ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

沈黙と饒舌、足して2で割る

2015-05-10 | 日記

 

集合住宅の玄関先で、顔見知りの住人女性が二人で立ち話していました。

30分ほどして帰ってきたら、まだ、立ち話が続いている。

長~~~い、と思わず言ったら、それがきっかけで話をやめたようです。

 

別に邪魔するつもりはなかったのですが、つい本音が出てしまいました。

それにしても話がよく尽きないもの。一日中でも立ち話をしていそうです。

このことから、しばらく前、数年ぶりに会って話をした知人のことを思い出しました。

 

その彼、こんなによく喋ったかな、と思うほど饒舌でした。

もっと寡黙な男のはずだったけど、まるで人が変わったように、喋りまくります。

わたしの勘違いで、誰か他の人の印象と取り違えているのかな・・・・。

 

それでも、話の中身がこちらにも興味のあることならいいのですが、まったく一方的。

もしかして、家では、喋るな、と云われていて、その鬱憤を外で晴らしているのかも。

とにかく会話というモノは、双方向でないと成り立ちません。

 

半分以上は聞き流していましたが、相手は喋るだけで満足している様子です。

わたしより、たしか4,5歳くらい年長です。

言葉の垂れ流し・・・・そんな認知症の症候というのもあるのでしょうか。

 

沈黙は金、とは思いませんが、饒舌は金、でもありません。

要は、沈黙と饒舌のバランスの塩梅が肝心です。そのためには間というものが必要。

音楽でもそう、休止符は何の為にあるのか、です。

 

知人の話を半分上の空で聴きながら、こんな仮説を考えました。

その人の話すことは非常に具体的で日常的な話ばかりです。

一般化、抽象化する言葉というものがほとんど出てきません。

 

具象から抽象へ、個別から普遍へ・・・・その間には思考と云う過程が入ります。

その思考が欠落すると、ただただ言葉の垂れ流しに終始するのではないか。

という仮説なのですが、認知症も認識力や思考力の衰えでしょうから、的外れでもない?

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