケ大会は26日。
今年は「アメリカ橋」を歌うことになった。
昨年は「横浜物語」。
家人は昨年、班長なので協力してカラオケを歌ったが、「今年は出ない」と言っていた。
ところで2人とも会場で受付をしなかったので抽選ができなかったが、景品はたくさんあって結構みなさんから喜ばれていた。
午前4時20分家へ戻り、カメラを持参して青柳、吉田地区などへ向かい散歩へ行く。
バラと同じくらいユリの花が好きなので、ユリの花を見ると心が高揚する。
ユリの花が好きなので、吉永小百合さんのファンでもあったが、同じくらいに松原智恵子さんのファンでもあった。
あれはテレビドラマの撮影であったと思うが、小田急線の成城学園駅ホームのベンチに松原さんが座っていたので、カメラを構えた。
いわゆる望遠レンズでの盗写である。
家で現像してみたら、松原さんはカメラ目線になっていて、胸が高鳴ったものだ。
「何と可憐な瞳なのだ」と4つ切に拡大した。
当方は24歳であった。
吉田地区の田圃の畦道を歩いていて、遠い記憶が蘇ってきた。
























どこか哀れさを感じさせる人

2015-07-11 02:44:50 | 雑記・断片・映像
生活困窮者に支援の手
働きたくも働けない、働いても最低限度の生活を
維持できない。
生活保護に至る前段階から支え、自立できるように多方面から後押しする「生活困窮者自立支援制度」がスタートして3か月がたった。
ホームレス状態にある人など一時的な住居や食料の提供。
借金整理などの計画相談・指導。
生活困窮世帯の子どもの学習支援。
厚生労働省が6月に発表した、4月の相談変数は全国で2万3019件。

4月以降、自治体の判断で行う支援事業を一つ以上実施しているのは493自治体。

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家人のパート先にも生活困窮者はいるようだ。
知的な問題もあり「他では雇ってもらえない」と家人が指摘していた。
その人に母親も居たが数年前に亡くなっている。
「子どもは見ず知らずの男に遊ばれて生まれたのでは?」と他人は憶測する。
49歳であるが同じ仕事場の26歳の若者と親しくしている。
若者も知的な問題があり、単純な清掃の仕事しかできないようなのだ。
他人の眼には仲のよい母子と映じている。
当方も2人の姿を何度も見かけているが、誰からもまともに相手にされない者同士が何時も寄り添っているよう想われる。
この女性を見かけるようになったのは、20年ほど前。
午前5時ころに家を出る姿を見かけ、当方が出勤する時間帯にさくさ坂を上ってくるのだ。
1年中、制服のように同じ茶系の地味なジャンパーを着ている。
ズボンはグレーである。
真冬でもコートを着ていない。
運動靴は薄汚れている。
昭和20年~30年代の女性を思わせる。
「昭和枯れすすき」を連想さると家人はいい印象をもっていない。
顔は浅黒く化粧気がまったくない。
長い髪を束ねている。
人の視線を避けるようにうつむいて歩く姿が、どこか哀れさを感じさせる。
「小学生の息子に殴られた」と顔と目の回りを腫らせて職場に来た時は皆が唖然とした。
「あなた、その顔で街中を歩くのよしな」とアドバイスした人も居た。

「あれで嘘もつくし、仕事は手抜きをすので、悪知恵は回るのね」と家人は手厳しい。