食農ステイション

食と農に関するお話しを徒然なるままにいたしましょう。

これまで,これから

2011年03月22日 | 食と農

今,福岡に帰省しています。実家の用事のためです。福岡は以前の東京のような賑わいです。特に新しくなった博多駅は大勢の人で賑わっていました。

東北関東大震災で被害に遭った方々にはお見舞いの言葉も出ません。一緒に嘆き,悲しみ,そして,心が落ち着いたら一緒に歩き出したいと思います。心からお見舞い申し上げます。

大地震発生時には,ソウル金浦空港にいました。チェックインの時に地上係員が「トウキョウはジシン,ジシン」といっても意味が分かりませんでした。しかし,ロビーにあるテレビは大津波の様子を映していて,これはたいへんなことが起きたと思いました。

羽田空港も閉鎖されたため,金浦に3時間ほど足止めされ,いったん乗機したひとも羽田からの公共交通がないとのアナウンスがあり,子ども連れの人たちは降機していました。

やっとの思いで羽田に着いて驚きました。広いロビーには1000人以上の人たちが毛布を広げて座っていました。今日は自宅に帰れないことを直感したときでした。家族に連絡を取りたかったのですが,携帯の電池が切れていて,コンセントを探しましたがどれもみんなが使用していて空きがありません。公衆電話も長い行列。結局,WIMAXのパソコンでメールして無事を伝えました。あとで聞いたところ,家族は震度5強の強く,時間が長い揺れに遭遇して,相当心配していたようです。

翌朝,5時過ぎに開通した京急で品川へ。品川から泉岳寺まで徒歩。泉岳寺からは都営地下鉄線を乗りいで新宿まで出ました。一緒に行ったY先生と励ましながらの帰宅作戦でした。

自宅のテレビは,津波による被害と原子力発電所(原電)の事故を一日中映していました。特に,今回の原電事故はこれまでのエネルギー政策と原電の「安全神話」を覆すものです。その後,東京電力は唐突に計画停電を実施し,その混乱により鉄道や社会生活は大きく混乱しています。これまでの私たちの「快適なくらし」が電気に支えられていることと,東北や北関東で起きた災害が身に降りかかることを知りました。

15日には高知県の普及職員研修会で話をするために出かけました。そこには,これまでの生活がありました。ストレスのためか?鯨飲してしまいました。すみません。

その後,大学行事の卒業式,退職教員の送別会,GBP成果検討会などが中止・延期され,各種学会大会も中止・延期されました。娘の高校も通学の安全性が保障されないという理由で,ずっと自宅学習になっています。

昨日,政府は福島,茨城,栃木,群馬の4県産のホウレンソウ,カキナ,生乳などの農畜産物に対して出荷停止指示を出しました。最悪の状況の始まりです。同僚の研究者の話によれば,放射性ヨウ素の半減期は8日間と短いが,放射性セシウムの半減期は30年と長く,植物も吸収しないため,汚染された農地の回復のためには客土しかないとのことでした。

海洋汚染の問題も深刻です。大量の放射性物質が海に流れていることは容易に推測でき,今後,生物濃縮による汚染の恐れがあります。その意味では,西日本や外国に住んでいても逃れない問題がそこにあります。TPPなど吹っ飛びました。

まだまだ,原発事故がどのように落ち着くのか予断を許せない状況です。

これからの此の国の行く末を真剣に考えるときだと言えます。