はじめに言葉ありき。
その言葉がますます貧相になっている気がします。
とくに政治家などの言説も紋切り言葉の羅列。
寸鉄人を刺す、そういう言葉がほとんど聞かれなくなりました。
短かいけれど人の心に深く刻まれる、そんな言葉はどこへ言ったのでしょう。
短くても、かつての首相のワンフレーズでは、人を刺せません。
いまの首相はぺらぺら喋るだけ。
熟慮した結果、とかいうフレーズをよく使いますが、どう聞いても熟慮のあとは見えない。
ほとんど無意味な形容詞と副詞の羅列。
口から出た言葉がすべて、では何とも悲しいものです。
しかも、詭弁や誤魔化しだけとあってはなおさらのこと。
もっとも、言葉の貧困化は政治家に限ったことではないようです。
言葉は、見に見えるものだけでなく、目に見えないものも表現します。
たとえば、もののあわれ。
これを表面的に捉えるだけでは、何じゃ、それ、となります。
言葉の意味は、人が解釈をほどこすことによってしか見えてきません。
解釈を伴わない言葉は、いってみれば単なるモノ。
社会も人もだんだんモノ化・・・ヒトの脳も心も即物的になってきているのでしょうか。
人は言葉を通してしか、ものを見ることができません。
しかし、その言葉は仮想・・・仮想のものを通してしか現実に近づけない。
そのカラクリがある以上、言葉のダイエットは痩せ細った人生につながります。