以前も行った 箱根の三島側にある「山中城」ですが、
豊臣側との激戦があった 街道の南側「岱崎出丸(たいさきでまる)」は見損ねていたので、土曜日 亭主と「再見学」してきました。
↓駐車場の裏手を走る 旧「東海道」。
山中城は 西国から攻め上ってくる敵を小田原に入れないために 箱根中腹に設けられた山城で、 街道を南北から挟む形で立っています。
前回は本丸側を見学したのですが (よくわからないままに^^;)
当然ながら本丸は山の斜面の「高いほう」に造られており、
下から攻めてくる敵を最初に迎え撃つ事になったのは「低いほう」の 街道南側__ 岱崎出丸 だったのですね。
北条も 対豊臣戦に備え この出丸を補強しようとしたようだが
工事未完のまま合戦になったようだ___と
見学者用の説明板に書かれていました。
↓御馬場北堀
この先の「すり鉢曲輪(くるわ)」に上がった敵の行く手を
阻むために作られたのでしょうね・・・
↓すり鉢曲輪
芝生の下から岩盤が覗いてました。
元々はどんな様子だったのかな?
↓すり鉢曲輪から下を覗くと
「障子堀」が見えました。
そのすぐ向こうが旧街道。
山中城を守っていたのは五千の兵士。
攻める豊臣側は三万五千。
ごく短い時間で 勝敗が決まったようです・・・。
山中城は うち捨てられ・・・
後北条時代の山城の様子を 当時のままに 今日に伝えている、
のですね__。
さ、 次は山を下りて 三島の「柿田川公園」へ行ってみましょう~。(つづく)
豊臣側との激戦があった 街道の南側「岱崎出丸(たいさきでまる)」は見損ねていたので、土曜日 亭主と「再見学」してきました。
↓駐車場の裏手を走る 旧「東海道」。
山中城は 西国から攻め上ってくる敵を小田原に入れないために 箱根中腹に設けられた山城で、 街道を南北から挟む形で立っています。
前回は本丸側を見学したのですが (よくわからないままに^^;)
当然ながら本丸は山の斜面の「高いほう」に造られており、
下から攻めてくる敵を最初に迎え撃つ事になったのは「低いほう」の 街道南側__ 岱崎出丸 だったのですね。
北条も 対豊臣戦に備え この出丸を補強しようとしたようだが
工事未完のまま合戦になったようだ___と
見学者用の説明板に書かれていました。
↓御馬場北堀
この先の「すり鉢曲輪(くるわ)」に上がった敵の行く手を
阻むために作られたのでしょうね・・・
↓すり鉢曲輪
芝生の下から岩盤が覗いてました。
元々はどんな様子だったのかな?
↓すり鉢曲輪から下を覗くと
「障子堀」が見えました。
そのすぐ向こうが旧街道。
山中城を守っていたのは五千の兵士。
攻める豊臣側は三万五千。
ごく短い時間で 勝敗が決まったようです・・・。
山中城は うち捨てられ・・・
後北条時代の山城の様子を 当時のままに 今日に伝えている、
のですね__。
さ、 次は山を下りて 三島の「柿田川公園」へ行ってみましょう~。(つづく)