のんののサカサカ日記

ドラゴンズが大好きで
  毎日サカサカ(忙しなく)してます
  

年賀状

2011-12-15 21:47:46 | Weblog
年賀状の受付が始まった

信じられないことだが、毎年 受付と同時に投函する人がいる

律儀というか・・・真面目というか・・・とにかく信じられない

自慢じゃないが()友達から渡されたまま、いまだに袋から出していない

(それもどうかと思うが

そろそろデザインでも考えようか・・・遅すぎるって

アッ忘れてた・・・プリンターの調子が悪く、印刷できない

また遅れそう・・・ハイ 言い訳です






 天人冥合(てんじんめいごう)
   ・天意と人の言行が自然に一致すること。
   ・人の言行が正しければ、おのずと天意に一致することをいう。
   ・「冥」は、暗に、おのずとの意。
   ・「冥合」は、知らず知らずのうちに合致すること。
   ・類義語 :「天人感応(てんじんかんのう)」 「天人相応(てんじんそうおう)」 
          「天人相関(てんじんそうかん)」 「天人相与(てんじんそうよ)」

 天真爛漫(てんしんらんまん)
   ・飾らず自然のままの姿があふれ出てるさま。
   ・生まれつきの素直な心そのままで、明るく純真で無邪気なさま。
   ・「天真」は、純粋な性格。
   ・「爛漫」は、自然のままに輝き現れる様子。
   ・類義語 :「天衣無縫(てんいむほう)」

 天造草昧(てんぞうそうまい)
   ・天地創造のとき、この世にまだ秩序がなく混沌として定まらないこと。
   ・世の中に秩序がなく、天下のまだ定まらないことにもいう。
   ・「天造」は、天が万物を創造すること。また、その創造物。
   ・「草」は、はじめの意。また、乱雑の意。
   ・「昧」は、暗い意。

 天孫降臨(てんそんこうりん)
   ・記紀(きき・・『古事記』と『日本書紀』)の神話の中で、孫の
    天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)が国土平定のため、
    天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて、高天原(たかまがはら)から
    日向国(ひゅうがのくに・・今の宮崎県)の高千穂峰に天下ったこと。
   ・「天孫」は、天照大神の孫の瓊瓊杵尊のこと。
   ・「降臨」は、神仏が天界から地上に天下ること。

 恬淡寡欲(てんたんかよく)
   ・あっさりとして淡白で、欲の少ないさま。
   ・「恬淡」は、落ち着いていて欲がないさま。あっさりしていて、物事に執着しないさま。
   ・「寡」は、少ないの意。人柄についていう語。


 叢軽軸を折る
   ・小さなものでも、たくさん集まれば大きな力を発揮するたとえ。
   ・軽いものもたくさん集まると、その重みで車の軸が折れてしまう意から。
   ・「叢軽(そうけい)」は、多くの軽いもの意。
   ・類義 :「群軽(ぐんけい)軸を折る」 「積羽(せきう)舟を沈む」

 糟糠にだに飽かざる者は梁肉を務めず
   ・切迫した身近な問題を差し置いて、よけいな高望みや実際の役に立ちそうもないことを
    先に解決する者はいないということ。
   ・貧しくて酒かすや糠のような粗末な食べ物さえ十分に食べられない者は、上等な
    米や肉を食べようとは思わないという意から。
   ・「糟糠(そうこう)」は、酒かすと糠(ぬか)。
   ・「梁肉(りょうにく)」は、上等な米や肉。

 糟糠の妻
   ・長年連れ添った妻のこと。
   ・貧しいときから粗食を共にして連れ添い、苦労も共にしてきた妻。

 糟糠の妻は堂より下さず
   ・貧しい時代から連れ添って苦労を共にしてきた妻は、自分が立身出世したのちも、
    家から追い出すわけにはいかないということ。
   ・「堂」は、おもて座敷。また、住まいの意。
   ・後漢(ごかん)の光武帝(こうぶてい)が、未亡人となった姉を、
    腹臣の大将軍宋弘(そうこう)と結婚させようとして、「人は身分が高くなれば
    交際相手をかえ、裕福になれば妻をかえるものだと諺(ことわざ)にもあるが」と
    すすめたとき、宗弘は「貧乏時代の友人は忘れてはいけない、貧しいとき苦労を
    共にした妻は、堂から下さず大切にしなければいけない、と聞いております」と
    答えたという故事から。

 宋襄の仁
   ・無用の哀れみ。
   ・不必要な情をかけて、ひどい目にあうこと。
   ・中国春秋時代、宋の襄公(じょうこう)が楚の国と戦ったとき、公子の目夷(もくい)が、
    敵の布陣がまだ整わないうちに先制攻撃をかけるようにと進言したが、襄公は
    「君子は人の難儀に付け込まないものである」といって聞き入れなかった。
    結局、敵に十分の準備をさせてから正正堂堂と戦ったが、楚に敗れてしまった。
    世間の人は、これを宋襄の仁と言って笑ったという故事から。

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