おだわらぐらし

縁あって引っ越した 相模の国_小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わった三年半の思い出

丹那トンネル殉職者慰霊碑

2011-02-06 16:09:44 | 静岡
帰りは 梅園から来宮駅まで歩いてみることにしました。
梅園出口で誘導係の人に 「来宮駅へは 右(広い道)へ行った方がいいですか? それとも左(狭い道)?」と尋ねたところ 「どっちでも行けます」とのことだったので・・・

どうせなら 来るとき通らなかった方、と思い、
左の 狭い道 を行くことに。
 
↑狭い道、 には 梅園の駐車場へ向かう車の列ができていました。

JRの線路の上を通りかかったら・・・
道の端に「丹那トンネル殉職碑」と「丹那神社」という案内板があるのに気づきました。
 
↓行ってみると 線路の真上_
 つまり丹那トンネルの入り口の上に・・・
 
↓ブロンズのプレートがあり、トンネル工事で亡くなった方67名の名前が刻まれていました。
 
手向けられた花はまだ新しく お参りされた方は今朝か・・・ せいぜい昨日いらっしゃったらしく思われました。

殉職碑を見下ろす位置には「丹那神社」がありました。
 
↓小さなお社ののる台には「鎮魂」の文字__
 工事中の事故の犠牲者を神祭りしたものと見受けられました。
 
↓社横の「救命石」。
 
↑注連縄が張られたこの 特別な石、は・・・
 工事中この石の除去をしようとしていた17人が トンネルの奥にいたため かえって落盤事故に遭わずにすみ 8日後無事に救出された_ というので「この石のおかげ」と石に感謝し祭ったもの、だそうです。(トンネル内に閉じ込められた時はきっと 「この石のせいで」と思ったでしょうが)/ いや、 よかった よかった。

↓あ、東海道線が トンネルに入っていきます。
 そ、ここは よく通る お馴染みの 「あのトンネル」の上、です。
 
でも、この丹那トンネルの工事が 多くの犠牲者を出した大変な難工事だった、というのは 学校で習ってはいたけれど、工事に携わって下さった方の「痛み」や「苦しみ」「恐怖」までは わかっていなかったなあー・・・
これから このトンネルを通る時は 心の中で手を合わせましょう。



追記:
私は プレートの殉職者のお名前を よくは見ませんでした。
が実はあのプレートには7名の大陸出身者と思われる方々のお名前も刻まれていた_のでした。(野々村邦夫さんが書かれた こちらの記事で知りました)
丹那トンネルができた1934年当時は 大陸出身者も「日本人」だったんですよね。労働内容や賃金 死亡時の保証に差別はなかったろうか・・・ そうだといいのだけど、と思いました。

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