ノリの東京の友人の生きる糧(福岡編)

日々のちょっとした楽しみや悲しみを徒然に語ります。

仕事中にお城に遭遇(2) ~ 関宿城(せきやどじょう) ~

2010年12月28日 | 歴史もの
 昨日、茨城県のお客様の家にエアコンを取り付ける作業があったので、同僚と一緒に軽トラックで埼玉と茨城の県境にある江戸川の橋を渡っていたところ、左手に城のような建物が見えてきました。

 「なんじゃ、あれ、お城なの?。」

と埼玉生まれ埼玉育ちの同僚に聞いたところ、

 「個人の家です。」

と言う、本当の話なのかボケなのか判らない返事が返ってきたので、携帯電話を使ってネットですぐさま調べました。

 調査した結果、それは個人の家などではなく、関宿城(せきやどじょう)と言うお城でした。先日の忍城に続く、仕事中に偶然遭遇した2つ目のお城です。
 しかし、この建物は本当に関宿城があった場所の近くに立てた『関宿城博物館』と言う、関宿城の天守閣を再現した博物館なので、厳密に言うと、お城や城跡のくくりには入りませんね。本当に関宿城が建っていた場所は今はほとんどが堤防の下だそうです。

 ちなみに関宿城とは、室町時代の1457年くらいに古河公方の家来の簗田成助(やなだしげすけ)と言う武将が築いたと言われている城で、戦国時代には北条家と上杉家の間で激しい争奪戦が繰り広げられた城のようです。
 関東の中心部における最重要拠点だったので、関東の制圧を目指していた名将:北条氏康が『一国に等しき城』とまで評したそうです。利根川と江戸川の分流点の近くにあるので、関東の水運を抑えるには重要な拠点だったのが容易に想像できます。

 そんな興味深い情報が入手できたので、仕事が終わった後に今回も少し立ち寄る事にしました。

 軽トラックで土手沿いを走ると、まずは『関宿城跡』の石碑があり、その少し先に駐車場が完備された関宿城博物館がありました。休館日だったので中には入れませんでしたが、博物館の外観はお城そのものです。立派です(写真を参照して下さい)。

 そんな関宿城博物館ですが、一番驚いたのは博物館の名称が『千葉県立関宿城博物館』だった事です。てっきり我々は茨城県にいるとばかり思っていたのですが、なぜかこの関宿城あたりは千葉県のようです。

 会社に帰ってから地図を見て確認したのですが、この地域は茨城と千葉と埼玉の県境がゴチャゴチャしているエリアでした。この変わった県境は戦国時代(国取りの時代)の名残りなんですかね?。千葉県が埼玉と茨城の両県の懐に細く長く食い込んでいる感じです。


 以上、偶然見かけた関宿城(千葉県立関宿城博物館)の話でした。

 前回の忍城に続いて関宿城の博物館も休館で見れなかったので、来年になったら再度訪問する事にします。「千葉だ!!。茨城だ!!。」と言っても私の会社がある埼玉の片田舎からは車で40分くらいの距離なのでいつでも行けます。また生きる糧が増えましたね。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 有終の美 ~ M-1グラン... | トップ | 新生活を実感 ~ 12月28日... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ノッポ)
2011-01-18 17:41:23
「埼玉」と言う名前の由来を調べてみな
返信する
ノッポさんへ (ノリの東京の友人)
2011-01-18 19:08:18
 おけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします(もう18日ですが・・・)。

 「埼玉」の件、今度お会いした時に話をさせて頂きますが、由来の説がいくつもあってノッポさんの指示の意図がイマイチわかりません(汗)。調べてみると、

・埼玉古墳群説
・幸魂(さきみたま)説
・多摩の先だから「さき多摩」説

と各説あります。これと関宿城との関係が何なのかを今度教えて下さいね。
返信する

コメントを投稿

歴史もの」カテゴリの最新記事